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第7章 敵対

一時期、私たちの間で「真実の儀式」というのが流行った。

絶対と断言したいときに「命を懸けて」とか「神に誓って」というようなやつだ。

胸に手を当てて、「カミサマに誓います」と言う。そうしたら、その前に言ったことは絶対に嘘じゃない。嘘をついちゃいけない。嘘をついたら、その人はもう2度と信用されない。そんな決まりがあった。しばらくの間、「ホント?」「ホントだよ」「じゃあ、儀式やってよ」というやりとりがあちこちで行われていた。

でも、ブームは一瞬で過ぎ去った。

確かに儀式は便利だ。相手に嘘を言わせない。自分の言ったことを信用してもらえる。でも嘘がつけない。相手に儀式を強要することは、自分も強要されるということだ。その窮屈さが嫌で、みんなすぐに使わなくなってしまった。ただ一人、月白陽向を除いて。

陽向は前々から正直者で通っていた。嘘をつかない。というよりも、嘘をつけない。虚偽の証言をするということを酷く嫌っていたようだった。それが道徳的理由か、宗教的理由か、はたまた別の何かによるものなのかは知らない。とにかく誰も陽向が嘘をついたという話を聞かない(勘違いを除けば、だけれど)。そして儀式が広まってからは好んで自ら行い、今もそれは続いていた。もっとも、儀式があろうとなかろうと陽向が嘘をつかないということに変わりはないのだけれど。

彼女は明るく社交的で、正直で、ちょっと不器用だけれど真面目な子だ。みんな陽向の言うことは疑わないし、失敗を咎めることもない。クラスのアイドルというよりは妹分のような位置づけかもしれない。


「見て見て、これね、昨日買ってもらったの。いーでしょー」

陽向はそう言ってくるっと回って見せた。最近人気急上昇中の小さなファッションメーカーの服だった。それが自慢というよりも素直な喜びの現れのようで見ていて微笑ましくなる。それは随分と得な性格だと思う。緩くカーブを描く口、ぷくりと浮き出るえくぼ、クリリとした大きな目、キラキラ輝く瞳。そこにはお姉ちゃんのような刺々しさも、美沙ねえのような不気味さも、麻利亜さんのようなつかみどころのなさも感じられない。それに比べて…


…バカ…

眞子のバカバカ。

バカバカバカバカバカバカバカバカ!

どうして素直になれないのよ。

どうしてありがとうって言えないのよ。

どうしてせっかく差し伸べた手を拒むのよ!

私の気持ちも知らないで!


思い出すたびに苛立ってくる。

助けてあげようと思ったのに。勇気を出して声をかけたのに。

家に帰ると、いつもより靴が多かった。美沙ねえと麻利亜さんが来ているのだ。お姉ちゃんの怪我も良くなり、今は松葉杖で学校に通っている。

「あ、美奈ちゃんおかえりー」

お姉ちゃんの部屋から美沙ねえがひょこりと顔を出した。3人が車座になっている。この3人はいつも一緒だ。一緒に帰宅して、一緒に遊んで、一緒に誰かをいじめて…

「美奈ちゃん、眞子はもう家に帰ったかな?」

思いがけず尋ねられる。喉を詰まらせていると、お姉ちゃんがぽつりと言った。

「…そう言えば最近、あんたの口から眞子のこと聞かないね」

事情を少しだけ知っている麻利亜さんが一瞬バツの悪そうな顔をした。

「…」

私は押し黙って俯く。

私だってそうだった。眞子と私だっていつも一緒だったのだ。なのに今はバラバラ。どうして? 仕方ない?

友達ってなんだろう。どうしたら友達なんだろう。

「…ねえ、私と眞子って、友達なのかな」

声が漏れた。一度漏れるとそこからダムが決壊するかのように、言葉が飛び出してくる。涙も一緒に。

「私の友達って、何人いるのかな。友達って、自分を犠牲にしてでも助ける価値のあるものなのかな。大切な友達とそうでない友達がいるのかな。私って、…冷たいのかな。私…私、分かんないよ!」

私は泣いた。悲しくて、悔しくて、羨ましくて、馬鹿みたいで、情けなくて、恥ずかしくて、どうしようもなくて。


部屋は静かだった。しばらくの間、私の鼻をすする音だけがその場に漂っていた。それを打ち破ったのは、

「いい加減に黙れよみっともない」

ガツン。

お姉ちゃんの拳骨だった。

「いつもあんたはうじうじうじうじ。そういうのがいらつくんだって分かんないの? 喚いてんじゃねえよ。言いたいことははっきり言え。言わないんなら最初から何も言うな。正直、うざったい」

浴びせられる怒声に、押しつぶされそうになる。いつだってそうなのだ。私の言葉はお姉ちゃんには届かなくて、私はいつも邪魔者扱いで。

でも、今日はお姉ちゃんの言葉が二重に私の心を抉る。

みんなと一緒に眞子をいじめるか、眞子と一緒にいじめられるか。私はどちらも選びたくなかった。何も言わないでいられたらどんなに楽だっただろう。でも、クラスの雰囲気はそれを認めない。眞子が私を拒絶した今、私も眞子を拒絶するしかないのだろうか。私にそんな覚悟があるだろうか。

そう、覚悟だとか決意だとか、そんな大層な物を私は持っていない。ずっと逃げてきたから。ずっと決めることが怖かったから。でも。

「でも、私は…コウモリにはなりたくない…!」

絞り出すように、それだけ言った。いじめなければ、いじめられる。問題はそれだけなのだ。いじめられるのなら、せめて同士がいたほうがマシだ。孤立無援のコウモリにだけは、なりたくない。

