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第百二十七話 『麗しの故郷』

 リアノイ・エセナ。


 古代においては西エトラルカ浮遊大陸の首都でもあり、大陸暦が始まってからはウインガルド王国の首都、そして現在はジオ帝国のヴォルワーグ皇子が支配する都市。最盛期の人口は五十万を超えていたが、ジオ帝国の侵攻によりその数を大きく減らしてた。


 街の様子も一変した。支配者が変わったことは勿論だが、占領政策を始めていた大将軍レイスリッド・プラーナスの追放と共にウインガルド貴族の粛正が始まり、ほぼ根絶やしにされた。そして城壁内は占領軍のものとなり、侵攻前からの領民は城壁外でくらすことを余儀なくされた。城壁内で商売を営んでいた者たちは、城壁の外に住むことを強いられた上に占領軍相手に不利な商売をすることを強いられた。拒絶すれば店は営業を許されず、酷いときは従業員一同含めて皆殺しといった例も少なからずあった。


 ベルフィン商会は、枝道一本で大通りに出られる区画に店を構える、中規模の商会である。

 多くの商会が取潰しを受けた中、この商会が生き残ったのには理由がある。まずは他都市との交易を商いの中心としていたこと。そしてリアノイ・エセナ陥落後に殆どの店が扉を閉ざした中、進駐軍が略奪を始めてはかなわんと、ジオ軍人に食料や防寒具を格安で売ったことなどから、当時の大将軍レイスリッドから好感を持たれ、その後も惰性で目こぼしを受け続けているためである。


 午後、そんなベルフィン商会の門を、商会に所属する一台の荷馬車が通り抜けた。積荷は『万能薬』。生命の霊晶の粉末を含み、外傷及び肉体疾患に絶大な薬効を及ぼす超高級品だ。霊晶の出どころは、生命の御使いメイハースレアルである。


 ロベルクは久しぶりに耳を布で隠し、年若い商人の扮装をして荷馬車とともにベルフィン商会の倉庫へと入った。フィスィアーダはいない。二両目の馬車が壊れ、一日前の宿場で修理することになり、そちらの護衛に入っていた。


 ロベルクは倉庫の扉が閉じられるのを確認し、積荷の箱を開ける。すると薬瓶の間で体を丸めていたセラーナが身を起こした。


「ふぅ、流石に窮屈だった」


 セラーナは薬瓶を倒さないよう慎重に箱から出ると、両腕を天に上げて伸びをした。

 ロベルクは荷台の上のセラーナに手を差し伸べる。セラーナが荷馬車から降りると、ロベルクはハックリーに頭を下げた。


「難題を押し付けてしまったが、引き受けてくれてありがとう、ハックリー」

「いえいえ、こちらもよい仕入れができました。まさか、霊晶入りの薬をこれほど大量にいただけるとは」

「密入城を取り締まるために、抜き打ちで生命の精霊を感知するっていうのがあるらしいと聞いたんだ。霊晶の薬はそれを攪乱するためのおとりだよ。メイハースレアルの援助もあったし、誰の懐も痛んでいない。今日はそんな取り締まりをしていなくてよかった。じゃあ、行ってくる」

「お気を付けて。敷地から出たら、私達は見ず知らずです。お帰りのときは、店の者にお声掛けください」


 ロベルクは頭の布を外した。借りていた黄色のマントもハックリーの部下に返し、馴染んだ緑のマントを羽織る。華奢な商人見習いはいまこのときをもって行方不明というわけだ。セラーナは既に姿を変えているので何も変化はない。ふたりは倉庫内で保存食を少々見繕って購入すると、他の客に紛れて店舗を通り抜け、街へと出た。


 リアノイ・エセナの大通りはイルグネとは比べ物にならないほど多くの人たちが行き交ってきたが、やはりここも明るい雰囲気は鳴りを潜めていた。我が物顔で闊歩するジオ人と、関わり合いにならないよう距離を取るウインガルド人。食べ物の屋台なども店を開いていたが、景気よく売り口上を叫ぶ者がいるわけでもなく、生きるために仕方なく商いをしている虚脱感で淀んでいた。


