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塔の中の魔女  作者: 黒羽有希
塔の中の魔女
3/3

幼き魔女の裏事情


 エカテリーナはいつになく狼狽えていた。

 ビロードを張った寝椅子に寝そべって、指が汚れないように甘いチョコレートケーキを優雅に頬張っていたエカテリーナは、不意になにかに気づいたように慌てた。

 いびつな三角形になってしまった残りのチョコレートケーキを、口の中にポイッといささかか乱暴に放り込み、ふかふかの絨毯の上をうろうろと歩く。

 塔の内部は円錐の形をしていて、内側にぐるりと階段を設けている。本来は吹き抜けの塔なのだが、魔法で宙に浮かぶ階層がある。

 そこには積み上げられた古文書があったり、古代魔法の魔導書に埋もれた部屋や、クィーンサイズの天蓋付きベッドの置かれた寝室。ふかふかの絨毯と寝椅子と樫の木の円テーブルがあって、食事や甘いお菓子を食べる部屋。

 宙に浮かぶ複数の球体からは、仄かな柔らかな光が昼夜問わずこぼれている。

 そんな部屋にいて、寝衣の姿のまま素足でうろうろと角のない部屋の中を歩く。

「このような事態は前代未聞じゃ。…………どうしよう?」

 小さく戸惑う唇から、焦りを含んだそのような言葉がこぼれたのも一瞬、エカテリーナは手を打った。

「はっ! そうじゃ! こういうときこその魔法!」

 杖でくるりと魔力を分散させながら、エカテリーナはもう何年も変わらぬ呪文を繰り返す。

「マギ・ティス・バディル」

 望みし物はなんでも手に入れられる。美しいグラスも、華やかに香る香水も。

 だが今、エカテリーナが欲するものは優雅なソファや甘いお菓子などではない。

 ばさりと音を立てて黒魔導士の衣装が頭上から降ってきた。黒い光沢のある絹のチュニック。同系色のプリーツスカートにタイツ。そしてとんがり帽子に、上を向いた靴。

 襟元には青と白のリボンがあしらわれ、胸には王立魔導師の銀の紋章。

 身につければ、品のあるお嬢さまの風格さえ漂わせる、洒落た衣装だ。はたしてそれは、魔法でその生地が織られるゆえんか。

 それは王所属下の黒魔導士の制服だった。

 王立魔導師の紋章の下には、魔法使いのランクを表す白い線が入る。

 本来、エカテリーナに入る線は四本だった。最上級魔導士の、王族の相談役に相応しい身分をその身に与えられていたから。

 栄華を誇る魔法王国ユダの、明るい未来を約束された誉れ高い少女、それがエカテリーナだったから。

 しかし今のエカテリーナの魔導着には、白い線は一筋も入ってはいない。

 剥奪されたのだ。罪を侵し、この身を投獄された、そのときに。

「結界に、そう容易く入れるわけにはゆかぬのじゃ。すまぬが馬よ、あるじを連れ帰っておくれ」

 往生際悪く、エカテリーナが結界の前で足踏みしている馬に、魅了の魔法に包んだ思念を送ると、馬は素直にエカテリーナに従って引き返そうとする。

「よい馬じゃ」

 と、ホッとしたのもつかの間、馬は馬主に易々と説得されて、結界を踏み込んでくるではないか。

「な、なんということじゃ! 確かに王規には謁見をひとり許すとあちらの意向を汲んだ」

 本来ならば二度と会うつもりはなかったので、内側から強い結界を幾重にも張り巡らさせてもらったが。

 約束を守る者が近づいてくる。

「これでは会わぬわけにいかぬではないか」

 目深に黒い帽子を被る。けぶるような緋色の瞳が、長めのつばに隠れた。

 腰の長さまであるプラチナブロンドの髪が、魔導着の上をさらさらと滑る。

 彼女は困ったようにもじもじと胸元のリボンに手を置いた。

「…………他に打つ手はないものかの」

 手っ取り早く、あの使者を追っ払う、よい方法。

 しかし、そんなものはなかった。

 エカテリーナは黒の尖った靴を履き、身繕いを整えると、諦めたようにその者が塔の鍵を開けて中へ入ってくるのを静かに待った。



 それは、五百年ぶりの人との対面であった。


     ◇


 青年は恐れる様子もなく、堂々と塔の中へと踏み込んだ。

 幸い、入り口からの正面はただの石畳があるだけだ。底冷えのする寒さを嫌ったエカテリーナが、階上に好き勝手に部屋を作ったのにはそういった理由もあった。

 青年は不思議そうに部屋の中を見渡したあと、塔の壁に沿って長い階段が続いているのに気づいた。気づいてしまった。

 エカテリーナは、あふれ返るお菓子の部屋から恐る恐る見下ろしていた顔を慌てて引っ込めた。

「…………どうしよう? そもそも、来たのは誰なのじゃ」

 エカテリーナは、この五百年、自分に害をなそうとする者への排除は怠らなかったが、こうして規律を守ってやって来る者を迎え入れる言葉を準備していなかった。

 礼儀を知らないわけではない。どういう態度を示せばよいのか、決めかねているのだ。

 考えあぐねて、エカテリーナは再び絨毯に這いつくばると、階下を見おろす。床が魔法の力で持ち上げられているそこには壁との間に隙間があって、階下を覗き見ることができるのだ。

