プリメーロ 第一節
―――
―――
気が付くと、私はベッドで横たわっていた。家とは違う天井が視界に映った。
私は上体を起こし、周囲を確認した。
小さな小部屋で、角部屋なのか、二ヶ所に窓があった。
壁はピンク色のビニルクロスに花柄の模様が鏤められた可愛らしいもので、床にも同じくピンク色の可愛らしい絨毯が敷かれていた。
部屋の中には、窓の前に机と椅子がある他、本棚に分厚い本がいくつか並べられている程度で、簡素なものだった。
ベッドの枕元には、母から託された杖の隣に、私の衣服が綺麗に畳まれている。汚れが綺麗に落とされていて、皺一つなくなっていた。
部屋の明かりが消えているものの、窓から陽の光がピンクのカーテン越しに差し込んでいるのが解る。
私はなぜここにいるのだろうか?
いったいここはどこなのだろうか?
転移の門を潜った直後から記憶がなく、その後どうなったのかがわからない。
一人で考えていると、外から賑やかな声が聞こえてきた。
祭りでも行われているのだろうか?
私は起き上がり、窓を遮るカーテンを開いた。
眩しい光が目を眩ませる。
次第と光に慣れ、ゆっくりと目を開いていく。
窓から見えた景色はどれも初めてのもので、私は目を輝かせた。
道は多くの人で溢れかえり、様々な商店が並ぶ。
村では見ないお店も有った。
ふと、露店で親子が買い物をしている所が視界に入った。
母の死が脳裏を過る。
焼かれた村、麻のようなフードを被った殺人鬼、託された杖。
なぜ村が襲われたのか、あの人は誰だったのか。
様々な想いが頭の中を駆け巡った。
窓から景色を眺め、想いに耽ていると、不意にドアからノックが聞こえた。
私が声を発すると、ドアが開き女性が顔を出した。
「おはよう、目が覚めたのね。具合はどう?」
女性は元気な声で笑みを見せながら問いかけてきた。
身長は私よりも少し高いぐらいで、三十代前後といったところだろうか。
腰まで伸びた綺麗な黒髪を一つにまとめ、後ろに束ねている。
この人が私を介抱してくれたのだろうか?
「はい………大丈夫です………あの、えっと………」
状況が整理できず、言葉に詰まる。
ここはどこなのか、この人は誰なのか。
私の気持ちを察したのか、女性は私に話しかけてきた。
「自己紹介が遅れたね、私はヴェニス。ここはプリメーロのキャメロ商店よ。あなたのお母さんがよく薬品を買っていたお店ね。私はここの店員なの。この部屋は空き部屋で、今は誰も使ってないから好きに使っていいわよ。」
ヴェニスと名乗った女性は、部屋に入ると窓を開けながら説明してくれた。
女性の名はキャメロ・ヴェニス。
母から頼まれた薬屋さんがキャメロ商店なので、恐らくここがそのお店なのだろう。
薬の他に、生活用品や食材も扱っている。
建物には複数の部屋があり、宿屋としても使われている。
私は気になったことを口にした。
「あの、私は転移の門を潜ってから記憶がなくて………どうなったのか教えてくれますか?」
「転移の門………」
私が転移の門という言葉を口にしたとき、彼女の表情が変わった。
先程までの笑顔ではなく、少し険しい顔つきだった。
「あなたは昨日の夕方頃に、噴水の前で倒れていたそうよ。たまたまうちの子が見つけてね、家まで運んできてくれたのよ。でもあなたのお母さんは居ないのにこの杖だけはあったからね……この杖はーー」
彼女は、私が転移の門を潜った後の一通りの話を聞かせてくれた。
私は街の中心にある噴水の前で倒れていたらしい。
時刻は夕方頃で、普段なら人通りもそれなりにある時間帯のはずだが、その日は街の騎士団が遠征でほとんど出払っていたことと、大雨であったため、ほとんど人が出歩いていなかったそうだ。
この街は二つの出入り口があり、それぞれを騎士団と街の防衛隊が警備している。
しかし、騎士団はある任務ーー恐らくユーの村への派遣ーーで遠征しており、警備が手薄となっていた。
そのため、出入り口を柵で塞いで通行の制限を設けていたので、街の活気が薄れており、ヴェニスさんの娘さん以外は誰も通らなかった。
娘さんが噴水の前を通りかかったときに、突然目の前に私が現れそのまま倒れたそうだ。
娘さんは慌てて私を負ぶって宿屋まで運んできた。
いつもなら、母が転移の門からプリメーロを訪問するときはキャメロ商店の空き部屋に辿り着くようになっていた。
当然意識を失うようなこともない。
転移の門を潜った時点で、意識が無いケースは二つしかない。
一つは意識が無いまま転移の門を潜った場合、もう一つは目的地の座標が不安定なまま転移の門を潜った場合だ。
転移の門を展開した方は村長だ。
あの状況から考えて、恐らくあの殺人鬼に襲われたか、建物の下敷きになった可能性が高い。
継続魔法は使用者が亡くなると効力が薄れ、直に消えてしまう。
私が転移の門を潜ったとき、既に魔法の効力は薄れていた。
そのため、目的地の座標が不安定になり、ショックで意識を失ってしまったと考えられる。
辿り着いた場所がプリメーロであったことは不幸中の幸いだった。
しかし、私が目を覚ますまで三日間もかかった。
彼女はそれまでずっと看病してくれていたのだった。
それから杖について。
母が使っていた杖は、物資の運用や保管に便利な物だ。
杖を翳すことで道具を杖の中に収納することができる。
もう一度翳すといつでも保管した道具を取り出すことができる。
道具を保管する量に上限はあるものの、膨大な量が保管できる。
母はこれを使って荷物の運搬を行っていたため、手荷物はほとんどなかった。
杖の能力はそれだけではなく、使用者の意思によって性能が変化する特殊な力を秘めた物だった。
母が使っていたときには水の力が増幅し、癒しの魔法に特化していたそうだ。
診療所で治療をするときに、どんな怪我や傷であっても治癒できたのはこの力を使ったものだったのだろう。母は元より魔法の適性値が高かったため、その影響が顕著に表れた。
彼女から一通り話を聞き終え、私は彼女に疑問を投げかけた。
「ヴェニスさんはどうしてそのことを……お母さんの杖のことを知っているのですか?」
何よりも気になったことだ。お得意さんというだけではここまで詳しい説明や話を聞くことはないはずだ。杖のことに関しては、私にも聞かされていないことまで熟知していた。
彼女はすぐに口を開いた。
「あなたのお母さんはね、私の大切な友達という以前に命の恩人だから……かしら」
いつの間にか彼女は含みのある笑みを浮かべていた。
「命の恩人……?」
「さて、目も覚めてきたことだし旅支度をしましょうか!」
彼女は、私の声をかき消すような大きな声で言った。
「旅支度……?」
私が応答するより前に、彼女はテキパキと準備に取り掛かっていた。