11 お風呂の残り湯も無駄にしません!?
お母さん、私はどうしたらいいんでしょうか!?
飲むべきか、飲まざるべきか……それが、問題だ……。
おぉー、ハムレ○ト……って、ちっがーう!
私は今、器に並々と注がれた乳白色の液体を見つめ、悩んでいた。目の前には、期待に満ち溢れた円らな瞳でじっと見つめてくる、大勢の猿もどきクン達がいる。
猿もどき達に囲まれているとは言っても、私はもう平気だった。
結局、ヨダレを垂らしていた猿もどき達は、あれから別に何もしてこなく、お風呂から上がった時の体を拭くタオルを持ってきてくれたり、お風呂から上がる時は後ろを向いて気を使ってくれたりなど、色々と親切にしてくれたのだ。猿もどきクン達は、本当に本当の本当は良いお猿さんだった。
お風呂から上がって服を着替えた私は、さっぱりして気分もよかったのだが、お風呂のお湯の入った器を渡された時はさすがに戸惑った。「まさか、飲めって言うの?」と聞いた私に頷く猿もどきクン達を前に、困ってしまい現状に至る。
うーん、気分の問題なんだよね……。
別に飲んでもいいんだけど、これって、私の入っていたお風呂の残り湯だし……。自分の出汁の出ている風呂湯なんて、いくら蜂蜜ミルク味でも正直言って飲みたくない。
器を手に持ったままどうしようかとグダグダ考えて飲まないでいると、何か酷く悲しげな鳴き声が聞こえてきた。
『クゥーン、キュー、キキッ……』
『キュン、キュウ、ウキキ……』
うーわー、猿もどきクン達の瞳がまるで捨てられた子犬のように悲しげだよ。鳴き声も子犬みたい。
「もう、飲めばいいんでしょ! 飲めば!」
私は、自分を見つめてくる悲しそうな何百もの視線に耐えきれず、自棄になって叫んだ。
えぇい、女も度胸よ! こうなったら、飲んでやろうじゃない。
これは、美味しい普通の蜂蜜ミルク、蜂蜜ミルク、甘い牛乳……と、必死に自己暗示をかける。そうして、私は器の中のミルクを一気に流し込んだ。
「どう? 全部飲んだわよ。これで、いいんでしょ?」
確かに味はいいけど、気分は微妙。私は、空になった器を逆様にして見せた。
すると、猿もどき達は、嬉しそうに飛び跳ねて声を挙げた。
『キャッ、キャッ』
『ウキャッ、ウキキ!』
まるでお祭り騒ぎのような猿もどき達。次は何をするんだろうと眺めていると、みんな器を手に持ちドラム缶風呂の残り湯を次々と掬っていった。そうして、器を両手で頭上に掲げ、まるでお祈りをしているかのように恭しく頭を下げる。まるで、お神酒でも前にしているような態度だ。
「どう見ても、飲む気だよね……?」
私の汗と垢入りのミルク湯なのに、いいんだろうか? 自分の入ったお風呂のお湯を飲まれるのも、何となく微妙な気分。
ぼんやりと見ていると、猿もどき達は一斉に器に入れたお風呂のミルク湯をごくごくとそれは美味しそうに飲み干した。飲み終わった途端、おかわりをする猿もどき達が続出している。
「そんなに美味しいのか……?」
喧嘩をしてまでお風呂の残り湯(私の出汁たっぷりだぞ!)を奪い合う猿もどき達をあっけに取られて見つめながら思わずポツリと呟くと、何かが頭の中に聞こえてきた。
『………しい』
「?」
一瞬、空耳かと思い首を傾げる。
『……い……しい』
だが、また、頭の中に響くように聞こえてくる。
私はキョロキョロと辺りを見渡した。だけど周囲には、残り少ないお湯の強奪戦を繰り広げている猿もどき達しかいない。
「あれ? 今の声、やっぱり気のせい?」
『気の、せい……チガウ。聞こえた、ミンナのコエ。ワタシの声、トドク?』
「え? 何? 誰?」
今度は、はっきりと声が聞こえた。しかも、頭の中で……。
びっくりしてキョロキョロ声の主を探そうとしていると、私に近づいてくる大きな影が見えた。
『ワタシの声、ワカル?』
ボス猿の登場だった。
猿もどき達のリーダーだろうボス猿は、目の前に来てじっと私を見つめる。
『声、聞こえる? ワタシの声、分かるなら返事、ホシイ』
再び声が頭の中に聞こえてくる。どうやらこの声を出しているのは、目の前にいるボス猿に間違いないらしい。
私は、驚きを隠せずに大きく目を見開き、口をパクパク開閉させるも、ボス猿の問いに答えようとしてコクコク頷いた。
『よかった。コレデ、言葉、ツウジル。うれしい。助かる』
頭の中に響くボス猿の声。何だか不思議な感覚だ。これって、いわゆるテレパシーなんだろうか?
