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臭気を吐き散らす悪性――その2

 快晴が見下ろす雲たちの、それまた下で行き交う人々の何れか。より限定的に言い表すのなら、黒いフレームの眼鏡でその鬱々とした面相を覆う冴えない男を捜せ、と。

 幾らかの目星さの内、次に黒い短髪を選定する。僅かにでも絞れたハズである。ここまで来れば、後は適当にリストアップされた男性に声を掛けてしまえばいい。積重(つみかさ)月広(つきひろ)という男は、須くそんな人間なのである。

 良くも悪くも、彼は我の弱い人間なのだ。顔立ちはそこらに幾らでも散らばっているような平均点。人の顔が内から漏れた根底に依存するのなら、彼の性格は顔同様、誰かの模倣を繰り返して模られた贋作。物珍しさは皆無。特筆すべき点が無いことが特徴の代物だ。決して粗悪な品質についての苦情は寄せられないが、同時に讃えられる賞賛の言葉も受けない。

 ここまでの無個性を徹底している――もとい、極めてしまった理由が幾つか見受けられるのだが。それのどれもが決定打に欠ける半端なエピソードばかり、烏合の如く集い群がるがしかし、


「よく講堂で会うね」


 小金(こがね)知佳(ちか)には大勢いる積重月広の見分けが付いたらしい。

 社会学の講義を控えた講堂内。半円状をひっくり返したような造りをする空間の、その縁の位置に腰を据えていた月広は不意に聞こえた声に驚く。木目へ落としていた視線は瞬時に右方向へと移ろい、茶けて見える優秀な選別眼を持ち合わす知佳を正面に据え置く。


「あ、あの」


 彼の声の覚束なさは泥酔して千鳥足を模した人間の比ではなく、泳ぎ回る両眼の落ち着きの無さは大海を駆けずり回る鮪か鮫か。浮き足立つのは真に両足ではなく両肩の方であり、その様は心拍の加速度を如実に視覚情報として観る者等へと伝えて行く。

 詰めた言葉でいうなら、挙動不審の四文字に尽きる様相である。


「あ、ごめんね。私は小金知佳」


 女性からの笑みを頂戴する機会を損ない続けてきた月広の今生、その仇がここへ来て露呈し始めていた。彼は今、さぞや恨めしく舌を噛み潰していることだろう。

 取得するまでもない、と排して来た技能――いや違う。蔑ろにして来たのではなく、気付いたら取得し忘れていたスキル。異性との接し方だけでなく、万人との接し方を。


「あ、えと……積重、です」


 彼から眺めて左下。机の下に巣食う暗がりへ焦点を落ち着けた後、告げる。


「ツミカサ……珍しい名前だね」


 惜しくも。依然として固定された視点が阻害するのは春陽の朗らかさ。指折りに数えて有り余る異性の笑顔。


「よく、言われる」

「どんな字を書くの?」


 瞬間に香った甘い匂いに釣られた視線が深海を抜け出す先、沖から見た丘は未だ――春季の色味が満開に咲き誇る、現世の楽園が広まっていた。



 ◆



 甘ったるいラブコメですか。

 心許ない英断を尽くして語り聞かせた月広の労に(むくい)たのは、空っぽの容器に蔓延する珈琲豆の芳香を吸って見せる千里(せんり)の放つ、そんな一言だった。


「お兄ちゃんて以外と、主人公属性?」

「そこで言うとアレか。某ロボットアニメの金字塔、新世紀末アヴァンチュリオンの主役って所だわ」

「はっ――郁刃(いくは)さん、いつの間に!?」


 よ、と。千里の驚嘆に対して返って来るのは、麗人の魅せる男勝りな挨拶。出で立ちだけでも充分、絵面としては優秀に他ならない月波郁刃がその人。そんな彼女が男に勝る素振りを見せようものなら忽ち、そこは宝塚にも引けを取らぬ華やかな舞台上へと変わる。

 スタートアップの壁際、ちょうど四人掛けの席は今、『救済サークル』なる演目のキャスト等が壇上へと揃い踏んでいたのだ。主演は郁刃、助演は千里と。脇を固める役所を請け負うのは、メインキャストの向かいで隣り合って座る二人。

