第百二十話 『萌芽に湧く者』
イルグネ防衛戦以降、イルグネの町には国内各所に潜伏していた者たちが続々と舞い戻ってきていた。
未だ危険と隣り合わせであるイルグネに敢えて戻る者たちは、国土奪還への強い思いを持っていた。リーシが、自身を仮の統治者と呼び、王族の血を引く者が発見され次第権力を返還すると宣言したことも、彼女とイルグネ義勇軍への信頼を高めた。それにより、多くの者がウインガルド義勇軍への入隊を志願した。独立後数日で、義勇軍の兵力は千を超えるものとなっていた。
葉月十三日、城門の応急修理の視察と石工関係の手伝いを終えたロベルクとセラーナは、イルグネ城の門前で奇妙な男と鉢合わせした。行商人の出で立ちだが、部下などを一切連れず、小さな箱をひとつ背負った格好で門番に掛け合っている。
なかなか引き下がらない行商人のようだ。困り果てたふたり組の門番はロベルクたちに応援を乞うてきた。
「ああ、ロベルクさん、ナセリアさん、丁度よかった。この商人が『いまの領主に会わせろ』としつこくて……」
「いまの?」
ロベルクとセラーナの警戒心が一段高まる。
一方、相手はといえば、そんなことはお構いなしにふたりへ両手を広げて友好的な仕草を見せた。
「私はウインガルド領を渡り歩いて商売をさせていただいている、ベルフィン商会のハックリーと申します。領主様が変わったことは、町に入ってから知りました。お祝いと、お近付きの印に、品物をお安くお売りできたらと思うのですが」
イルグネはジオ帝国内の傀儡政権として統制を受けてきた。商品は不当な高額で流通させられており、安売りは勿論、適正価格で商売しようとすれば、発覚し次第商会ごと取り潰しを受ける。この三年、そういう制度の中で経済が回されているのを知っていてなお、害意のない笑顔で安売りを提案するハックリーの言葉は、商人としての行動原理を逸脱している。
ロベルクはこの行商人の奇妙な行動の真意を知りたくなった。
「どんな品を?」
「リアノイ・エセナ産の塩漬け肉、イルグナッシュ産の蒸留酒、綿紗、小麦粉など。あとはなま物を用意してございます」
「なま物?」
頷いたハックリーは、背中の箱を下ろすと、中から小箱を取り出す。中は宝石の散りばめられた首飾りだった。
「……なま物じゃないな」
「いえいえ。これは単なる献上品。前の領主様はこういったものがお好きでしたが、どうでもよろしい。なま物のほうは、偶然入手いたしました北方の珍味。蠢いておりますが、今の領主様には美味しくご賞味いただけることでしょう」
ハックリーの言葉は煙に巻くようだったが、それが喩えるものの殺伐とした正体は、重い空気とともに伝わった。
「どこにあるんだ?」
ロベルクの問いにハックリーは己の頭を指さした。
「こちらにて大切に保管してございます。ですが、ご賞味いただけるのはあと数日……精々六日といったところでしょう。いかがです?」
売り物は軍需物資にあたるものばかり。そして商会存続の危険を冒してイルグネに肩入れしようとしている。さらには急を要する情報を持っていることを仄めかしている。
「あなたに利のない話ばかりだ。この三年、ウインガルド人が商売をするといったことをすれば、大変なご苦労があったことだろう。ここでイルグネに肩入れすれば、利がないどころか、あなたは商会ごと消される可能性だってある」
「利? 利、ですと!?」
ハックリーの顔から笑顔が消えた。ほんの一瞬だけ歴戦の商人としての鋭い眼光が迸ったが、それはすぐに笑顔で覆い隠された。
「失礼、ロベルクさん……利はあるのです。私はこの三年、商会の未来を賭ける対象を失っていました。我々ウインガルドの民は、賭けの対象すら奪われていました。それがいま、目の前にウインガルド人によるウインガルドが復活しました。正直分が悪い賭けです。ですがウインガルドの民として賭けずにいられましょうか!」
情熱を押し隠して語るハックリー。自信か蛮勇か、すさまじい行動力である。
現時点でロベルクの頭の中では、この行商人を受け入れる利点よりも、いま彼をイルグナッシュに戻す危険性の方が大きかった。
セラーナにちらと視線を送る。フードの中で頷く動き。ロベルクは門番に提案した。
「彼と商談してみてはどうだろう。但し、初めは仮領主様ではなく、副官殿に引き合わせる、というのは……?」
