第百二十五話 『地の要衝を得て』
火月十二日。『火月』とは名ばかりで、広葉樹が色づく気配はない。
リーシの判断により、魔獣軍撤退の三日後に出師していた義勇軍は、イルグナッシュの城門を視界に捉えたところで布陣した。その数、千。この日のために貯めに貯め続けた軍需物資がものを言っただけでなく、義勇兵それぞれが国土奪還という目的を前に高い士気を維持し続けているからこそ、連戦に近い非常識な軍事行動が可能になっている。さらに、ウインガルド各地から集結した志願兵も膨れ上がったこともあり、今回は心身に不調をきたした兵を含めて二百ほどをイルグネに残すことができた。留守居はクスターである。
陣容は、リーシ隊五百、アルフリス隊五百、そして三人で大隊以上の戦力と見なされているロベルク、セラーナ、フィスィアーダだ。
リーシが非常識な間隔で軍事行動を繰り返したのには理由がある。偵察からの報告を逆算するに、魔獣軍が撤退してから別な援軍が間髪入れずリアノイ・エセナからイルグナッシュに派遣された場合、最短で火月十五日に到着する。義勇軍はそれまでにイルグナッシュに到着しなくては、現状では勝ち目がなくなる、という事情もあった。
リーシが荷車の上に立ち、演説を始める。今回は精霊使いによって拡声されているので、拡声器で顔が隠れることはなかった。
「敵の残存兵力は千と推定される。打って出て野戦をする兵力は残されていないので、籠城するだろう。我々はかねてからの作戦通り、ロベルクが氷の階段を作る。アルフリス隊はそこから侵入する。ロベルクとフィスィアーダは魔法による支援を行う。城門を確保の後、開門して私の隊が侵入する。前進!」
千の兵が街道をはみ出してイルグナッシュの城門を目指す。
罠や迎撃の兵は見当たらない。予想通り、籠城を決め込んでいるようだ。
城壁内は静まり返っている。
「煙?」
セラーナの言葉に、皆が目を凝らす。
確かに、城壁の内側から煙が上がっている。なにかの仕事で上がる規模ではない。敢えての狼煙か、あるいは火災だ。
「混乱してくれているのならば好都合なのだが……」
ロベルクが集団から歩み出て、霊剣に手を掛けた。
「待て!」
リーシの鋭い声がロベルクの動きを止めた。
「城門の上を見てくれ」
その声が聞こえた一同の視線が城門に集まる。
「旗が……」
「旗?」
旗、という言葉が兵たちの間に伝播する。
目をこらしているうちに、城門に掲げられていたジオ帝国の旗が収納されていった。
「な……?」
義勇軍の全員が目を疑った。
ジオの国旗に代わって、継ぎ接ぎの布に飛び立つ鳥を描いた、急ごしらえのウインガルド王国の旗が掲げられたのだ。
「どういうことだ?」
状況を見守っているうちに、城門がゆっくりと開かれた。
完全に開門する前に飛び出してきたのは、ジオ軍の将兵だ。だが覇気がない。ジオ軍は布陣した義勇軍を見るなり悲鳴を上げ、左右二手に分かれて城壁の縁をなぞるように逃走し始めた。
そしてジオ軍を追い立てるように城門を出てきた集団は、イルグナッシュの領民だ。旅行はジオ軍が逃げ散ったことを確認すると、勝鬨を上げ始める。掲げる得物の半数は、棒や農具だ。武器の少なさから察するに、あまり準備期間を取れないうちにジオ軍を追い立てる事態になったようだ。
領民はひとしきり喜び尽くすと、ようやく目の前に布陣した義勇軍に気付いた。こちらが掲げるウインガルド王国の旗を確認すると、皆が満面の笑みで両手を振り始める。
「歓迎……されているようだな」
ロベルクたちは武器を鞘に納め、陣から突出して近付く。
その姿を眺めやったリーシも、安全な隊の中心を出て――それでも十分に身を守れる護衛を連れて――領民に接近した。
「私はウインガルド義勇軍のリーシ・ヒルヴィです」
「ウインガルド義勇軍のかたですね? お待ちしていました!」
領民のまとめ役とおぼしき男が城門内へと招く。
リーシは左右を確認する。頷きを返すアルフリス。ロベルクたちもまた、リーシの護衛の輪に加わることで同意を表した。
こうしてウインガルド義勇軍は、一兵の犠牲も出さずにイルグナッシュ入城を果たした。