 幕間を終えた舞台が再び動きを見せる。


「イクイク先輩が来てるのって珍しいですね」

「あのさヒマ、そのイクイクとか止めてくれる? まるで私が痴女みたいじゃん」

「ですよね。郁刃さんて痴女、というよりは放浪者の方がお似合いですもんね」

「千里、あんたのそれもかなり酷いから」


 喜劇の様相を呈してきた舞台上。その端に佇む一人はしかし、他の三人とは打って変わり、スポットライトの影で俯くばかり。


「月広くん、どうしたの?」


 不穏に気付いた千里が尋ねると、


「あのっ――少し、外の空気を吸って来ます」


 度に重なったアドリブによる舞台演出の路線変更に耐え切れなくなったのか。サブキャスト――もとい月広は、こんな時ばかりもその小心さを遺憾無く発揮し、テーブルを勢いの欠いた平手で静かに打ち鳴らしてから席を立つ。


「お兄ちゃん?」


 突発的な憤りなのかそれとも、真に外気が恋しくなってのことなのか。その微妙な判定に戸惑った心情をそのままに、擬似的な妹を演じきる陽舞が呼び掛けるのだが。

 一瞥――月広は不安気を醸す褐色の両眼をチラと見やった後、無言のままスタートアップの出入り口である自動開閉式のガラス戸へと歩き進めて行った。

 猫背気味に丸み帯びる背は一文字を模した口同様、何ひとつとして物言わず、ただ能面を晒すのみ。


「怒ってるの、あれ」

「さ、さあ……難しい歳頃なんじゃないんですか?」


 片肘を着いて見送る郁刃の揶揄を秘めた、誰に対してのものでも無い問い掛けに答える千里は言葉を濁すも。彼の分かり辛くも思考を凝らす程でもない明瞭な心情の一端を心得ているつもりになっていた。

 チカさんに対して何か思う所があるのだろう、と。


「あの私、お兄ちゃんを――」


 背もたれに手を掛けながら月広の去って行った方を見やっていた陽舞が椅子を引こうとした瞬間、千里がそれを制す。


「今はさ、独りにさせてあげよう。ね?」

「でも……」


 食い下がろうと、振り返って来たであろう陽舞の表情がそのまま止まる。


「男っていう生き物はさ、どうしてこうもカッコつけたがるんだか……」


 表情のあっけらかんさは変わらずとも。千里が目配せるより前に言い放った郁刃の言葉は、凡そ自分の言いたいことを代弁している、と。吐息交じりに小首を傾げる千里。


「たぶんですけど、彼の場合はカッコをつけているというよりはその……気持ちの伝え方が分からないんじゃないですか?」

「気持ちの伝え方、ね」


 自身の理解が及ばない次元でのやり取りを前に終始、陽舞の顔には疑問符が浮かんでいたのだった。



 飛び出すと称すには些かそれ程の衝撃を与え切れていなかった月広は、待望の外気を両肺に満たしてから一度、それを思い切り吐き出して天を仰ぐ。朝方よりもしつこい姿になった雲たちは、今か今かと泣き喚く準備を虎視眈々と。

 レンズ越しに眼球を焼かされる心配はなくとも、このままいつまでも仰視を続けるには場所が悪い。休みとはいえキャンパス内、それも時網(じもう)大の学生たちが挙って群がる憩いの場の入り口前なのだ。彼の苦手とする環視を今まさに、彼は自ら余計に浴びんとする愚行の真っ最中に他ない。


「……雨、降ってきたような」


 誰に聞かせる訳でもない、妙に大きな独り言で紛らわせつつ当てもない目的地に向かって歩き出す。そんな彼の前を横切る三人組の男子学生等は案の定、彼の心配を他所に各々が語らう話に夢中となり、素通りして行く。

 僕は何を、と。心内でボヤきながら当て所もない旅路へ赴かんとするさなか。ふと耳に、自分の名を短い驚嘆の意を兼ねる声色で呼び止めるのが聞こえ届く。


「こ、小金さん?」

「ああ、やっぱり積重くんだ」


 先に見上げた際には生憎、拝めなかった太陽がそこにはあった。

 夏の陽に劣らぬ笑みは眩しく、直視することは叶わずとも。その陽気に代わる暖かな声音は、彼の冷えてきていた心根の根気を再び奮い立たせてくれる。


「今日はその、どうしたの?」

「どうしたのって……積重くんとこの月波さんに呼ばれたから来たんだよ。あれ、聞いてない?」

「あ――うん」


 詰まらぬ嘘を吐くことが念頭に過ったものの、相当に不毛だと判断してすぐに返す。


「そっか。部室に行ったけど見当たらなくて……どこに居るのか分かる?」

「うん、ここの中だよ」


 半身になって顔ごと視線を送る。


「皆でカフェ、か……いいね、仲良くって」

「え、あ――うん」


 月広は咄嗟に嘘を吐いた。先よりも詰まらないこともないが、今度のもそれなりに不毛な嘘だった。

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