 セラーナが、下り道に入り始めた太陽に背を向け、大きく深呼吸をした。まるで故郷の空気を再び全身に行き渡らせようとするかのように。


「大丈夫かい?」


 ロベルクに感付かれたセラーナは、一瞬で全身の緊張を掻き消し、口元に笑顔を見せた。


「もちろん! やっと戻ってきたんだもん。土地勘を生かしてしっかり見ないとね!」


 セラーナはロベルクの周囲を数歩跳ぶと、向かい合うように立った。


「まずは起点になる宿を取りましょ。心当たりがあるから」


 セラーナが大通りから逸れ、枝道迷わず右へ左へと進んでいく。しばらく行くと、目の前に小さくも重厚な宿屋の建物が姿を見せた。看板には『止まり木の(いしずえ)亭』と書かれている。


「この宿、街で遊ぶときによく使ってたの。もし主人が同じだったら、安心して泊まれるわ」


 セラーナは扉を懐かしそうに眺めて微笑んでいたが、警戒を緩めてはいなかった。

 ロベルクが一呼吸おいて扉を開き、セラーナを通すと扉を閉めた。


「いらっしゃい」


 一階の食堂の奥から、よく通る女性の声が響いてきた。


「……いつもの女将さんだ」


 セラーナがフードの奥で呟いた。僅かに緊張を解いたのがロベルクに伝わってくる。


「挨拶でもするかい?」

「やめとく」


 セラーナは特段の感慨もなく、旧交を温めるのを諦める。

 ロベルクは頷くと、カウンターへと進んだ。セラーナは身を隠すように付き従う。女将が流れるような動作でカウンターの向かいに移動し、接客態勢に入った。


「部屋を借りたい」

「男女別大部屋食事なし一泊ニラウから」


 商売っ気のない女将の返答。手持ちもあり、義勇軍から旅費も受け取っているロベルクたちは、別に最低限の部屋である必要はない。

 この宿を熟知したセラーナが背後で囁く。


「三人部屋、鍵付き」

「三人部屋、鍵付き。もう一人は明日合流する」


 ロベルクはそのまま復唱した。


「三人で四十。今夜から三人分いただくよ。ひとを増やしたら追加料金だよ」

「半月……十五日頼む」


 ロベルクが六〇〇ラウぶんの銀貨を取り出し、カウンターに置く。女将は金額を数えると、頷いた。


「ゴネない客は久しぶりだよ。城はアレだけど、ゆっくりしていっておくれ」


 女将が差し出した鍵を手に、ふたりは階段を上がる。上に行くほど上等な部屋が割り当てられているようで、ふたりは三階の奥の部屋に入った。セラーナは日課の如く、覗き穴や罠の探知をし、安全であることを確かめると、片方の寝台の側に荷物を置いた。ロベルクが鎧戸を閉めると、夕刻にはまだ時があるにも関わらず室内は薄暮の如く薄暗くなる。


 セラーナが自分の寝台に座り、ようやくフードを外した。見慣れてきた左右結びの髪を軽く振る。


「ああ、顔を出せるってやっぱり楽ね」


 薄暗い部屋の中で、セラーナの白い肌はまるで輝いているかの様だった。

 ロベルクは向かいの寝台に座り、セラーナの姿を眺めた。


(綺麗だ)


 ロベルクは素直にそう思った。ウインガルド領に入ってから、セラーナはフードで顔を隠した生活が続いている。早くこの娘に何も被らずに街を歩かせてやりたい、と強く感じた。