一行はまず、まとめ役と数人の仲間に連れられた街の中心にある庁舎に向かった。大都市イルグナッシュの中心部は、イルグネを端から端まで歩いてもまだ足りないほど、城門からの距離が長かった。
道すがら、リーシは領民のまとめ役から蜂起した経緯を尋ねる。
「ところで『待っていた』とは?」
「今朝、ここを支配していたサンバース公爵の兵たちが急に食糧庫に火を放ち、半分ほどの手勢を引き連れて北門から逃げていったんです。街は混乱して……見回りのジオ兵も知らされていなかったらしくて、酷く慌てて。そしたらどこからか、やけに体格のいい長髪の農夫がラウシヴの司祭様を連れてやってきて、『今が独立の好機だ! 間もなく義勇軍も駆けつける!』とか言って、ジオ兵にかかっていったんでさ。投げつけた草熊手が槍みたいに飛んでったのなんて、凄く格好良かった〜」
「あ……」
「急にどうした、ロベルク、ナセリア?」
「いや……」
ふたりはそれ以上反応しなかった。が、視線を絡ませるだけで、お互いがなにを言いたいか手に取るようにわかった。
(……そういうことをするのも、風体も、間違いない……)
(……レイスリッドとミーア様ね……)
頷きあうふたり。
リーシは、その力や機転に只者ではないのを感じ、自軍に味方してくれたことに痛く感激していた。
「是非、そのふたりと話してみたい! できれば同志に!」
「ですが、そのあと全く姿が見えないんですよ」
「ううむ、実に残念です」
その後、ジオ軍がより多く集結していた南門から追い出したことや、畑もだいぶ荒らされたことなどを聞いているうちに、庁舎へと到着した。
義勇兵たちは庁舎前の広場に天幕の設営を開始する。なるべく往来の妨げにならぬよう、中央を避けての設営だ。こういった気配りひとつ取っても、イルグナッシュの民はジオ軍との違いを感じているようだった。
舎内は住民蜂起の跡も撤退のどさくさによる略奪もなく、まるで昨日まで働いていた者たちが急に神隠しにでもあったかのようだ。
双方の代表が着席するなり、領民のまとめ役が口火を切った。
「単刀直入に申し上げます。この街を治めていただきたい」
「なんと!?」
リーシはあまりにとんとん拍子で話が進んでいることで、逆に浮かれたい気持ちが鳴りを潜めてしまった。
「確かに私たちは一日も早い国土の回復を目指して戦っている組織です。申し出はとてもありがたい。しかし、急にやってきた私たちにいきなり街の統治を任せていいのですか?」
まとめ役は顔を綻ばせて頷いた。
「我々は蜂起なんてことをしましたが、例の農夫の放胆な行動に焚き付けられた、後先考えないお祭り騒ぎに過ぎません。このあと国をどうするか、北のジオ軍をどうするか、そういったことなど考えることはできません。ですから、長年祖国のために戦うことを続けてきた皆さんに治めてもらったほうが、我々にも都合がよいのです」
「…………」
リーシはしばし黙考していたが、ややあってまとめ役に視線を戻した。
「引き受けます」
まとめ役は「おお」と声を上げると、背後に控えていた仲間と喜びを分かち合った。
「これでイルグナッシュもウインガルド王国に戻ることができた」
リーシは領民を不安にさせないよう、精一杯の笑みを浮かべてその様を見守った。リーシとて、領土の統治について学んでこそいたが、領地を直接治めたことはない。だが、いま街を治めるのに皆が納得する人物は彼女しかいなかった。
そんなリーシの背後では、セラーナはがフードを目深にかぶって俯いていた。しかし、無意識に全身を強張らせているのに気付いたのは隣に立っていたロベルクだけだった。
「ナセリア?」
「…………」
「ナ、セ、リ、ア?」
「えっ!? ……な、なに?」
「大丈夫か? 緊張しているように見える」
「緊張……というよりは高揚かな。遂にここまで来たっていう。イルグナッシュがウインガルド王国に戻ってきたとなれば、いよいよリアノイ・エセナに巣食ったジオ軍とも対等にやり合うことができる……いよいよだわ」
「ああ。ここで止まるわけにはいかないね」
机を囲んで奪還を喜ぶ背後でもまた、奪還の感慨と新たな決意の火を燃やしているのだった。




