第百二十二話 『萌芽を摘む者』
前方に砂煙が目視できたのは葉月十八日の午後だった。
砂煙の広がりから見ても、敵は移動を阻害される海側の岩山を利用せず、街道沿いを縦に細長い隊列で進軍してきている。
リーシが全軍に進軍停止を指示する。義勇軍の陣形は先陣を広げた矢印の形をしている。少しでも兵力を多く見せ、接触する面積を広げるための陣形だ。
先陣はアルフリス隊六百。帰還兵と新兵を中心とした混成部隊だ。人数は多いが質は雑多である。
少し間を空けた後陣はリーシ隊五十。こちらは全てがイルグネ解放戦以前から彼女に付き従ってきた信用がおける兵たちである。簡易的な柵を設置して身構えている。
残り五十はロベルクたちとともに補給物資を運び、朝の内に城門前へ後退を始めている。こちらは入隊時期ではなく、弓やクロスボウの腕前と魔法の心得で選抜された。実戦できる程度の精霊使いや魔法使いは限られているが、ほぼ全てがクスター隊とロベルク隊に編入されていた。
両軍が対峙した。
「リーシ様、敵の総司令官はドラッティオ・サンバースの模様です」
旗の紋章を確かめた部下が報告する。
「確か、息子だったね。大将はヘルゲではないのか」
「大方、掃討戦と高をくくって息子に武勲を立てさせようという魂胆でしょう」
「舐められたもんだね。とはいえ、こちらも兵力に余裕がない。見立ての甘さについて啓蒙するより、将をひとりでも減らしたいところだね」
「はっ」
ゆるゆると吹き抜ける風が急に張り詰める。ジオ軍の拡声魔法だ。声の主は、一番奥に控えた数少ない鞍上の一隊の中だ。
「ふっ……私はジオ帝国公爵ヘルゲ・サンバースが息子、ドラッティオ・サンバース男爵である。直ちに武装解除し、投降せよ。さすればイルグネの町を騒がせた罪は貴公らのみにとどめ、一般市民の安全は保証しよう。しかし、少しでも抵抗すればウインガルドの残りかす共はきれいさっぱり冥界行きだ」
明らかに見下した口調のドラッティオの最後通牒に、ジオ兵が盾を叩いて囃し立てる。
「おやおや。どいつもこいつも同じことをいう。どっちに転んでも軍人には痛い目を見せるってか?」
リーシがこめかみを伝う汗を拭いながら強がる。彼女は左右を見るが、実戦程度の精霊使いは皆、クスター隊とロベルク隊に振り分けてしまっていた。
「ひとりくらい所属させるんだった……」
リーシは苦笑すると兵からラッパ型の拡声器を受け取り、口に当てた。
「我々は国家の再興の為、ウインガルドの大人として立ち上がった。ゆえに坊ちゃんらに下げる頭は持ち合わせていない。坊ちゃんらの行為は隣家に土足で押し入る匪賊に等しいと知れ。我々はウインガルド義勇軍である。坊ちゃんはこの名を城でふんぞり返っているお父様にお伝えしろ。もしイルグナッシュに戻れたらな!」
リーシの挑発。
アルフリスが吠えるように囃し立てると、続いて総員が盾を叩いて倣った。
風向きが元に戻る。魔法の効果が打ち切られた。
続いてジオ陣営からラッパの音。
四千の軍が一歩を踏み出した。
「ドラッティオが顔を真っ赤にしているのが目に浮かぶようだ。顔は知らんがな」
アルフリスの下手な冗談に、義勇軍の面々は過剰な緊張を幾分和らげた。
ジオ軍の鬨の声。先陣が駆け始めた。
「用ぅー意!」
アルフリスの雷声が雑音をかき消して響く。
「訓練二、反撃戦法! 弓箭兵は水平に一射、のちに後退して高射。歩兵は盾の壁。始めぃ!」
「うおぉぉぉ!」
義勇軍の鬨の声も負けてはいない。むしろ無勢にもかかわらずジオ軍と互角の気勢を上げている。
大盾の隙間に構えた弓とクロスボウの混成部隊から、矢と太矢が一斉に放たれた。殆どが密集して突撃してくるジオ歩兵に突き刺さり、被害者はもんどり打って転がる。しかしジオ軍は進軍を止めなかった。飛び道具の餌食になった兵を踏み潰して、なお迫ってくる。
アルフリスは僅かに顔を顰めた。だが彼はジオ軍が最下層の兵士を捨て駒にすることを知っているので動揺は少ない。彼は次の指令を叫ぶ。
「盾の壁、閉じよ! 長槍用意! 敵が勝手に刺さってくれるぞ!」
兵士たちが長槍を足で固定して低めに構える。直後、人間と下級妖魔がない交ぜになった奔流が盾の壁に激突した。
大盾を構える兵たちの目の前に、腹部を深々と槍に刺し貫かれて呻く敵兵が幾重にも折り重なる。一度の衝突で五歩分も後退させられた。七倍の兵力を受け止めて誰も転ばなかったのか奇跡といえる。
運良く槍衾をくぐり抜けたジオ兵が、盾の隙間に剣を突き入れてくる。盾の内側でも呻き声が上がった。
(さすがに敵は分厚いな)
アルフリスがちらと背後に目をやる。リーシ隊の五十名はやや間隔を空け、近所の兵と接触しないように整列している。
(よし!)
