魔女、エカテリーナの日常
エカテリーナ・フランツィエ・メイジェフの一日は、読書に始まり読書に終わる。
「マギ・ティス・バディル(望みし物を我に)」
難しい魔術語を正確に発音し、指先に魔力を込める。すると、青白い光とともにひと振りの杖が出現した。
「……朝食が食べたいのう」
とはいうものの、今が朝なのかは、エカテリーナの身長よりも遥かに高い位置にある、薄暗い塔の小さな空気穴程度の窓からは、わからないが。
「マギ・ティス・バディル」
ひらりと、慣れた仕草で杖をひと振りする。
塔の部屋の中にある中央に置かれたテーブルに、ふかふかのパンとスープ、暖められた牛乳が出現した。
「美味しそう、なのかの……?」
エカテリーナは外の世界の食べ物を知らない。知識は、塔の中に積みあげるように置かれている本のおかげで困ることはないが。
彼女には、外界との接する手段がないのだ。
テーブルに乗っている食べ物のいくつかは、この塔に幽閉される以前に口にしたことのあるもの。記憶にある料理や魔法で取り寄せた料理本で知ったものならば、杖ひと振りで出現させることができる。
エカテリーナが求めるものは、彼女の操る魔法によって忠実にこの塔の中に出現するからだ。そのおかげもあって、飢えて死ぬことはない。
この塔はエカテリーナを閉じ込めるために王が用意した堅牢な建造物だ。
かつては優秀な黒導師の系統を引き継ぐエカテリーナに、投獄の身とはいえ侍女をつけるという話があった。だが、それをエカテリーナは断った。
「わらわにはなにも要らぬ」と。
姿形が八歳の少女が、だ。
実際、必要なものはなかったので、最初はこの身ひとつで塔の中に入れられた。
寒々しい寂れた塔に不満などなかったが、石壁にもたれて震えながら夜を過ごせばベッドが欲しくなり、魔法を振るえば魔導書の必要性を実感していった。
「そういえば、本を読むには灯りが足りぬし、冬は暖炉も必要じゃな」
いったんそう思い始めれば、すぐさま塔の中を自らの住み心地が良いように変えてしまった。エカテリーナの心中に罪悪感はない。八歳の少女にしてみれば、幽閉とはこういうものなのだろうと、疑いもしなかったからだ。
「マギ・ティス・バディル」
唱えた魔法は、何処かの場所からふかふかの絨毯とビロードの寝椅子、樫の木の洒落たテーブルを盗みだす。――そう、他人の家から勝手に拝借しているのだ。いくら魔法使いといえど、魔法で大工仕事などできはしないから。
今では塔の中にはあふれるほどのシルクの寝衣に天蓋付きのベッドまであり、充実しきった豪邸と成り果てている。
外に出られない不便は感じていても、塔の中で暮らすことの辛さをエカテリーナはこれっぽっちも感じていなかった。
王を怒らせて幽閉される身になっても、三時には美味しいケーキにかじりつく。昼近くまで寝そべって暮らしながら、魔法で世界中の書物をかき集める。
読み更けて、知識を増やす時間はたっぷりとあった。
怠惰な時間は、緩やかになにごともなく流れていった。
王やその家臣たちはエカテリーナが幽閉に耐えきれず、とっくに凍死か病で死んだと思っているのかも、とのんびり思ったりもして。あるいは魔女らしく、さっさと塔から抜け出して異国で優雅に暮らしていると思われているかもと。
監守のいないことにそういった疑問を抱きながら過ごしている。
以前は魔女とはいえ、八歳の娘だ。温情の声もあがった。
幽閉を解いて、監視のもと、教育機関で保護するようにと。しかし、それは叶わなかった。
エカテリーナの処分を見直す前に巻き起こった戦乱によって。
隣国との大戦に負け、王が崩御したのだ。大国である隣国との戦は、この国の大地や民を疲弊させ、多くの兵と魔法使いの命を奪った。
だが、その事実を知らないままにエカテリーナは塔で変わらず暮らしている。
「今日はマフィンを食そうかの」とか、「マカロンという丸いお菓子はなんじゃ?」と首を傾げて、のんびり気ままに暮らしていた。
そして――瞬く間に五百年の時が流れる。エカテリーナの、自らの成長を止めたその身体は八歳のままに。
変化を知らぬ少女を、時の流れは置いていってしまったのだ。