プロローグ
全てが茜色に染まっていた。
草木や民家には既に火の手が回っており、灼熱の業火は全てを焼き尽くそうとしていた。
私は目を疑った。
この小さな村はこれといった特産物もなく、観光名所でもない。
その上、村は街から離れた場所にあり、これまでに争いごとなどもなく皆が協力して暮らしていた。
しかし、目の前には崩落した建造物の下敷きになった人々や、何者かによって斬られた人々が道端で横たわっていた。
「どうして……こんな……」
近くにいた村人の元へ駆け寄ったが既に息はなく、背後から斬りつけられていることから、何者かから逃げていたように推測できる。
更に、緑豊かな自然が全て燃やし尽くされ、全てが焼け野原となっていた。
変わり果てた故郷を見て、急いで家へ駆けた。
「お母さん……」
走り回る最中、無意識に声を漏らした。この惨状を前に、心の中で母の無事を祈った。
そして自宅――だったであろう、瓦礫の山にたどり着いた。
家は全焼しており、完全に崩壊していたが、それでも懸命に周囲を捜し続けた。
母を探している時に、ふと裏手の脇道に視線を向けた。
「お母さん!」
そこには、血まみれになった母が、俯せに倒れていた。
すぐに駆け寄り、声を掛けた。
なんとか目を開いてくれたものの、全身に火傷を負い、背中には深い斬り傷が見られた。
状況から見て、逃げる際に背後から襲われたのであろう。
激しい出血ではあるが、意識はなんとか保っている。だがそう長くは持たないだろう。
「お母さん、しっかりして!今傷の手当てをするから!」
薬草を取り出そうとしたが、力のない赤くなった手でそれを止められた。
「ユー……お母さんは……大丈夫だから……」
「ちっとも大丈夫じゃないよ!早くしないと――」
「……ユー、お母さんの話を……聞いて……」
動揺していた私を優しく、しかし厳しい眼差しで宥めた。
「これを持って……西口から……プリ……メーロへ……行きなさい……。いつものお店で……お薬を買ってきて……。お母さんのお使い……頼める……?」
小さくも、はっきりとした声で語りかけてきた。
母は意識を集中させ、気を集めた。
すると、母の手が光りに包まれ、木彫りの杖が現れた。
それを精一杯の力で私に差し出した。
この杖は、私が物心がついた頃から、代々伝わる大切な代物であると言い聞かせられていた。
木彫りのようだが、触れてみると少し特殊な材質であることがわかった。
私は母の手と杖を包み込むように、両手で受け取った。
「わかった、お母さんのお使いに……いってくるね」
私は涙ぐんだ声で応えた。
母から託された杖をしっかりと握り、母の手に優しく触れた。
火傷で赤く腫れ上がってはいるが、とても柔らかく、優しい手の温もりを感じた。
「ありがとう……いってらっしゃいね……」
いつもの母の笑顔だった。しかし、その瞳にはこれまで一度も見たことのない雫が溢れていた。
私は立ち上がり、その場を後にした。
――私はもう振り向かなかった。
私の名前はエリファス・B・ユールスフィア。
魔法使いの見習いで、まだ治癒魔法を学んでいる十八歳。
寝ることと食べることが好きなこの村の一人娘だ。
母は、診療所で日々村の人々を治療していた。
父は、私がまだ幼いころに亡くなったと聞かされており、母と二人で生活していた。
これまでに、母と一緒に薬草を摘みに行く日も何度かあった。
その日は、毎日せわしなく入れ替わる患者を相手にしている母を見て、少しでも仕事を手伝おうと考え、在庫の少なくなった薬草をこっそり摘みに行ったのだった。
薬草の場所をしっかりと覚えているわけではないが、野生の動物達に道を尋ね、案内をしてもらった。そのため、薬草の場所まで容易に辿くことができた。
私には、動物と話すことができる『動物対話』という能力がある。
物心がついたころから自覚していたが、この能力について、母以外には誰にも話していなかった。
薬草のある場所と村までの距離はさほどなく、片道十五分ほどであった。