アルフリスは彼の後を必死でついてきている義勇兵にラッパの用意をさせる。肝だけは据わっている叩き上げの義勇兵としっかり目を合わせると、剣戟の音に負けない大音声で叫んだ。
「退却の合図!」
「はっ!」
義勇兵がラッパを鳴らす。
その音に反応して、リーシ隊が踵を返して走り出した。
アルフリス隊は殿である。ひとりひとりの命が貴重である義勇軍は捨て身の行動を推奨することはない。まず弓箭兵が高射で矢を放ったあと、退却を始める。その間、盾の壁は第五波を受けていた。長槍は折れ始め、陣も綻びが目立ってきた。
「潮時だ。混成部隊なのによく働いてくれた。退却の合図、二度目!」
「はっ!」
退却のメロディが再び響く。
アルフリス隊の成員は最後に盾で押し返し、槍を突き出し、訓練通りアルフリスを避けて逃走を開始する。
「お前も逃げろ」
「はっ!」
義勇兵がラッパを持って走り出した。
残ったアルフリスは義勇軍が逃走前に作り出した一瞬の間に地面に突き立てられた予備の槍を引き抜くと、雄叫びと共に敵陣の中央に投げる。槍は敵兵を三人ほど串刺しにしたのち、次の兵の体内で穂先が止まりしかし勢いは止まらず背後の兵を十人ほど薙ぎ倒した。中央が凹む形で敵の進軍が鈍った。
その様子を見て満足げに頷いたアルフリスは、持参して地面に刺していた山妖精用の重厚な戦斧を二振り引っ掴むと、かなり後方まで退却した自軍に向けて駆け出す。
ジオ軍は槍の投擲で隊列を乱されたのち、友軍が束になって刺し貫かれた長槍に足を取られ、さらに進軍速度が鈍ってしまった。そこにアルフリスが投げた戦斧が唸りを上げて襲いかかる。隊列の右と左を狙って投げられた両刃の戦斧は死の暴風となってジオ軍の先陣を薙ぎ倒した。
鬨の声と悲鳴の合唱。それでもジオ軍は進軍を止める気配もなく、哀れな犠牲者をまるで障害物のように乗り越えて迫ってくる。
「俺も失敬しよう」
アルフリスは再び駆け出す。最も重い板金鎧を全身に纏い、背には大剣を二振り背負ったアルフリスだったが、その走りは軽装の弓箭兵より速かった。
義勇軍は駆けて駆けて駆け通した。背後にはジオの軍勢が迫っている。ドラッティオが怒りのあまり追撃の手を緩めないため、必然的に両軍とも駆け通しとなっていた。両軍とも、力尽きた者は怒りにまかせて追撃するジオ軍に踏み潰されるていく。
夜通し月明かりをたよりに駆け続ける義勇軍。空が白みだした頃、遠方にイルグネの城壁が小さく見えたとき、アルフリス隊は四百まで数を減らしていた。一方でジオ軍は未だ三千五百を下らない。
「じきに花畑だ! みんなもう少しの辛抱だ!」
リーシが義勇兵たちを叱咤する。
街道が開ける。
「おお!」
息も絶え絶えの将兵たちが、荒い息の隙間に歓喜の声を絞り出した。
終着が近いことはもちろんだ。しかし、義勇軍が最後の気力を奮い立たせることができたのは、花畑の背後にたった一晩で遠くの城壁を覆い隠す長大な土塁が建築されていたことだった。




