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第十話 『初陣』

 前日まで二千人だった聖兵が一夜にして六千人になる異常事態に、中軍の聖騎士たちもざわめいた。


「静粛に」


 レイスリッドがたしなめた。


「これは俺がかけた『蜃気楼の魔法』である。三分の二は幻だ」


 風の精霊に働きかけ、大気の密度を調節することで、実在しない場所に幻を出現させている。規模の大きさ、通常は反転して現れる蜃気楼の調整なども含めて、風の精霊を支配するレイスリッドならではの大規模魔法である。


 聖騎士たちは半信半疑な表情をしながらも、会話を止めた。敵軍に目を移せば、クロスボウを構えた軽装歩兵を先陣に、二列目に騎士、三列目に重装歩兵が並んで迫っている。彼らが見えざる動揺に包まれていることは、霧の消滅と共に目標がこちらの中軍からやや左翼寄りにずれ始めていることからも明らかだ。


「さあ、やるか」


 レイスリッドは敵陣をまるで花畑のように見渡しながら、剣の柄のような短い杖を取り出した。先端は爪のような物が四本、飛び出している。


「俺が元ジオ帝国大将軍であった所以を見せる」


 レイスリッドが短く気合いを入れると、杖の先端が輝きだした。


「『新しき魔法』か?」


 聖騎士たちが興味津々で見守る中、杖の光は輝きを増していく。


 東エトラルカ大陸では『新しき魔法』と呼び、妖精たちは『古き魔法』と呼ぶ、精霊魔法とは全く違う力を源とする太古の術。それは、あらゆるものの狭間を満たす見えざる物質『界子』に、魔力と言霊で力の方向性を与える、もしくは抑えるという魔法である。


「我々はそれを、『界子衡法』と呼んでいる」


 上空に白く輝く光が現れた。それは数を増し、百を超えた光球は戦場を明るく照らし出した。


「セルトヌーク・エルセローム・ソルゲドルクシー!」


 レイスリッドが呪文を唱えた。


 軋むような音を立て、光球が敵に向かって一斉に襲いかかる。


 向かって右側、敵軍の中央よりやや左翼寄りの若干手前から着弾を始めた光球は、爆発音とともに土煙を上げ、兵たちをなぎ倒す。


 少し遅れて、悲鳴と怒号が聞こえてきた。見れば、魔法を受けた場所は大地が抉れ、そこに並んでいたはずの兵の姿はない。


 聖騎士たちはしばし進軍をやめ、魔法の破壊力に目を奪われた。


「何をしている。やれ」


 レイスリッドがロベルクを促す。


 ロベルクは、界子衡法の強烈な威力に見入っていたが、レイスリッドの声に作戦行動中であることを思い出し、急いで氷の王シャルレグを召喚した。


「雪よ、刃となって吹き荒れよ!」


 半ば恐慌状態になっていた敵軍が白いもやに包まれた。一瞬の後、それが血の色に変化する。視界が遮られている分、赤いもやの中で繰り広げられている地獄絵図が皆の脳裏で想像された。


 もやが晴れる。


 先頭の軽装歩兵が皆、糸が切れた操り人形ように崩れ落ちた。鎧を着た兵や毛皮のある馬たちは、何とか踏みとどまったようだ。


 敵とは言え、その惨状を目の当たりにして、周囲で半ば血の気を失っているヴィナバード軍の兵たち。そんな初々しい姿を尻目に、ロベルクは今しがたの魔法について、まるで鞠の投げ方が拙かったかのように反省する。


「力を使い切れていない気がする。まだ覚えることはありそうだ」

「いや。破壊力はいまいちだが、かえって恐怖を植え付けることができたようだ。ロベルク、精霊使いになり立てにしては上出来だと思うぞ」


 レイスリッドは指導者らしく、初めての魔法攻撃を褒める。何万という将兵を手に掛けてきた彼は気付かなかったが、ロベルクが自身の魔法で敵を殺めることについて良心の呵責や恐怖感が凍り付いていることこそ、実は即戦力として重要な要素であった。


