プリメーロ 第二節
洗いたての服に袖を通し、真っ白なローブを纏う。
膝上まである白いスカートと真っ黒なニーソックスがローブに包まれる。
ローブは心地よい風を受け、小さく靡いている。
天気は快晴、雲一つない清々しい空だ。
ユーは期待と希望に満ち溢れていた。
旅支度はヴェニスさんが整えてくれるそうで、その間に私は街の散策をすることにした。
雨上がりだったからだろうか、僅かに雨の匂いがした。
何よりも最初に試したことは、プリメーロの方から転移の門が使えるかどうかである。
こちらに来ることがあれば、当然帰れるように魔法が施されている。
しかし、宿屋のどこにいても魔法の効力が感じられなかった。
村に戻るには自力でたどり着くしかないようだ。
次に向かったのは街の中心部にある広場だ。
私が現われたという噴水の近くは多くの人々でごった返しだった。
露店には様々な店が並び、あちこちで人が行きかっている。
プリメーロは活気に満ち溢れていた。
「ユーちゃん!ユーちゃん!」
後ろから名前を呼ばれたので振り返った。
人ごみの中から手を振るヴェニスさんの姿が見え、ユーも手を振りかえす。
人ごみの中でもしっかり聞き取れるよく通った声だ。
呼びかけるということは旅支度ができたということだろう。
ユーは少し駆け足で後を追った。
キャメロ商店に戻ってから様々な荷物を受け取り、プリメーロを出発することになった。
正門までは彼女も見送ってくれるそうで、一緒についてきてくれた。
正門に着くと、彼女が門の警備をしている人に駆け寄った。
しばらく話し合ったのち、警備の人が開門の作業に取り掛かった。
普段なら細かい手続きが必要なのだが、彼女が事前に話をつけてくれていたようだ。
「私にできるのはここまで、気を付けていってらっしゃい」
彼女は笑顔で見送ってくれた。
「ありがとうございます!いってきます!」
彼女は私の看病だけでなく、状況の整理や旅支度までしてくれたとても親切な方だった。
感謝の言葉だけでは足りないほどだ。
ユーは元気よく返事をした後に、真っ直ぐ歩き出す。
正門の警備をしている方が柵を除け、外の世界への入り口が開かれる。
門を抜けてから何度も振り返り、彼女に手を振った。
これからは未知の大陸を一人で旅をする。
だがユーの表情に曇りはなかった。
こうして、ユーの旅は始まった。
プリメーロを出発し、森を目指す。
私のすべきことは、まずメモリア神殿で杖の能力を引き出し、己の能力を把握することだ。
この杖は今の状態では不完全で、潜在能力を引き出すために神殿で儀式を行う必要がある。
同時に自分の魔法能力の適性や傾向を知ることができるので、なによりも先に足を運ぶ必要がある。
ヴェニスさんから聞いた話によると、神殿はボニータ平原を越えた先にある森の奥だそうだ。
平原や森ではこれといって珍しい道具が手に入る訳でも、薬草などが摘める訳でもない。
そのため、よほどの物好きでなければ滅多に人が立ち寄ることもないらしい。
ましてや、神殿の存在に関してはほとんど知られていないためなおさらである。
また、平原は大変広く、魔物も生息している。
ある程度の自己防衛の手段が整っていないとそれなりに危険な場所だ。
そのため、事前に魔物を寄せ付けない魔除けの聖水を浴びてから出立した。
効果は数時間程度だが、それまでに十分たどり着けるそうだ。
帰りの分と、万が一に備えて予備にもうひとつ、合計二つの聖水は持っている。
その他に、近辺の地図と数日分の食料及び水などを店主から渡されている。
本来ならばその全てを一人で持ち歩くのは少々困難である。
しかし、母の杖を翳すと一時的に保管することができるので問題はない。
小まめに水分補給をしながら平原を北東に進む。
時折小型の魔物などを目撃するものの、聖水が魔除けの効果をしっかりと発揮しているため、襲ってくることはなかった。
このままいけば目的地には問題なく辿りつけそうだ。
歩む旅路は草原の広がる光景がどこまでも続いている。
そよ風が心地よく流れていて、草木が踊る。
太陽は東の空を登り、程よい暖かさを与えてくれる。
ここまでは順調だ。
地図を逆さまに見ていることを除けば………
プリメーロを出てから暫く経つ。
気が付けば一面岩だらけで、所々に枯れた木が生える山を登っていた。
「いっぱい木あるし、ここが森なのかな……?」
どう考えても森とは言い難い風景である。
足場が悪く、休みながらとはいえ歩き続けで体力を消耗しているユーにとって、ここは過酷な環境だ。
だが、ユーは地図を見ながらどんどん先に進んでいく。
もっとも、道を間違えなければ既に帰り道の筈なのだが………
気がつけば魔除けの効果もそろそろ限界だ。
だが、周囲から魔物の姿は確認できず、気配もない。
落ち着いてみると、空気が澄んでいて、遠くで水の流れる音が聞こえる。
横になればすぐに眠ってしまいそうだ。
もしかするとここは魔物がいない場所なのだろうか?
