バルヘント 第一節
「ここまで来たら大丈夫かな?」
少女が足を止め、ユーをおろした。
一方、ユーの方は息を切らしてそのまま倒れ込んでしまった。
「はぁ……はぁ……。こ、怖かった……」
少女はユーの頭上に立って覗き込み、膝に手をつけて見下ろした。
「それで、なんであんなとこにいたの?」
「はぁ……はぁ……」
「うん、落ち着いてからで良いや!」
少女は、ユーの隣に来るとごろんと横になった。
ここは風が心地好い。
ゴツゴツした山道から少し離れただけであるが、驚くほど静かで空気が澄んでいる。
ついさっきまで砂埃を散らしながら動き回っていたとは思えないほど、のどかな場所だった。
雲が流れているのを見上げながら、二人はぼんやりと空を眺めていた。
「そういえば自己紹介もまだだったね。ボクはミトって言うんだ。ペリゴ山脈にはちょっとした用事があったんだけど……今はいいや!」
ミトと名乗った少女はむくっと上半身を起こし、ユーの方へ顔を向けた。
「キミはどうしてここに来たの?……っとと、その前に名前教えてもらわなきゃね!」
ユーはある程度呼吸を整えてからゆっくりと話始めた。
「ミトさん、先程は助けていただいてありがとうございました……!えーっと……私はユー・B・エリファスって言います。昨日プリメーロというところから近くの森に行こうと思って歩いてたのですが……よくわからないうちにここまで来てて……」
「プ、プリメーロ!?あそこから来たの!?」
ミトはぎょっとして思わず聞き返した。
「ってそんなわけないね。いや、でも定期便でてたかな……」
「……?」
ミトの声がだんだん小さくつぶやくようになっていったため、後半はほとんど聞き取れなかった。
だが、ユーはなぜミトがそれほどまで驚いていたのかがわからなかった。
まず、ドラゴンに襲われた場所はペリゴ山脈の中程。
現在いるのは同じくペリゴ山脈の麓付近で、港があるバルヘントの近くだ。
一方のプリメーロはここから遥か南方の地に位置する。
はっきり言って数日歩いて移動できるような距離ではない。
そしてここはユーの目指す森とは完全に反対側だ。
こんなことを聞かされれば誰だって驚くだろう。
しかし、ミトは難しいことを考えないようですぐに何気ない話を始めた。
話の内容は特に当たり障りのない世間話や、これまでに経験した面白いエピソードなど様々だ。
会話というよりミトの演説に近い状態で、ずっと一人で話ながら色々なエピソードを聞かせる形になっていた。
話すのが好きなのだろうか?
それとも気を使って退屈しないようにしてくれているのだろうか?
しばらくしてから頃合いを見計らってミトが切り出した。
「とりあえずここから一番近いバルヘントまで行こっか!僕が案内するよ!」
ミトは立ち上がってユーに手を差し伸べる。
ユーも少しは落ち着いたようで、ミトの手を取って立ち上がる。
「ありがとうございます……!よろしくお願いします、ミトさん……!」
「よろしくね!」
二人はゆっくりと歩き始めた――。
緩やかな下り坂が続く。
夕日が眩しく、道が茜色に染まっている。
「はぁ……はぁ……まだ歩くの……?」
杖をつき、息を切らしているユーが聞いた。
歩き始めてからさほど時間は経過していないが、休んだとはいえ慣れない山道で体力は限界に近い。
「もう見えてるよ、あと少し!」
少し先を歩いているミトはまだまだ余裕があるらしく、振り返って大きく手を振って答えた。
息を切らせながら前方を見ると、大きな街が視界に入った。
そしてどこまでも続くかのように海が広がっていた。
港と思われる場所には大きな船が停泊しているのが見える。
他にも大きな建物がいくつかあり、ここからでも街の大きさがうかがえた。
街が見えてから少し元気になったユーは、駆け足気味で向かっていった。
「バルヘント到着!お疲れ様でした!」
貿易が盛んなバルヘントでは、各地から様々な食材や材料が寄せられ、常に人が行き交っていた。
あちこちに多くの露店があり、時期や時間によって毎回違う品が並べられている。
「すごい、見たことのないお店がいっぱい……!」
ユーはプリメーロとはまた違うお店や街の賑やかさを感じ、少し興奮気味だった。
