第百十七話 『大将軍、動く』
トーニエの尋問から遡ること二日。
「!」
ウインガルド王国首都、リアノイ・エセナの王城。
謁見室では、フェル・フォーレン聖騎士団大将軍フォラントゥーリが急に頭を跳ね上げたのに反応して、一同が弾かれたようにかれに視線を向けた。フォラントゥーリの黒いフードの中は相変わらず闇の中で表情を窺い知ることはできない。だが、いつも落ち着いた言動のフォラントゥーリが見せた機敏な動きにその場の一同が動揺するには十分すぎた。
ヴォルワーグ皇子が代表して口を開く。
「どうした、フォラントゥーリ」
「いえ、胸騒ぎがしたもので」
「勿体ぶるな。精霊がなにか情報をもたらしたのではないのか?」
「殿下にはかないませんな」
フォラントゥーリは世辞を一つ言うと、ヴォルワーグに向かって深く頭を下げた。
「南方……イルグネの町において、戦闘が行われたようです。そして、誠に恐れ多いことながら、我が軍に被害が出た模様……」
「なに……」
ヴォルワーグの片眉が跳ね上がる。
「懐柔しようとしたのが裏目に出たか」
「まこと、忘恩の徒と申して差し支えない所業でございます」
ヴォルワーグの頭が震えるように傾げられる。まるで炸裂する怒りを押し殺そうとしているかのようだ。が、その発作的な動きも次第に収まり、彼は落ち着きを取り戻した。
「殺すか」
「それもよろしゅうございましょう」
ヴォルワーグの「殺すか」が「町の者を皆殺しにするか」という意味を含んでいることを承知した上で、フォラントゥーリは首肯する。
「……では、レサーレ殿と共に協議いたしますので、我々はこれにて」
「うむ」
不機嫌な主に背を向けて、二人の大将軍は謁見質を退いた。
広い廊下を通り抜け、二人はフォラントゥーリの執務室へと入る。
大将軍はそれぞれが巨大な権限を有するがゆえ、共同で行動をするときは上下関係を作らないよう、どちらの執務室でもない広間などで協議を行う。だがレサーレは、廊下でこそフォラントゥーリと横に並んで歩いてはいたが、そのままフォラントゥーリの執務室へと入っていった。
重厚な扉を注意深く締めるレサーレ。フォラントゥーリが執務机の前で振り返ると、向かい合うようにレサーレが立った。部屋には二人きり。覗き盗み聞きの輩はいない。
「……トニーダが身に付けていた『操魔の額冠』が、取り外された。恐らく第五軍は全滅だろう」
「そうですか」
フォラントゥーリの黒いフードの中からは、先ほどの慇懃な様子は微塵も感じられない。一方でレサーレの口調は、相変わらず感情の乏しい受け答えだった。
「では、トニーダは本来の自分を取り戻した、ということですね」
「そういうことになるな。今頃、罪の意識に苛まれ、自ら命を絶っているかも知れんな」
感情の差こそあれ、二人から後ろめたさは感じられない。
「お前と違って、魔獣と共に自分自身が操られていたという事実は意識できないようになっているからな」
「はい、フォラントゥーリ様」
レサーレの感情は相変わらず起伏が乏しいが、微かに頬を染め、誇らしさが垣間見える。
「額冠の適性を見抜いてくださり、ヴォルワーグ殿下の後宮候補から救い出してくださったフォラントゥーリ様には、感謝しかありません」
「お前の『操魔の額冠』に対する適性は、歴代の大将軍と比較しても圧倒的だ。ヴォルワーグ殿下の後宮に沈めてしまうには惜しい。それだけだ」
「それでも、です。人としての矜持を守ってくださった。御使い様には、卑小な人間の喜びなどわかりますまい」
「かも知れぬ」
レサーレの心酔しきった視線を浴び、フォラントゥーリの闇に染まった口元が人としての満足を体感したかのように綻んだ。
「それにしても……額冠の人格操作で『感情の起伏を消してくれ』と申し出てきたときには、なかなか面白い拾いものをしたと思ったものだ」
「ええ。そうでもせねば、憎しみを押し殺してヴォルワーグ殿下にお仕えすることなどできようはずがないですから」
「感情を消されてなお溢れ出る心の動きが、実に愉しい」
「大きすぎる感情は器から零れるのでありましょう」
フォラントゥーリの手がレサーレに伸び、肩の長さで切られた亜麻色の髪を梳く。「こうすれば自分を好く女が喜ぶだろう」という事務的な動きだが、それがわかっていてもレサーレは無表情な瞳に恍惚の光を灯した。黒いフードの口元が、レサーレの耳に近づく。
「……イルグネを、殲滅する」
「はい……」
「魔獣軍全軍で行け。さらにサンバース公にも出師を願う。明日までに皇子命を発令していただく」
「では、私は本隊とは別動で出発し、サンバース公に出師の命令をお伝えしましょう」
「それがよい」
身を離した二人の表情は、既に冷徹な大将軍のものに戻っていた。
「レサーレ殿、健闘を祈る」
「フォラントゥーリ殿も、留守居中つつがなく過ごすことができますよう」
レサーレが退室する。
残されたフォラントゥーリは遮る者がいなくなった扉に目をやり、微笑んだ。
「『命ある者』から沸き立つ混沌は、まことに愛おしい。特にお前は……」




