遥かなる塔への訪問者
魔法文明の進んだ国と誇りながら、進撃の早い大国ゼルダンを相手に小国のユダの魔法使いたちはどうすることもできなかった。
魔法というものには、魔法を組み立てて詠唱に入る時間というものが必要だ。
杖は魔法を補強するためのものでしかないが詠唱は違う。それなくしては、どれほど強力な魔力を秘めていようと魔法は発動しない。
障壁を立てようとも、敵の騎馬隊、そして槍部隊、銃兵を相手にどうすることもできなかったのだ。
現在、ゼルダンの属国となったユダに魔法使いはひとりもいない。魔法学を学ぶ学者は捕えられ、魔法使いは例外なく処刑されたからだ。
伝説の塔の中の魔女、エカテリーナ以外は。
◇
その場所へはひとりで行かなければならないと言われていた。
伝説の魔女が住む塔。強い結界が張ってあり、大国ゼルダンの猛攻にも侵入を許さなかった小国ユダの僻地。
「本当にひとりで行かれるおつもりですか?」
不満ありありといった表情の、側近のラッツェルが聞いた。
身支度を整え終えた若き十八歳の王、ロゼリンは一瞬キョトンとした顔をして笑う。
「当たり前だろ。伝説じゃ、その魔女さんは外の世界にまったく興味がなくて人を寄せつけないっていうじゃねぇか。それなのに大軍引き連れて押し掛けてみろ。雷でも落とされかねないぞ」
「それは否定しませんが。せめて近くの村に駐屯することは叶いませんか? 自国内とはいえ、あなたをひとりで僻地へ行かせるのには抵抗があります」
「ふん、そうかぁ? 俺がユダの王っていったって、敗戦後の今、ゼルダンに表立って歯向かってるわけじゃねぇ。服従した小国の王に、刺客を差し向けるとは思えねぇけどな」
「今はそうかもしれません。しかし、ユダは魔法使いをひとり残らず殺されているのですよ? 民は安心して夜を眠れているでしょうか? 王が首都を離れ、数日空けることを不安に思わない民がいないと思いますか?」
ロゼリンは渋っていたようだが、やがてラッツェルの言葉の重要性を理解したのだろう。頷き、王室を出る。
「わかったよ、おまえの言葉には一理ある。兵を集めろ、出発する」
「今からですか?」
せっかく了承してもらったのに、ラッツェルは心底呆れた顔をしてロゼリンを追った。
「俺は早く魔女さんに会いたいんだよ。おまえだってわかってるだろ?」
「ええ。あなたが思い立ったらすぐ行動する直情傾向にあることはね」
ずけずけと遠慮のないその言葉に、ロゼリンは相手をひと睨みする。側近とはいえ、ラッツェルはロゼリンが王となる前から仕えている信望もあつい年上の配下だ。
「……王宮は任せる」
結局睨んだだけでイヤミを受け流したロゼリンの言葉に、ラッツェルは胸に手を当てて頭を下げた。
ロゼリンの行動力に達観さえしているようなラッツェルのその大げさとも思える見送りを受けて、執務室を出た。そのまま、まっすぐ厩へ向かう。
ラッツェルは肩を竦めて兵舎へ足を向けた。急ぎ、護衛隊を編成しないと痺れを切らせて飛び出していってしまうだろう。
ラッツェルは僻地へ向かう王を見送るため、簡単な編成隊を用意しにいく。自分が武官であったなら、迷わずついていくだろうと思いながら。
◇
「おい、おまえ、鞍を乗せてくれ」
王に気安く声をかけられた馬番の男は、王の馬に立派なユダの王族の紋章の装飾をあしらった鞍を乗せながら不思議そうに問いかける。
「お出掛けになるんで?」
「ああ。ユダの僻地、塔の魔女さんのところへな」
ロゼリンの言葉に、馬番もラッツェルのときのように首を傾げた。
「おまえまで、迷信みたいな顔をしやがって」
ロゼリンがふて腐れてそう言うと、ようやく馬番が確認してきた。
「塔の魔女? 五百年幽閉されているっていう、あの?」
「ああ」
「…………でも、五百年って、生きてるんですかい。ユダの魔法使いは確かに長寿ではありやしたが、それでも八十や九十が普通じゃあないんで?」
「生きていても、歩けないくらいよぼよぼの婆さんになってるかもな。なにしろ外に出たことさえないわけだしな」