「ロベルクさんがそういうのなら」
早速門番の一人が場内へ走り、ハックリーはイルグネへの入城を果たした。
ロベルクとセラーナがハックリーを連れて応接で待っていると、間を置かずに扉が開かれた。
いつもはリーシの背後に控えている大柄な副官が、ふたりの護衛を連れて入ってくる。
「おお、あなたが副官殿で」
「クスターと申す」
ハックリーはソファから弾かれたように立ち上がると、深々と頭を下げた。
クスターと名乗った副官は礼を返すと、すぐに着席を勧め、自身も向かいのソファに腰を掛けた。
「それで、貴殿が持ってきたという『生もの』についてだが……残念ながら余り高価なものは買えない」
「そんなことは結構でございます。意思決定できるお方にまみえるのが私の目的ですから」
意外な言葉に軽い驚きの色を見せるクスター。
ハックリーはそのまま言葉を続けた。
「ジオの軍勢が迫っております。六日後には北の城門前はジオ兵で溢れていることでしょう。何卒ご対策を!」
急に咳き込むような勢いで捲し立てるハックリー。
緊張を孕んだ沈黙が部屋を支配した。
クスターが唸る。
「『生もの』とは……その情報か……」
「おっしゃるとおりでございます」
腕組みをするクスター。副官とはいえ、独断で扱うにはあまりにも急で、重い情報だった。
彼は唸るように言葉を発した。
「……ふたつ、腑に落ちないことがある。言っていることが仮に事実だとすれば貴殿の今後の商売に差し障るし、提供した貴殿は身の危険に晒される。貴殿の得がなにもない。ふたつめに、我々がジオ兵を追放したのが八日前。イルグナッシュにその情報が届くのに早くとも九日、魔獣軍から馬を供与されたとしても六日掛かる。傀儡政権があったイルグネをなんのきっかけもなく攻める理由はないし、報復にしては情報が伝わるのが早すぎる」
「ごもっともです」
予想された反応にハックリーは頷いた。
「……ロベルクさんには申し上げましたが、これは私の賭けです。分が悪い賭けだと思います。ですが、このままジオ帝国に搾取されて先細るよりも、ここで祖国ウインガルドに賭け、『真っ先に馳せ参じた商会』として名を残したいという、欲望でございます。出陣の時期については、私からはなんとも。偶然その時期に出陣するつもりだったのか、あるいは……何らかの手段で知ることができたのか」
「何らかの手段……だと⁉」
はっとするロベルク。一同の視線が集まる。
「どうした、ロベルク。心当たりでもあるのか?」
「リーシ……僕たちは、何らかの手段で心を操られて襲ってきた敵を知っている」
「ジオ魔獣軍、か……」
ハックリーを待たせ、ロベルクたちが向かった先は貴族の捕虜を監禁するための部屋だった。
牢番をする兵士が覗き窓から安全を確認すると扉を開く。
獄卒であるトーニエは、鉄の手枷ごと書き物机に向かい、なにか記しているところだった。扉の前に並ぶ物々しい面々に一瞬目を丸くしたが、落ち着いた様子で立ち上がる。両の掌を見せているのは、やましいことがないことの意思表示だ。
「どうしましたか?」
「教えてほしいことがある。額冠についてだ」
「額冠……『操魔の額冠』」
トーニエは暫し眉根を寄せていたが、それを振り払うように「どうぞ」と促した。
「あなたは額冠に操られ、また額冠を使って魔獣を操っていた。額冠にはなにか思念のようなものを遠くから受け取ったり、遠くに飛ばしたりできる力があるんじゃあないか?」
ロベルクの問いにトーニエは頷いた。
「はい。魔獣軍の五人の将軍は、それぞれが額冠を通して考えをやりとりすることができます。五人は思考が繋がっていました」
「逆に言えば、トーニエさんの思考が途切れたとき、別な将軍たちはそれを知ることができるということだな?」
「そういうことになると思います」
「……ありがとう」
落ち着いて扉を閉め、牢番が施錠するのを確認すると、ロベルクはセラーナや義勇軍の面々がついてきていたことさえ忘れたような早足で監禁室を離れる。
「どうしたの、ロベルク?」
セラーナに呼び止められて、ようやくロベルクは足を止めた。監禁室と応接室からは十分離れた位置で、ロベルクは振り返る。
「どうやら、行商人殿の情報は確かなようだ」
「なんと⁉」
リーシが小さく叫んだ。
ロベルクの顔が緊張に引き締まる。
「彼に詳しく話を聞こう。急いだ方がいい」




