第百十四話 『防衛』
門前広場。
重い摩擦音と共に、急ごしらえのつっかえ棒が折れた。
同時に泣き幽霊の金切り声のような音を響かせ、門扉の閂が取り付けられた金具ごと弾け飛ぶ。
見上げるような分厚い門扉がこじ開けられ、シデロケラスが頭を押し込んでくる。が、余りに門扉が重いため、身体が通り抜ける隙間を空けるのに苦心しているようだ。
「来るぞ! 集中しろ!」
アルフリスが怒鳴る。
ロベルクはシャルレグを呼び出し、扉が動かぬよう氷の楔を打ち込む。
シデロケラスは門扉が動かなくなったのを感じ、再度体当たりすべく後退した。
「落ち着け!奴は単にでかくて硬いだけ……いや」
アルフリスが兵士を鼓舞すべく声を張り上げかけ、止めた。
開き掛けの門扉から現れたのはシデロケラスの頭ではなかった。焦げ色の体躯に炎を纏わせた、シデロケラスより小型の、それでも十分大きな四つ足の魔獣。
「違う! 最初に来るのは火炎蜥蜴だ!」
火炎蜥蜴は広場に一瞥をくれると、まっすぐに一番弱いところ――道を封鎖する一般兵の方へ掛けだした。
「いけない!」
ロベルクは自分に眼もくれず駆け抜ける火炎蜥蜴に、直接打撃を加える機会を逸した。
「シャルレグ! 火炎蜥蜴の火の精霊を奪え!」
シャルレグは頷くと、冷気を纏い火炎蜥蜴へ向けて羽ばたく。そのまま火炎蜥蜴の背から吹き上がる炎に噛み付くと、先程水を掛けただけでは全く効果がなかった火が嘘のように消え失せた。
真夏に一陣の涼風を浴びたアルフリスは、兜の中で笑みを浮かべた。
「目の前の魔獣がただの巨大蜥蜴になったぞ!」
「我が再生力を一時的に向上させたから、欠損でもしない限り戦えるよ! 欠損しても戦が終わったら生やしてあげるよ!」
メイハースレアルも横から叱咤する。一瞬怯んだ兵たちの心に再び戦意の炎が灯った。
「この街路担当の部隊だけで片付ける! 牙と爪に気をつけて……かかれ!」
アルフリスと兵たちは武器を振り上げ、鬨の声を上げながら火炎蜥蜴へと殺到した。
兵士たちの士気回復に一息つく間もなく、門扉から激しい衝突音が鳴り響く。振り返れば、城門がシデロケラスの突撃によって抉じ開けられ、巨体が勢い余って広場の中央へと走り込んでくるところだった。
「思ったより早い!」
ロベルクがシャルレグに次の命令を与えるべく精神を集中する。
それより早く、門前広場の石畳を突き破って氷柱が林立し、馬車よりも大きなシデロケラスの身体を空中に跳ね飛ばす。巨体は氷柱を砕きながら落下し、足に響くほどの地響きを立てた。
「フィスィアーダか?」
「雑に作ったから刺さらなかった。でもかえって暴れなくなって好都合」
フィスィアーダは大剣を無造作に構えると倒れたシデロケラスの元に走り込み、鉄の皮膚を持ったその首を一太刀で落としてしまった。
あまりに呆気ない最期に、待機中の兵たちは唖然とする。
「集中するんだ! 次が来るぞ!」
ロベルクが激励する。
ほぼ同時に、抉じ開けられた城門からミノタウロスとマンティコアが侵入してきた。
待機中の兵たちがどよめく。アルフリスの倍はありそうな身長を持つ牛頭の巨人と、獅子の身体に老爺の頭を持つ異形の怪物だ。知らぬ者はその姿に、知る者は撒き散らすであろう災厄に震え上がった。街路を塞ぐべく三手に分かれた兵など、簡単に蹴散らされてしまうだろう。
魔獣たちに続いて、魔獣軍の部隊が侵入してくる。人間と妖精で編成された部隊は魔獣たちのような強引さはなく、石落としを警戒しつつ侵入し、門前広場からの射撃を警戒しながら展開、門扉のすぐ内側に整然と布陣した。中央には揃いの黒い肩当てを身に着けた四名の魔獣使い、すなわち隊長格だ。それを守るように半円を描く防御型の陣形を敷いている。魔獣使いが攻撃の要である魔獣軍ならではの運用だ。
