第百二十一話 『奇策という名の積み木』
ハックリーの言葉によれば、ジオ軍の到着まであと六日しかない。戦力は四千。陣容は不明、しかし彼がイルグナッシュにいた時点では魔獣軍の駐屯は確認されていなかった。
葉月十三日の午後は、作戦会議に費やされることになった。
「敵は四千、一方でこちらは千。籠城しても厳しい戦いです」
クスターが大柄な腕を組む。
「打って出るか」
アルフリスがさらに大柄な腕を組む。
「そう簡単にはやられないとは思うが……」
リーシが卓上の地図を見下ろす。先日の攻城戦のときより縮尺が小さく、イルグネとその周辺に存在する地形が描かれていた。リーシが木剣で街道の一つを撫でる。
「イルグネとイルグナッシュの間の街道は幅が狭い。東はごつごつした岩山と海、西を山岳に挟まれ、さらに西側は街道ぎりぎりまで森林が迫っている」
「大兵力のうまみが少ない戦場ね」
セラーナの人差し指と中指が地図の空中を歩く。指は二都市の中間地点あたりで立ち止まり、イルグネ方面へと後退した。あっ、と声が漏れる。
「……佯敗戦術はどうかしら。ねえ、カルフヤルカ卿?」
「負けたふり、か……うむぅ、この兵力差では致し方なしというべきか。クスター殿はどう思う?」
「俺は正規軍と名乗るために正々堂々と戦いたいです」
「正面突破か籠城か、では被害が大きくなるわよ、クスター」
「リーシ様、しかし」
「クスター、今の義勇軍はひとりでも多くの命を守ることが大切だよ。あなたも含めて、ね」
リーシに労られたクスターは反論を消し去った。
「リーシ様……」
「私はナセリアの策に乗ろうと思う」
リーシが決断すれば、義勇軍全体の意思統一が成ったといってもよい。
「おびき寄せて罠に嵌めるのが妥当な線だが……今から準備できるのは、落とし穴か」
「土の精霊使いがいれば、準備は簡単だよ! 我もちょっとだけ使える!」
メイハースレアルが果実水を飲みながら、遊びを思いついたように提案する。
「義勇軍にも土の精霊使いが数人いたはずだ。他に、杭の敷設に五十人くらい出そう。穴掘りはメイハースレアルに頼んでもいいか?」
「いいよ!」
戦において落とし穴はただ足止めするだけの罠ではない。穴の深さは深ければ深いほど殺傷能力が高く、浅くても大人の背丈の半分はある。穴の底には油をたっぷりと染み込ませた布と両端を尖らせた杭を埋め、落下した者を傷つける工夫が為されている。落とし穴は、いわば地雷なのだ。
「それでも迫りますかね」
クスターはイルグネの城壁が描かれた辺りを凝視している。
「今回の侵攻には魔獣軍が間に合わないから、一度罠に掛かったら少なくとも後退して陣を立て直すんじゃないかな。戦場が狭いから混乱してくれればなおよし」
リーシが木剣で街道を撫でた。
ロベルクが地図上の森を指さす。
「この森には、森妖精の集落はあるか?」
「いや、聞いたことがないね」
「なるほど」
リーシの答えに、ロベルクの視線が街道沿いに細長く伸びた森林の上をなぞる。
「この森を使って、もうひとつ手を打とう。森林に兵を伏せ、後退したところに矢を射掛ける」
「その役目、俺にやらせてはくれまいか」
クスターが手を挙げると、リーシは頷いた。
「伏兵には熟練した指揮官が必要だろうね。クスターに任せようと思うよ」
一同が頷く。リーシが続ける。
「本体の指揮はアルフリスと私で行う。ロベルクたちは罠に嵌めたあとの反撃をお願いしたい。少ないが、義勇軍の精霊使いと魔導師の半数を付ける」
「ありがたい。城門には一人たりとも触れさせない」
ロベルクは答えながら、反攻計画について思考を開始した。
葉月十四日、千人を超えたウインガルド義勇軍のなかでも帰還兵と新参者を中心とした部隊が、イルグネ北方の街道で訓練を行った。隊列、命令伝達、武器の扱いなど、新兵に施すような基礎的な内容ばかりだ。帰還兵にとっては簡単すぎる内容も含まれていた。しかし、この訓練は万一ジオ軍の斥候がいた場合に備えての偽装工作も兼ねている。