 そろそろ始めるぞ、とレイスリッドが言ったのと、敵軍の進軍の合図が鳴ったのは、ほぼ同時だった。


 レスティカーザ軍の主力、騎士と重装歩兵がクロスボウ隊の隙間から進み出て、こちらの中軍と左翼との狭間を狙って移動を開始した。


 騎士の突進力で、陣を分断しようという作戦のようだ。


 浮き足立ってはいるが、まだ統率がとれている。


 しかし、敵の騎士たちが加速を開始しようとした瞬間を狙って、聖兵の陣から矢が放たれた。


 矢はクロスボウの常識に則らず斜め上方に放たれ、レスティカーザ軍の頭上から降り注ぐ。速度の遅い重装歩兵は避けきれず、盾をかざして防御姿勢をとり、結果として騎士隊と分断される形になった。先行できた騎士達も、一見すると六千のクロスボウから放たれているように見える矢の雨を目にし、下手に矢衾の中に突撃するわけにもいかず、最大の武器であるその速度に陰りが見られた。


「聖兵達は半数ずつ、二交代で矢を放っているのか」

「ロベルクはよく見ているな。さすがレナ隊長と言ったところか、間の取り方が上手い。クロスボウの発射間隔の長さをうまく打ち消し、また本当の人数を悟らせにくくする戦法だ」


 ロベルクとレイスリッドがレナの指揮に感心している眼前で、敵の隊列が乱れた。当初の進軍方向を無視して、どんどんこちらの左翼側にずれて進んでいく。


 レスティカーザの騎士たちが長大な騎兵槍を構えた。残存兵力で突破口を開く気のようだ。


 いよいよ聖騎士の出番である。


「突撃!」


 ラッパに合わせて、中軍にて待機していたラインク麾下の聖騎士たちが騎兵槍を水平に構え、馬に鞭を当てる。敵の左側面、こちらから見ると右から抉り込むように、百二十五騎が一斉に駆け出した。


 左翼のマイノール隊は、騎兵槍を水平に構えたまま、微動だにしない。まるで、敵が突き刺さるのを待っているかのようだ。


 この時点で、もはや戦争の体を為してはいなかった。隊の左側面を圧迫されたレスティカーザ軍は瓦解し、正面のマイノール隊を避けて我先にと森へ逃げ込んでいく。視界の届かない場所なら逃げ延びられると考えたのだろう。しかし、そこは森妖精の領域だった。一人、また一人と、レスティカーザの将兵は音もなく射殺されていった。出遅れた重装歩兵たちは森に立ち入る者が少なく、幸運だったと言える。


 ラインクは攻撃を終了させた。捕食者に追われた蟻の群れのように右往左往しているレスティカーザ騎士に一瞥をくれると、そのまま速度を殺さずにマイノール隊の隙間に駆け込み始める。


 異変はこの時起こった。


 混乱の坩堝にあり、捕虜になるのを待つばかりであったはずのレスティカーザ騎士たちの中から鬨の声が上がる。坩堝の中に渦ができ、そこから奔流が溢れ出た。その先陣を切ったのは、一際逞しい軍馬に跨がった板金鎧の男。


「ダストンだ!」

「ダストンの特攻だぁ!」


 混乱から醒めたレスティカーザ軍の一団が、背を向けて撤退中のラインク隊に襲いかかる。ダストン男爵の勇名は近隣に知られており、その名を聞いた聖騎士達は兜の中の顔を真っ青にして、必死で馬に鞭を当てる。恐慌状態に陥らなかったことはさすがと言えよう。


「まずい!」


 視力、聴力共に人間より優れているロベルクが、いち早く事態を理解し、反応した。彼は剣を鞘から引き抜くと、周囲が止める声を上げる間もなく衝突の中心へと駆け出した。





「ちぃっ」


 撤退の指揮を執っていたラインクが馬首をめぐらせた。


「総員、マイノール隊の後方で隊列を組み直せ! 殿しんがりは私が引き受ける」


 そう叫ぶと、ラインクは騎兵槍を抱え直し、斜め上方に差し上げて挑発する。


 ダストンが一騎だけ残ったその姿に、獲物を見つけた熊のように獰猛な笑みを浮かべた。


「ラウシヴ聖騎士団長、ラインク・リファか! せめて貴殿の首を貰い受ける!」


 叫ぶや否や、ダストンは相手が聖職者である事など意にも介さずに突撃する。部下も雄叫びを上げてそれに倣った。


 数名の聖騎士がそれを食い止めようとラインクの前まで馬を進めるが、敵の勢いに抗しきれず、馬ごとはじき飛ばされた。


 ラインクはその槍の穂先を、長盾で受け流す。そしてすり抜けざまに、先頭を走るダストンに必殺の一撃を突き込んだ。軍馬の突進力を上乗せされた重い突き。ダストンは盾を持つ左肩を、肩当てごと貫かれた。