山道も中ほどに差し掛かった辺りで、少し木陰で休むことにした。
ユーの背丈より遥かに大きい枯れ木の下に座り込み、背中を預けて目を瞑る。
森はここで合っているのか。
神殿はどこにあるのだろうか。
気が付けばそんなことを考えていた。
神殿に着けば杖がキチンと使えるようになると言われたが、いったいそこには何があるのだろうか。
村から出たばかりのユーには、まだまだわからないことだらけだ。
世界はこんなにも広く、見たことのない景色がたくさんある。
これからどんなことが待ち受けているのだろうか。
期待と不安を心に抱いていた。
ふと上空で風をきるような音が耳に入り、目を開いた。
起き上がって空を見上げると、何かが飛んでいる影が太陽と重なって見えた。
影は次第に大きくなり、こちらへ向かってくる。
うとうとしていたユーは目を擦り、もう一度同じ場所を確認する。
そこには何もなく、先ほどの影もなかった。
見間違いだったのだろうか――
ユーが改めて枯れ木に背中を預けようとしたとき、目の前に巨大なドラゴンが舞い降りた。
そして、激しい風圧と共に咆哮を浴びせた。
思わずユーが怯む。
まだ魔除けの効果は残っているが、どうやらこのドラゴンには効き目が無いようだ。
ユーが起き上がろうとすると同時に、ドラゴンは大口を開けてユーを丸飲みしようとしてきた。
ユーは死に物狂いで横へ飛び退いた。
「きゃあ!」
辛うじて丸飲みにはされなかったが、その衝撃で後方へ大きく吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた先は崖だったが、幸いにも手前の枯れ木にぶつかって停止した。
その際に左肩を強く打ち付け、負傷した上にローブが少し破けてしまった。
咄嗟に杖だけは離さず抱え込んだので損傷はなかった。
上体を起こし、先ほどまで休んでいた枯れ木に目を向けた。
そこには先ほどの枯れ木は無く、ドラゴンの歯に噛み砕かれ粉々になった幹だけが残っていた。
もし飛び退くのが少しでも遅かったら、怪我では済まなかっただろう。
考えただけでも背筋が凍った。
「あぐっ……痛い……」
立ち上がろうとしたが、体が言うことを聞かない。
怪我はそれほどでもないはずだが、恐怖心がユーの心を支配し、その場から立とうとする体を縛り付ける。
先ほどまでいた場所から、ドラゴンがユー目掛けて近付いてくる。
その足音が響く度に恐怖が増していき、心臓の鼓動が大きくなる。
そのままユーの目の前で歩みを止め、睨み付けてきた。
「え、えいっ!」
ユーは死に物狂いで魔法を唱えた。
しかし、ユーの力ではそよ風ほどの威力しか生み出せず、ドラゴンを怯ませることもできなかった。
まだ力が完全ではない上に、攻撃用の魔法を習得していないのである。
もはや抵抗する術を持っていない。
(どうして………どうして私はなにをやってもうまくいかないの………)
思わず涙がこぼれた。
ドラゴンは躊躇いなく鋭い爪で切り刻もうとしてきた。
「はぁぁっ!」
その瞬間、気合いの入った声が耳に届いた。
それと同時に金属の擦れるような音が聞こえた。
ユーよりも少し小さい背丈の少女が、刀でドラゴンの攻撃を受け流していた。
ドラゴンは意図せぬ妨害により攻撃を逸らされ体勢を崩し、あらぬ方向へと攻撃を放った。
目の前の少女は赤い羽織を靡かせ、銀髪の髪を短く束ねていた。
少女はユーのもとに駆け寄り、手を差し伸べた。
「立てる!?」
「あ、いえ……その……」
あまり気にしていなかったが、ユーの腕や背中には切り傷があった。
「怪我してるね、ちょっとだけ我慢できる?」
「えっと……はい……?」
それほど深い怪我ではないため、立てないのは腰が抜けているだけであった。
しかしそんなことには気づかず、少女はユーの体を脇に抱えてその場から素早く去った。
「えっ……ひゃあ!」
ユーが悲鳴をあげるが、少女はお構いなしにユーを抱えて移動する。
「でも一発ぐらい決めとかないと………はあぁ!!!」
少女はユーと共に逃げ出すと同時に、刀で背中に一撃をお見舞いをしたが、逆に刀が完全に折れてしまった。
「ええ!?いくら囮役だからって言っても安物過ぎでしょ!もう!!」
少女はユーを抱え、その場から去っていった。