「とりあえず疲れたと思うし、宿を取ろっか」
キョロキョロと辺りを見回すユーとは対照的に、ミトは落ち着いた足取りで歩く。
ミトは土地勘があるらしく、特に迷うことなくユーを連れて宿屋の方向へと足を運ぶ。
移動の途中、二人は何気ない会話をしていた。
「……それじゃあ術式で戦ったことは無いの?」
「うん、私がいたところでは魔物があんまりいなかったから……」
「でも僕は術式すら使えないからすごく羨ましいよ!」
「あ、でも私は術式よりも魔法を使ってる事が多いかな、ほら!」
ユーは詠唱を使わない下位魔法で手元に小さな風を作り上げた。
「え……?」
一番近くにいるミトでさえほとんど影響は無い程度だが、手のひらで風の渦が漂っているのがわかる。
それを見た周囲の人混みから多くの視線がこちらに向けられていることにいち早くミトが気付いた。
「今のはなんだ……?」
「魔法って聞こえなかったか……?」
人混みの方からどよめきが飛び交っているのがわかった。
行き交うのも困難なほどの人だかりであるが、魔法を使える者はおろか見たことのある人でさえほぼ居ないであろう。
「ユーちゃんダメだよ!手品は本番以外は人のいるところでやっちゃダメって団長さんに言われたばっかりなのに!また怒られちゃうよ!」
「え……?」
「はやくしまって!」
ミトは突然子どものような話し方で大声をあげた。
一方、ユーはキョトンとしつつもとりあえず言われた通り風を纏っていた魔法を手元から消し去った。
その後、ミトはわざとらしく、さも今気付いたかのような大袈裟な反応をして周囲に目を配らせた。
自分たちがサーカスの団員で下っ端であること、そして出場者決定の試験が近いため手品の練習をしていたことを話始めた。
ミトの無邪気な子どものような元気いっぱいの話し方により、次第に緊迫した空気がなくなっていった。
やがて小さな笑い声が聞こえ始め、あっという間に最初にこの街へ来たときと変わらない賑やかさに戻った。
話していた街の人に頑張れ、応援してるといった励ましの言葉を貰い、一礼してその場を去るミト。
ユーはミトに手を引かれ、二人で近くの路地裏に駆け込んだ。
「ビックリした……ほんとにビックリしたよ!」
戦っても走ってもほとんど息を切らせなかったミトの息が少し上がっていた。
本当に驚いていたらしい。
「あの……私なにか……」
「もう大丈夫だから気にしないで!ただ、魔法を使ったり話したりするのは少しの間我慢してね!」
「う、うん……」
ユーはよくわからないままミトに手を引っ張られ、歩き始めた。
気を取り直して周囲を見回すユー。
プリメーロでも相当な数のお店が並んでいたのだが、ここはそれとは比べ物にならないほど更に多くのお店が並んでいた。
どこまで歩いても賑やかさが衰えない街だ。
大きな路地を抜けたところで,
急に静かな場所に出た。
バルヘントはどこにいても常に人の活気で溢れているが、この一角だけは静かでどこか気品のある雰囲気が漂っていた。
人は少ないが、貴族のような豪華な装飾や綺麗な衣装を纏った人が多く見える。
そして気付けば、プリメーロの宿屋よりもっと大きくて豪華な宿屋に辿り着いた。
ユーの背丈よりも何倍もの大きさがある門扉と塀の向こう側には高い建物が聳え立ち、周囲には術式で彩られた灯りが辺りを照らしていた。
誰もが一度はこういう場所に入ってみたいと思うことだろう。
ユーも好奇心を擽られ、その一人になっていた。
だが、ミトはどんどん豪華な宿屋の方向へと進んでいく。
「あの、ミトさん、ここに入るのですか……?」
「大丈夫、大丈夫!」
そういうとミトは何のためらいもなく門をくぐった。
ユーも恐る恐るミトの後ろについていく。
玄関らしき大きなドアの前にミトが立つと自動的に扉が開いた。
そして、二人が中に入るとドアは再び自動的に閉まった。
「ちょっとここで待っててね!」
ミトはユーにそう告げると、フロントの方へと走っていった。
ユーは入口付近で待っている間、建物の中をきょろきょろと見回していた。
遠くからわずかに聞こえていた賑やかな声も、扉が閉まると全く聞こえなくなった。
入ってすぐ赤い絨毯の敷かれた大きな階段が視界に入った。
床は白と黒のチェックでシックな雰囲気を漂わせている。