さっきまで、『ウキキ』とかお猿さんの声でしか耳に入ってこなかったのに、何で急に分かるようになったのかな……?
とにかく、色々な事が気になる。
「あの、何で言葉が通じるようになったんですか?」
『お湯、ニンゲン入る。煮込んで、ダシとる。それ、みんな飲む。言葉、つうじる、ようにナル』
「はぁ……なるほど……」
ふむふむ、何かボス猿の表現がすごいんだけど……つまりはやっぱり私、食糧と思われてなかったとしても、ダシを取るため煮込まれていたんだね。道理で熱くなってくるお風呂だった訳だ。
それにしても、お風呂の残り湯を飲んだら言葉が通じるようになるって、異世界ってよく分からないなぁ。それだと、お風呂に入った残り湯で、犬や猫とだって言葉が通じるようになるってコト? あー、ワンちゃんや猫ちゃんとお話し……いいなー。
一瞬、可愛いワンちゃんや猫ちゃん達に囲まれて楽しそうに話をしている自分の姿が思い浮かんで頬が緩む。あぁー、癒される……なんて、思考を飛ばしていると、ボス猿が頭の中に話しかけてきた。
『言葉、分かった。大切、話しある。いいか?』
「ん? あ、はい。大丈夫です。ちなみに、この頭の中に聞こえてくるのって、テレパシーみたいなものなんですか?」
『多分、そう。ワタシの声、変換され、頭にトドク。ワタシたちだけ、できる、儀式』
「え? それって、貴方達にしか出来ない事? お風呂に入ったお湯を飲めば、誰にでも出来るんじゃないんですか!?」
思わぬボス猿の言葉に少し驚いて尋ねると、ボス猿は首を振って答えてくる。
『ワタシたち、キーモンタ族に昔から伝わる秘術。話、通じない相手を煮て、そのダシを飲むと、言葉ツウジル、なる。ダレにも、マネできない』
「そうなんですか……」
ワンちゃんや猫ちゃんと楽しく会話する夢が消えてしまったため、私は少しがっかりした。やはり、異世界とは言っても、そうそう簡単にはいかないものか。
ふと、強い視線を感じて俯いた顔を上げると、ボス猿が何だか怖い顔で私を見つめていた。
「えーっと……何か……?」
皺の寄った迫力のある大きな顔に、私は思わず一歩後退する。すると、ボス猿は逆に一歩前に出て近づいてきた。
ボス猿の大きな手が伸びてきて、私の手をぎゅっと握りしめてくる。
『大切な話、続き……いいか?』
「あ、はい……」
ボス猿の真剣な様子に何を言われるんだろうかと考えながら頷くと、ボス猿の口がゆっくりと開いた。
『頼みある。お願い、きいて欲しい。いいか?』
「え?」
全く想像もしていなかったボス猿の言葉に、私は頭の中で色々な事を考えた。
お願いって何だろう? お風呂に入ってダシはとったから、今度は、一緒にサンバでも踊って欲しいとか? それとも、もう一回お風呂に入ってくれとか?
「あの、それで……お願いって何ですか?」
『あなたの持つ、タマシイ……が欲しい。あなたのイノチ、ください』
はい……?