 一度天井を見上げてから、階段に歩み寄っていくその使者は、年が十七、八くらいの金髪の青年だった。

「…………ずいぶん若い使者じゃな」

 といっても、八歳のエカテリーナの容姿には敵わないのだが。

 階段をコツコツと上がってくる革靴の音に耳をそばだてる。

 やがて青年は、エカテリーナが驚くような行動を起こした。きょろきょろと物珍しそうに塔の内部を見上げながら、息を大きく吸って、

「おぉい! ばあさん、頼みがあって来たんだ。会ってくれないか?」

 と、不躾な言葉を響かせたのだ。

 エカテリーナは唖然とした。今の言葉を聞き、目を見開き固まった。

 それまで、びくびくと様子を伺っていたエカテリーナは、魔力を宿した爪を立てて、うっかりと、ほんのうっかりと絨毯を歪めて、僅かに放出する魔力によってそれを焦がした。

 ――――ばあさん?

 あの者は、今、そう言ったのか?

 混乱するエカテリーナの思考を置き去りに、再び青年が口を開く。

「魔女のばあさん! いねーのか?」

 留守なのかぁ?

 と、ぶつぶつ呟く青年の不遜な態度が信じられない。このエカテリーナを、ばあさん呼ばわりしたのだ。かつては王族相談役でもあった幼き魔女、エカテリーナを。



 エカテリーナが理解したその瞬間、しんと静まり返った塔の中、弾けるような光が走った。

 怒りまかせにエカテリーナが放ったのは雷属性の魔法のひとつ、閃光だった。 攻撃魔法ではないので、塔が破壊されることも使者が傷つくこともない。しかし嚇しにはちょうどよかったようで。

 金髪の青年は足元に降り落ちた閃光に驚いて、

「うわっ」

 と、みっともなくも小さな悲鳴をあげながら、派手な音を立てて階段から転がり落ちる。

 不意打ちが上手くいったことにほくそ笑んで、エカテリーナはほんの少しだけ溜飲を下げた。

 にんまりと微笑みを浮かべると、宙に浮かぶ床と階段の隙間に身を滑り込ませる。

 一階の冷たい石畳に寝転がっている青年の身体の上にふわりと舞い降りて、馬乗りになった。

「な、なんだ! なんだ!?」

 青年の慌てふためいた様子に吹き出しそうになるのを堪え、エカテリーナは極力澄まし顔を作る。

 そうして緋色の瞳で、じっと青年を観察した。

 青年は金髪碧眼といった、ユダではよく見かける色彩を持っていた。しかし、飾り物ではない使い込まれた剣を携え、一介の使者と断定するには、金糸の縫い込まれた絹と銀に輝く鎧では身なりが良すぎた。

 王直属の騎士なのかもしれない。

 ――――まあ、わらわに会いに来るほどの者じゃ。ある程度の力がなければ結界にも入れはせぬしの……。

 それなりの身分らしいと判断して、エカテリーナは久しぶりに見る人間に至極満足したが、やや勝ち気そうな表情をした目の前の青年から放たれた一言に、再び不機嫌に頬を膨らませる。

「なんだ、ちび。おまえ、ばあさんの孫かなんかか?」

 麗しく整った見目の良さを損なわせるほどに、とにかく青年は口が悪かった。

 ――――なんじゃ、こやつ。ばあさんの次はちびじゃと?

 エカテリーナは青年の言動に内心で呆れつつも、人と接するのは滅多にないことだからと、怒りをおさめて短く答える。

「違う」

 それでも、僅かばかりの怒りは滲み出ていただろうが。

 青年はそれに気づかず、首を捻っている。エカテリーナが馬乗りになったままであることは、気にならないらしい。冷たい石畳の上で同じ姿勢を保ったまま、呟いた。

「それじゃあ、侍女……にしては小せぇな。……弟子とか?」

「違う」

 首を横に振り、とうとうエカテリーナは拗ねたように言い放った。

「わらわがそなたの言う、ばあさんじゃ」

 と。


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