「……早く君が、この街を堂々と歩ける様に頑張るよ」


 そう言うと、セラーナが微笑みを浮かべてロベルクの隣に腰を掛けた。肩と肩が触れる。セラーナは横からロベルクの顔を見上げた。


「違うわ、『頑張ろう』でしょ?」

「そうだった」


 二人は見つめ合いながら小さく笑った。

 いつしか、鎧戸の隙間から漏れる日光が橙色を帯びていた。


「少し早いけど、食事にしましょ。ここは民族料理が美味しいの!」


 少しはしゃぎ気味のセラーナに誘われ、ロベルクは階下の酒場に向かうことにした。





 まだ食事時には時間があることもあり、酒場はさほど混んではいなかった。セラーナがフードの中が覗きにくい席を見繕い、二人で座る。

 ウインガルド人とおぼしき店員が、注文を取りに来る。


「温葡萄酒が美味しいよ。あたし、ここの温葡萄酒が大好きなの」

「お酒かぁ」

「温めて酒精を飛ばしているから、それほど強くないよ」


 二人が飲み物について相談していると、店員がおずおずと言葉を挟んだ。


「今、あまり葡萄酒の流通がないので、その……昔の様な味ではないかも知れません」


 セラーナが「んー」と一瞬悩む。


「葡萄酒の仕入れは、女将さんが?」

「はい。味見はしているはずなので、多少は選んでいるのですが……」

「女将さんを信じるわ。温葡萄酒二つ! それと……」


 店員が注文を聞き、去って行った。

 厨房では主人が料理を取り仕切り、女将は会計や接客の総括をしながら飲み物の準備や料理の手伝いをしている。


 一足先に、小さな杯に入れられた温葡萄酒が置かれると、次々と机に料理が並べられる。

 シラッカという小型の魚と野菜の酢漬け、豆のスープ、黒麦パン、ロヒという赤身魚のグラタン仕立て、手綱鹿の煮込み、そしてベリーパイ。全てウインガルドの伝統料理だ。


「ん、美味しい!」

「美味しいでしょ! この味なら、表通りで出してもいいと思うの!」


 セラーナは久しぶりの故郷の味に、気分が高揚気味だった。ロベルクが温葡萄酒を二口飲む間に彼女は新たな温葡萄酒の杯を注文していたことも、高揚の一因ではあったが。





 心地よい時間は飛ぶように過ぎ――


 全ての料理を平らげると、ロベルクは立ち上がった。温葡萄酒を盃にひとつ飲んだが、不快でない軽い酩酊を感じる。特にふらつきなどもない。向かいの席でセラーナも立ち上がる。ロベルクにもたれかかり、肘に腕を回してくる。そんな仕草とは裏腹に足取りはかなり確かである。温葡萄酒を五杯飲んでいたが、特にふらつきもなく軽い酩酊を感じているようだ。顔を完璧にフードで隠しているのは流石としか言いようがない。


 ふたりとも確かな足取りで部屋へ戻る。ロベルクが扉を開け、セラーナが後ろ手で扉を閉め、鍵を掛け、そして懐から手拭いを取り出して鍵穴を隠した。


「ロベルク……」


 セラーナはロベルクの肘から離れ、フードをかなぐり捨てると、寝台へ向かうのを塞ぐように立ちはだかった。そのままロベルクの両手を自身の両手と繋ぐ。見上げた黒曜の視線と、見下ろす翠玉の視線が絡み合った。


「ロベルク……ありがとう」

「ん……」


 消え入りそうなセラーナの言葉に、ロベルクは微笑みを返す。包み込むような表情を見たセラーナは、たがが外れたように再び唇を開いた。


「ありがとう……ここまで来てくれてありがとう。頭の固い家臣と仲良くしてくれてありがとう。抱っこして走ってくれてありがとう。操られてたときに信じてくれてありがとう。あたしのところに来てくれてありがとう。ありが……あ……」


 見上げる黒曜の瞳から水晶の涙がこぼれ落ちた。涙は次から次へとこぼれ、彼女の頬を濡らしていった。


「セラーナ……僕の方こそ、君に出会えて幸せだ。君と一緒にいる時間はなにものにも代えがたい」


 ロベルクは片手を離すと、指先でセラーナの涙を拭った。

 セラーナは頬を濡らしたまま、肩が震えているのも気にとめず、口元に精一杯の笑みを作った。


「ロベルク……」

「セラーナ……」


 ロベルクは愛しさのあまり思わずセラーナを抱きしめた。セラーナはそれに抵抗せず、ロベルクの背に腕を回し、幸福な圧迫感に身を委ねる。


 どちらからともなく身を離し――

 一度離れた視線は再び絡み合い――


 その見えざる糸が互いの唇を引き寄せるのに時間は掛からなかった。





 二人の全身は一片たりとも離れることを拒むように重なり合い、夜闇の底に沈んでいった。

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