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臭気を吐き散らす悪性――その4

  

 唯一神へ胡散臭さを抱いた崇拝者は、その迷夜を掻き分けようとする両手に摑まされた黒い弾力性の強かなゴムに目を落とし、猜疑心に満ち溢れた表情を吊るしてボヤく。


「あの――これって?」


 部室へ通されてからすぐに手渡された二つのゴム製のコルク状の物体を細やかに突き出しながら乞う先。真剣な面持ちか、それとも椅子にもたれたままの微睡む心地に夢を広げて見せているのか――向かい合う千里は、静かに目を瞑った状態で静止したまま不動の様を従事する。

 何らかの集中力を高めている最中らしい千里に代わると言わんばかりに、視界の傍から郁刃の不意打ちが見舞われる。


「耳栓だよ、ただの」

「えっ」


 虚を突かれた戸惑い、困惑の顔ではない。渡された物の正体を知ったが故に生じた当然の疑問だった。

 向かわせる視線が相対した郁刃は、あっけらかんとした平常時の様相。それはまるで、自分の抱いた疑問こそが誤った感情であるかのように思わせてくる。


「約束事の一つです。祓いの儀が終わるまで決して、その栓を抜かないで下さい」


 遮光したままの瞼を向けながら千里が口を開く。これまでと同様、言葉遣いや声音の類に変化は見られないのだが。しかし、決定的な違和感を知佳は感じ取っていた。


 ――淀んでいる。


 直感にも似た、理性が導き出した正確無比な考察ではない、もっと感覚的で不確かな情報。だが、確かに彼女の目は捉えていた。千里の口元の空間が僅かに、ほんの些細な揺らぎを見せていたのを。


「わ、分かりました……よろしく、お願いします」


 従う他に選択肢などない。首元へ刃先を当てがわれているような錯覚が彼女を頷かせる。


「あと、コレね」


 従順に手懐けられた犬も同然となった様へ付け込んでか、郁刃は以前にも渡された黒地のアイマスクを差し出してくる。

 聴覚に次いで視覚。人間(ヒト)にとって主要となる二つの感覚を奪うことに、いったいどんな意味合いが含まれているというのだろうか。

 疑問に猜疑。果ても底も見えて来ない未知の領域は海原の奥底――深海の暗がりと圧迫感を模して、知佳の不安を凝り固める。そうして、ようやく至る。

 この空間は今――自身の叡智を通り越した別次元の世界だということに。




 三者の沈黙が降らした静寂の帳はきめ細かく、微量な雑音の一切を排していた。窓際より漏れ聞こえる夏の音でさえ、この静寂は呑み込んで掻き消す。


「それでは、お話しをしましょうか」


 張り詰めた緊迫の糸は解れることなく、更なる引き絞りに耐えて居座る。頑なに。


「そう、慌てる必要なんてないわよ」


 穏やかな語り部に対する聞き手の姿勢は、劣悪だった。

 知佳の閉じている両脇からもくもく、と溢れ行く暗雲はまるで、対峙する千里への敵愾心を体現するかの如く、徐々に明確な像を象って行く。

 その柔な感触を味わおうと、思わず一触してしまいそうな見掛けを成した暗雲は鋭い眼を繕ってか、それに価する箇所を凹まして形作る。


「それがあなたの本体? ――いいえ、違うわよね」


 一方的な問いである。彼女の行う対話とは、その定義を著しく侮辱したものであるのだ。

 対峙する悪性へ語り聞かせる口は持っていても、それらが放つ返答へ傾ける耳を持ち合わせてはいない。だからこそ彼女の対話とは名ばかりの、一方的な一人語り。独善的なワンサイドのゲームなのである。

 必死に何かを訴えかけてきているのか。悪性の柔で豊満な球体は独りよがりの語り部へ向け、先から大きく変貌を繰り返している。が、


「ごめんなさいね。あなたの言葉を私は聞くことができないの――だから、大人しく本体を晒してくれるかしら? 私だって手荒な真似、したくないの」


 薄く開かれた青い瞳が睨む――と、悪性の動きは鈍る。

 怯んでいるようにも見えるが、千里の眼光は牙を納めることはしない。僅かに後退を見せた悪性へ、今すぐにでも消せるのだ、と脅し聞かせ続ける。

 その刹那、千里の口元が僅かな歪みを見せた。


「これ以上、煩わせないでね」


 キュッ、という擬音でも聞こえてくるのではないか。瞬間的に鋭さを増した睨みが悪性を見据えた途端、知佳の両腕から赤黒い液体が伝って来た。

 服が湿らせれる量を超過して溢れ出す悪性を成していた液体は瞬く間に床の木目を這い出し、千里の、そして窓辺に背を預ける郁刃の足元まで広がる。


「分かったでしょう? あなたが自分から姿を見せずともね、私はあなたを――殺せるの」


 最初からそこには何もなかった。そう思わせられるようにして消滅する暗雲を据え、千里は血涙を流していた。




  ◆



 悪性を相手にした千里はいつも、後味の良い思いをしたことがなかった。自身に備わった奇妙なチカラがこの口だけなら、と。

 下手に見えてしまうからこそ彼女は毎度のこと、合金製でも、不滅の呪術を被っている訳でもない心の器を欠けさせてしまうのである。


「お疲れ様」


 木目の長机に突っ伏した千里の首筋に当てられた缶コーヒーの、不意に襲ってくる冷ややかな感覚に身を大仰なまでに震わせて見せると、上げかけの泣き顔が無言のまま郁刃の悪戯心を責め立てる。


「そんなに辛いなら――」


 しかし、郁刃の言葉尻を斬り伏せたのは他でもない千里の、弱々しく左右へ振れ動く頭だった。


「それでも困ってる人を助けたいから……こんなチカラでも誰かの助けになるって、そう思いたいから」


 夕染の涙の色は鮮血模様か、それとも、純水が紅に染まった物なのか。溢れては滴り落ちる雫らへの詮索をそれ以上、彼女はしようとはしなかった。

 代わりに執った彼女の行動は、ただ自責に首元を締め上げられている後輩を想い、その痩身な身体を抱き締めることだった。

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