訓練に取り組む集団の遥か後方、イルグネの城門外農場付近では、メイハースレアルが五十の兵士と共に落とし穴の設営に取り組んでいた。
メイハースレアルと土の精霊使いが街道に穴を空ける。直径、深さとも人の背丈ほどもあるすり鉢状の落とし穴だ。穴の底には先を尖らせた木の杭が空に向かって突き立っている。無数に空けられた落とし穴の縁に細い枝を渡し、枯れ草や砂で偽装する。最後にメイハースレアルがひとつひとつの落とし穴の蓋に精霊魔法を込めた花の種を蒔いていく。
「これはね、目印だよ!」
癖の強い短髪を揺らしながらにこにこと種蒔きをするメイハースレアル。数千年の時を生命界で過ごしてきたとはいえ、外見は幼女である御使いを見て、兵士たちはしばし心を和ませた。
葉月十五日、クスターが三百人の義勇軍を引き連れて一足先に出陣する。構成員には箝口令が敷かれ、さらに義勇軍の中でも家族がいない者を選抜している。
ロベルク前々日の作戦会議後、クスターを呼び止めた。
「なんだ、ロベルク?」
「伏兵について、ちょっと提案があるんだが、いいか?」
「不安感があるのだとしたら侮辱だ。本意不本意で司令官の指示に逆らうほど俺は無能ではない。それと部隊運用くらいは勉強しているから正攻法以外も指揮できるつもりだ」
「クスターの指揮に不安なんかない。これから森に兵を伏せると思うんだけど、せっかく鼻の利く魔獣軍がいないから、もう一手間掛けてジオ軍にできるだけ大きな打撃を与えたいんだ」
「……面白い」
クスターの目に興味の色が浮かぶ。
「是非教えてくれ」
「それには小道具が必要で……」
ロベルクは自分が考えた案をクスターに伝える。
「……ロベルク、侮っていたのは俺の方だったようだ。君が敵でなくて本当によかった。きっと成功させてみせる」
クスターは、作戦の効果に対する期待と敵への憐憫をない交ぜにした笑みを浮かべて頷いた。
葉月十七日、ウインガルド義勇軍は門前広場に整列した。その数、七百。ジオ軍が四日掛かった出撃準備を二日で終えられたのは、人数の関係もあるが、義勇軍が常に戦闘態勢をとっていたからでもある。クスターは前日のうちに三百の義勇軍を率いて出陣している。彼らは城門を出てから行き先を知らされ、慎重に森に潜伏した。
リーシが木箱の上によじ登り、団員を睥睨する。
「諸君、ジオの軍勢が迫っている。我々はこのイルグネを死守すべく出撃する。彼我の戦力差は大きいが、狭い街道ゆえ、敵は大兵力を生かすことができない。敵に憎しみを抱いている者は多いだろう。しかし蛮勇は慎め。訓練通り、指揮に従い落ち着いて行動せよ。そして御使い様より託宣があった。『決して橙色の花を踏むことなかれ。触れることなかれ。破りし者は命を落とすであろう』。諸君、橙色の花があったらみだりに近付かぬよう。我々には御使い様がついている。ウインガルドに勝利を!」
七百の鬨の声。
北の城門が開き、ウインガルド義勇軍は出陣した。
北門をくぐってすぐは土地が開けており、東は岩山の裾まで、西は森林の浸食と開墾がせめぎ合いつつ耕地として利用されている。七百の義勇軍は耕地を貫いて北に延びる街道を進む。耕地の景色が終わると徐々に岩山と森林が迫り、開けた土地は徐々に狭くなる。最終的には細い街道となり、戦闘を行えば横に百人並ぶのがやっと、という地形になる。
「おお!」
アルフリスが思わず嘆息した。三日前まで街道と荒れ地だけの景色だった筈の場所が、橙色の花畑に変わっていたからだ。
兵士たちが場違いに穏やかな光景を見て顔をほころばす。無論、リーシの厳命により花畑に近寄る者はいない。
(この広大な花畑が全て落とし穴だとは、我が軍の規模からしても敵が想像することはできまい)
アルフリスは左右に広がる可憐な兵器を見やり、小さく頷いた。