「行く意味があるんですかい?」
こればかりはロゼリンにもわからない。だから思ったままを告げた。
「さあ、わからねぇ」
馬番はその一言に唖然となる。
「……ロゼリン王子?」
「なんだ」と言いかけて、ムッと目をつり上げる。ロゼリンは馬番にこんこんと諭すように言う。
「王子じゃない、王だ。今の俺はユダの第十代国王、ロゼリン・エフゲニー・アンテロス・マジエフ大公」
「はぁ」
ぼんやりと頷く馬番に、ロゼリンはふんぞり返って言い放つ。
「わかったら跪いて敬え。なんなら靴も磨いてくれて構わないぞ、接吻は遠慮するが」
「……王さま、鞍、乗せやした」
ロゼリンの言葉に青くなるわけでもなく、命ぜられたとおり跪ずくわけでもなく、馬番はロゼリンの馬を引いて彼に手綱を渡す。
「おう」
馬番に命じた言葉は、むろん本気ではない。すぐに表情をあらためて、馬にひらりと乗る。軽やかに厩を飛び出すロゼリンに、馬番はやれやれと苦笑をこぼす。
どうにも威厳に欠けるロゼリンを馬鹿にしているわけではない。むしろ、奔放な彼の気風が好ましい。
「良い王さまなんだがなぁ」
些か無念を含んだ声は、属国となったユダの王を惜しむがゆえだった。
◇
王都から魔女の住む塔までの道のりは遠い。
馬を飛ばして三日。小国といえど、道中には険しい霊峰が連なり、深い渓谷もある。大国ゼルダンが容易にその地に足を踏み入れなかったこともよくわかる道のりだ。
もっとも近くの村に駐屯するとはいっても、そこから塔までの距離はさらに半日かかる。王とその護衛隊は、二日半の時間をかけて村に辿り着いた。
そこから先は、王であるロゼリンのみで行かなくてはならない。
『塔の中の魔女との謁見は、如何なる理由があろうとも、ただひとりに限る』
五百年前に定められた王規だ。
謁見そのものは王でなくともよい。王命を受けた使者でかまわないのだが、会うことが許されるのはひとりだけ。そのように決まっている。
ロゼリンは、塔の中の魔女に自ら会うことを望んでいた。使者を立てるのではなく、自らが王城へ招聘したいと思っていたからだ。
「ここから先は俺ひとりで行く。おまえらはここで休んでおけよ」
「ですがロゼリンさま、本当にひとりで向かわれるのですか?」
従ってきた護衛のひとりが心配そうにそう言うのへ、
「当然だろ。そういう決まりなんだから」
ロゼリンは大真面目な顔をするのだ。
とはいえ、遠い昔から塔の中の魔女へ、使者など遣わした記録はない。その王規どおり、ひとり塔へ向かっても会えるのかわからない。往復に丸一日かかる地へ向かうことそのものが徒労に終わるのかもしれない――それでも。
「わかりました。ロゼリンさま、道中お気をつけて。ただし万が一、明日戻らない場合には我々が駆けつけることをお許しください」
「ったく、頭の固い連中だぜ。万が一なんかあるわけないっての。なにしろ事態は、この国ユダの危機に関することなんだからな」
「「だからこそです!」」
口を揃えて護衛たちがそう言った。
ロゼリンは肩を竦めて、
「まあいいさ。じゃあ行ってくるからな」
と馬の横腹を蹴った。
その塔は、まるで魔物が棲んでいるかのように尖端が鋭利で、黒々とした石壁で築かれていた。近づくにつれ、その不気味さは増していく。
ロゼリンは馬首をそちらへ向けて走らせるのだが、馬は嫌がるように脚を止めて首を振る。
今さら慌てても仕方ないと思い、
「頼むから、おとなしく前に進んでくれよ?」
馬の喉元を撫でて宥めながら、ロゼリンはその不気味な塔を見つめた。
「……五百年か、ずっとこんな場所へ幽閉されるってのは、どんな気持ちなんだろうな」
ロゼリンの声は憐れむようだ。
ときおり嘶き、歩みを止める馬は、嫌がりながらもゆっくりと前へ進んでいく。じっくり時間をかけて、いつしか魔女の張った結界にも入って。つまりは魔女から侵入を許されたということではあるが、五百年前からの定例どおり、ひとりでの謁見を許されて。
ロゼリンは間近に塔を見あげる。
魔女の住む塔に着いたのだ。