中央の隊長が広場を見渡した。周囲と明らかに身のこなしが違うロベルクとフィスィアーダの姿を見つけると、握った鞭の先で指し示す。二体の魔獣は周囲への威圧をぴたりとやめると、ロベルクとフィスィアーダにまっすぐ向かってきた。
「この魔獣たち、操られてるよ」
「成程。『魔獣軍』とはそういうことか」
魔獣と正対するひとりと一柱。
ロベルクの前には、変幻自在な間合いを持つマンティコア。
フィスィアーダの前には膂力で押すミノタウロス。
「戦士でないから手数で攻めてくる、と」
「我の目方が小さいから、大質量で押そうということだね」
ふたりは得物の切っ先を敵に向けた。
重心下げ、『月の剣』の技を繰り出そうとしたロベルクの視野の端に、赤いものがちらついた。
城壁の端に立ったセラーナの背だ。
彼女はそのまま、何の躊躇もなく後方に跳ぶ。
(セラーナっ!)
咄嗟にロベルクは眼の前に氷の壁を発生させてマンティコアとの空間を遮ると、セラーナの落下点に向けて疾走した。
「フィスィアーダ、あとは頼む!」
「主?」
フィスィアーダに二体の魔獣を任せて、ロベルクは戦線を移動した。
城壁では、セラーナの体重を追加されて飛行を維持できなくなったワイバーンが、緩やかに高度を下げつつあるところだった。その下ではセラーナが空中で揺れている――いや、細い糸状のものにぶら下がっている。鎖分銅に仕込んだ糸に自身の体重を掛け、ワイバーンを落下させたのだ。力強いワイバーンといえど、ふたりの体重を受け止めては機敏に飛ぶことなどできない。
「っ!」
ロベルクはワイバーンの足が城壁の縁を掴もうとするところを睨みつけた。次の瞬間には空中に無数の雹が発生する。一瞬で拳より大きく成長した雹は風切り音を伴って城壁に着弾し、ワイバーンの足場を抉り取った。
ワイバーンの片足にも数発が命中する。足からは血が拭きだし、指の一本を消し飛す。
セラーナはワイバーンの墜落を確信すると、糸から手を離した。
「ごめんね。連れてきちゃった」
「いや、お手柄だよ」
ロベルクは駆け寄ってきたセラーナに微笑むと、再びワイバーンに視線を向けた。シャルレグが反応し、雹が発生する。投石機を遙かに上回る初速で打ち出された雹は、今度はワイバーンの翼をぼろ布のように引き裂いた。
墜落するワイバーン。身長の二倍程度の高さだったために落下による損傷はないようだ。怪我をした足で着地した痛みから、ワイバーンが吠える。
「よくも私の可愛いバルトアを……」
トニーダが鞍から下りる。騎乗して体重を掛けるより、下りて別々に戦った方がワイバーンに負担が掛からず、攻撃の手数も増えるという考えだ。
「共同統治などと言ってウインガルド残党をのさばらせていた甘さが招いた反乱よ。私はそのような者どもを見逃さない。覚悟はできていような」
「魔獣軍は北に向かっていたはずだ。方向転換などしなければ、このようなことにはならずに済んだ」
「あなたが余計なお節介を始めたから、やり返されたのよ」
口撃の応酬をしつつ、ロベルクとセラーナは慎重に武器を構える。
「……やはり、災いの芽は摘むべきと確信した」
トニーダは槍を鞍の鞘に戻すと、鞍から小剣を取り出した。右手に小剣、左手に鞭を構え、あらゆる間合いに対応できる構えだ。
その上空にはワイバーン。力強い体躯から生える牙と片足の鉤爪、そして毒針を備えた尾は健在だ。
ロベルクとセラーナは改めて切っ先を敵へと向ける。
「僕たちで、やるよ」
「うん」
互いを視野の端で確認しながら、二人は頷き合った。