二階まで吹き抜けの天井になっていて、中央部分にはシャンデリアが圧倒的な存在感を放っていた。
所々に蝋燭が術式で彩りながら照らしていて、開放的で落ち着きのあるロビーになっていた。
この時間帯は人がいないのか、そういう時期なのかはわからないが従業員以外の人が見当たらなかった。
ほどなくしてミトが戻ってきた。
「お待たせー!それじゃあ行こっか!」
「で、でも私、お金が……」
「僕が出すからいいのいいの!」
「あ、でも、あうぅ……」
二人は階段を昇り、ミトが手続きをした部屋へと向かっていった。
二階の0012と書かれた扉にたどり着くと、ミトが扉の鍵を解除した。
位置的に角部屋のようだ。
「予約が多くてここの部屋しか取れなかったんだけど窮屈だったらごめんね!」
扉を開けるときに、ミトは笑っていたが少し申し訳なさそうであった。
「いえ、助けていただいた上に街までの案内やこんなに高そうな宿の手配までしていただいて……本当にありがとうございます!」
ユーはお礼を言うたびに小さく会釈をしていた。
部屋は至ってシンプルな作りで、トイレや洗面台があるほかは小さなソファーと大きめのベッドがひとつあるだけであった。
しかし、ユーは窓から眺める景色に心を奪われた。
「す、すごい……綺麗……」
夕暮れ時に差し掛かっていたため、一面がオレンジ色に染まっていた。
海が見え、港ではまだ多くの人が行きかっている。
二階からの景色だが港の場所が標高の低い位置にあるため、見晴らしは大変良いものだった。
「ベッドはひとつしかないんだけど、ダブルベッドでかなり大きいからゆっくり眠れると思うよ!」
ミトは窓から外の景色を眺めるユーに声をかけ、一通り簡単な説明をした。
「……さて、そういうわけで今日はもうゆっくりしよっか!何か質問があるなら聞くけど?」
ベッドに腰掛けたユーはそこまで話を聞くと、口を開いた。
「あの、ミトさんはどうして私を助けてくれたんですか?いえ、今もこうして色々なことにまで気を使っていただいていますし、私には何もお返しが……」
「いいのいいの!別に僕は見返りを求めてやってるわけじゃないし、困ってる人がいたから手伝っているだけだよ!」
ミトはユーの言葉を遮るように答え、笑って見せた。
「そうだ、僕からも質問していいかな?聞きたいことがあるんだ」
「私に、ですか……?」
「そう、ユーちゃんのことなんだけど……いいかな?」
「私が解ることならなんでも答えますよ!」
そう言った瞬間にミトはユーをベッドの上に押し倒し、懐から小型のナイフを抜き出して喉元に突きつけた。
「え、え……!?」
ユーはあまりにも急な出来事に、何が起きたのか理解ができていない様子であった。
ミトの目には笑顔はなく、殺気のある冷たい視線をユーに放っていた。
「ミ、ミトさん……何をしてるんですか……?苦しいです……」
ユーは刃物が突きつけられているという事実に少しずつ恐怖を感じた。
か細く震えた声が静かに部屋の中を満たした。
「ユー、君は魔法が使えるんだよね……?」
これまでに聞いたことのない冷徹な声がユーの耳に届いた。
ユーは声が出せず、小さく頷いた。
「君個人には恨みはないが、僕は魔法使いに恨みがあるんだ。だから……」
ミトが言い切る合間に、ユーは唾を飲み込んだ。
そしてミトから続きの言葉が発せられた。
「君にはここで消えてもらうね」
ユーは自分の置かれている状況を少しずつ理解した。
同時に身の危険に晒されていることに気付いた。
だが、自身の危機感よりも親しくなった人に騙されていたことの悲しみや裏切られたという事実がなによりも悲しかった。
それらが不の感情となってユーに襲い掛かる。
「どうして……ミトさん……」
視界がぼんやりと歪む。
ユーの目には涙が溢れ出し、突きつけられたナイフに滴り落ちていた。
「僕のことを恨んでくれても構わないよ。さようなら……」
ユーは何も言葉が出せず、ゆっくりと目を閉じた。
だが、一向に刃がユーに触れることはなかった。
ユーはゆっくりと目を開いた。
「……って騙されてたらどうするの!?」
ミトは既にナイフをしまい、手ぬぐいで涙を拭こうとしていた。
あの冷徹な表情はなく、どこか悪戯っぽく笑っていた。