「ぬっ⁉」


 違和感を感じたのはラインクの方だった。咄嗟に騎兵槍を手放し、長剣に手を伸ばすと同時に半ば本能的に身を伏せる。一瞬遅れて、彼の頭があった場所を先程手放した騎兵槍の柄が通り過ぎたのだ。


「くぅっ!」


 肩に刺さったままの騎兵槍を力任せに振り回し、打ちつけようとしていたダストンは初めて苦痛の表情を浮かべる。


「ダストン、惜しい男だ。それ程の器量がありながら、妖精狩りなどと言う暴挙に手を貸すか」

「爵位は有れども、俺は所詮雇われ将軍よ。理想を食っても腹は膨らまん!」


 その言葉に同意するように、ラインクの死角にいたレスティカーザ騎士が槍を繰り出す。

 ラインクは気配を察して身をかわすが、馬の反応が一瞬遅れた。槍の穂先は馬の後足に刺さり、身を振り立てる。ラインクは鞍から振り落とされ、地面にしたたかに打ちつけられた。身体を回転させて起き上がったのはさすが騎士団長と言った実力だが、彼の周りには既に複数の槍が並び、その身を貫こうと穂先を向けていた。


「卑怯だと思ってくれて構わん」


 ダストンは素早く体勢を整えたラインクを示し、やれ、と短く命令した。忠実でよく訓練された部下達は、それに素早く反応し、槍を振り上げる。


 しかし、それが突き下ろされることはなかった。レスティカーザ騎士達が槍を持つ腕が固まったように動きを止めている。よく見ると、肘当てや籠手には白い天鵞絨のように霜が広がっていた。腕を覆う鎧の中は一瞬の間に関節を中心に凍らされ、既に腕をぷるぷると痙攣させるくらいしかできなくなっていた。


「間に合った……」


 敵の異常に乗じて立ち上がり、間合いを取ったラインクの視界に、短い緑のマントを羽織り、煌めく長剣を手にして駆け寄ってくる半森妖精の姿が捉えられた。ロベルクだ。空中には氷の王シャルレグの姿も見える。


「助かったぞ、ロベルク!」


 ラインクの呼びかけをロベルクの耳が捕らえた。


 ロベルクは自分の援護が間に合ったことを確認すると、走るのをやめて呼吸を整えながら戦場との距離を縮めた。歩きながら長剣でレスティカーザ騎士を指し示すと、シャルレグに向かって命令を飛ばす。


「凝結。僕たちに敵対する者どもの刃を、その身ごと封じろ!」


 その言葉に、シャルレグが無音の雄叫びを上げる。すると、兜の隙間から苦悶の声を漏らしていたレスティカーザ騎士の腕が見る見る氷に覆われ、肩から先が完全に固定されてしまった。


「な……何だ、これは?」

「助けてくれぇ!」


 不格好に片手を挙げ続けるレスティカーザ騎士達は、その身に起こった異常に二度目の恐慌状態となった。さらに後方では、巨大なドラゴンの姿をしたシャルレグを遠目に見た重装歩兵達が、恐怖の余り規律を失い、剣も盾も放り出して我先に逃げ出し始めている。


「今です、マイノール隊長!」


 ロベルクの叫びに我に返ったマイノールが片手を挙げ、振り下ろす。引き絞られた弓のように力を溜めていたマイノール隊は、今まで静止していた鬱憤を晴らすかのような勢いでレスティカーザの残存勢力に飛びかかり、片っ端から捕縛していった。


 レスティカーザ軍はついに完全に崩壊した。


 ヴィナバード軍は重傷者を数名出すも死者はなし。完全な勝利である。

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