そのわずかな時間にこの災厄は起きたのだった。
大好きな母の最後の頼みを聞き、西門へ向かう。涙が止まらなかったが、歩みを止めるわけにはいかない。母から託された杖を抱くようにして村を駆けた。
しばらくして、門の近くまで辿りついた。
もはや見る影もなかったが、恐らく西門であった場所であろう。
門を通り抜けようとしたそのとき、目の前に麻布のようなものを纏った人物が現れた。
両手が塞がっているため、躓きそうになりながらもなんとか立ち止まった。
顔はフードのようなものに覆われ、陰になって見えない。服装もボロボロでお世辞にも綺麗とは言えないほどだった。
そして全身と、手に持った剣が返り血で真っ赤に染まっていた。
「まだ生き残りがいたのか……」
低く、冷血な声が響いた。
「あなたは……誰……?」
応答はしなかったが、この人が村を壊滅させ、母や村の人たちを殺した殺人鬼だと確信した。
この人に対する殺意と憎悪が溢れかえったが、ユーには戦闘経験がなく、戦って勝ち目があるとは思えない。
私は相手の殺気を感じ取り、逃げようと引き返したが、一瞬で回り込まれてしまった。
私は恐怖で体が動かなくなり、その場で腰を抜かしてしまった。
目の前の相手は、躊躇い無く剣を構え、私に血で染まった刃を向けた。
思わず目を瞑り、剣が私の体を貫く瞬間を待った。
それと同時に、すぐ近くで金属のぶつかるような、激しい音が響いた。
恐る恐る目を開くと、細く長い剣を構え、全身を銀の鎧で覆い、天使の羽のような紋章が描かれたマントを靡かせた、金髪の青年が立っていた。
私を庇うように間に立ち、素早い剣捌きで殺人鬼の攻撃を弾き返していた。
「騎士団か……」
剣を弾かれて体勢を崩した殺人鬼の低い声が聞こえた。
直後、間髪を入れずに青年の剣が殺人鬼の胸を貫いた。
剣が体を貫いた瞬間、殺人鬼の体が蒼い炎に包まれ、麻布のようなフードを残して消えた。
「大丈夫かい?」
青年が剣をしまい、片膝をついて手を差し伸べてきた。
とても礼儀正しく、澄んだ声をした人だった。
「あ、ありがとうございます……」
私は青年に手を引いてもらい、立ち上がった。
「東側は既に陥落しています。ここを真っ直ぐ進んで西門を抜け、騎士団の手配している避難所へ向かってください!それと……」
青年は懐から何かを取り出し、それを私に差し出した。
「これを持って行ってください。魔物に襲われないようになるお守りです」
青年が取り出したのは、硝子のような材質でできた三角錐の容器に、淡い水色の液体が入っているものだった。
私はそれを受け取り、杖と一緒に大切に抱えた。
「御武運を」
青年がそう告げると、光の中からペガサスのような白い馬が現れた。
青年はそのまま馬に跨り、東門の外へ去って行った。
顔はよく見えなかったが、青年の剣は柄頭が蒼く輝いていたことだけがとても印象に残った。
私は言われたとおり、青年とは反対側へ真っ直ぐ進み、西門を目指した。
どうやらここは東門だったらしい。
村を抜け、西門を後にする。
この村は完全に独立した地域であった。
西門のすぐ近くには、村人同士でよく使われている転移魔法の施された場所がある。物資の調達や遠征にはこうした手段を用いて移動していた。
だが、こうした魔法は使用者が亡くなると、時期にその効力を失い消滅する。
私はおずおずとその場所を覗き見た。
一見なんの変哲もない遺跡の後だが、円形に並べられた石畳の中央に手をかざすと、転移の門が開かれる魔法が施されていた。
私はすぐに手をかざした。すると、小さな光が灯り、転移の門が現われた。この転移の門はプリメーロへ買い出しをするときに何度か使用したことがあった。
見た所、転移魔法としての機能はまだ残っているらしい。
だが、魔法が不安定なままでは正確な座標に移動できない場合があるため、確実にプリメーロへ辿り着くという保証はない。
私は母の頼みを聞き届けるために、転移魔法の施してある光の中へ飛び込んだ。
その瞬間、私の体は一瞬にしてこの場から転移した。