「は? 意味分かんない」

そう一蹴されて、私は今度こそ、何も言えなくなった。


これ以上無いまでに気まずかった。重苦しい空気が流れていた。そんな中でも笑顔を絶やさない美沙ねえが、不気味なようで、少しありがたかった。

「…わたし、そろそろお暇するわ」

麻利亜さんがゆっくりと立ち上がった。追い出してしまったようで、心がちくりと痛む。

「美奈、玄関まで送っていけ」

不意に、お姉ちゃんがぶっきらぼうにそう言った。

「え? 何で――」

「いいから」

仕方なく立ち上がる。お姉ちゃんの友達なのだから、お姉ちゃんも見送るべきだと思ったけど、口答えをするのをやめた。怖かったし、後ろめたかったし、何より面倒くさかった。


麻利亜さんはドアノブに手をかけて、そのまま固まった。

私が黙って見ていると、麻利亜さんはゆっくりと振り向いた。

「ねえ、私があなたたちと初めて会ったときのこと、憶えてる?」

「あ、え、はい。あの時はありがとうございましたというか、すみませんでしたというか…」

「いいのよ、結局大したことなかったのだから」

ぽつり、と呟いた。

「似てるわね、あの時と」

「え?」

「雪辱戦なのよ、きっと、これは…」

そういう麻利亜さんの目に私は映っていなかった。自分に言い聞かせているようだった。やがて上げた顔は、何かを決意したようだった。

「美奈、あなたはコウモリになりたくないって言ったわよね」

「…うん」

獣と鳥との戦争。有利な側につこうとしたコウモリは、結局どちらからも嫌われることになった。

「どうしてコウモリは除け者にされたのかしら?」

「それは…両方の味方をしたから…」

「違うわ」

麻利亜さんははっきりとそう言った。

「え?」

「コウモリが獣にも鳥にも嫌われた理由はね…両方を敵に回したからよ」

「…」

何を言っているのか分からない。その2つが意味するところは同じではないのか。

困惑する私を尻目に、麻利亜さんはブーツの紐を結ぶ。長くてごちゃごちゃした黒い線が、麻利亜さんの手できれいに納められていく。

「1853年、汎スラブ主義を掲げるロシア帝国は国力の衰えつつあるオスマン帝国に侵攻し、戦争が勃発した。トルコにおける利権を狙っていたイギリスやフランスはロシアの強硬な姿勢に反発し、オスマン帝国側としてこれに参戦した。後にクリミア戦争と呼ばれるこの大規模な戦いは、双方の作戦の不備やゲリラ戦、不衛生などが重なって甚大な被害を出し、史上稀にみる不毛な戦争として歴史に名を残すことになった」

私はポカンとして麻利亜さんを見ていた。突然、この人は何を言い出すのだろう。歴史に詳しいなんて知らなかったけど、それ以前に、何を言わんとしているのかが分からなかった。

「その中で、とある人物を筆頭にした部隊が活躍した。名前くらいは、あなたも聞いたことがあるはずよ」

答えられない。私は勉強は苦手なのだ。そうこうするうちに麻利亜さんはブーツを履き終えた。立ち上がって、振り向いた。

「クリミアの天使、フローレンス・ナイチンゲール」

「あ…」

さすがに、聞いたことはあった。戦争で敵も味方も関係なく、負傷した人を看病した看護師の鑑。

「彼女は戦争が終わった後、どちらからも鼻つまみ者にされたと思う?」

「…」

そんなわけはない。想像にすぎないけれど、私がどちらかの兵士だったとして、彼女を敵視することはないと思う。少なくとも、現代において彼女は有名人だし、あちこちで賞賛されている。

どちらの勢力にも味方したナイチンゲール。しかし彼女にコウモリの蔑称はあまりにも似合わない。

両方の敵になることと両方の味方になること。それは、果たして本当に同じことなのだろうか?

「あなたは贅沢なのよ。手出ししたがるくせに、どちらも敵に回したくない。そんな中途半端なわがままだからコウモリになるの。それすらも嫌だっていうのなら」

パタン。閉ざされた玄関のドアを、私はいつまでも見つめていた。私の耳に、麻利亜さんの最後の言葉がいつまでも響いていた。

「――天使になりなさい」


お姉ちゃんはわがままだ。

人のことなんか関係ない。自分のやりたいようにやる。そこに一切の妥協はない。

そんなお姉ちゃんに、私は畏れを抱いていた。

でもそれは、劣等感だったのかもしれない。

お姉ちゃんはひたすら、自分に正直だった。

自由に動けるお姉ちゃんが羨ましかった。

周りを気にしないお姉ちゃんを恰好良いと思った。

私だって。

私だって。


敵を作りたいなんて思う人はいない。

敵意や悪意を向けられたい人なんていない。

誰だって、自分を守りたい。

誰だって、自分だけは安全なところにいたい。

でも、何をしたって快く思わない人はいる。

全部を気にしていたら、何もできない。

私は、何かをしなくちゃいけない。


その「何か」を、私は事実確認から始めた。

眞子が鴇の図工の作品を壊した。これは私も見ていたから事実だ。

眞子が女子トイレの窓ガラスを割った。これは噂に留まっている。証拠は何もなくて、みんながそう言っているだけだ。

眞子が博士の自由研究を壊した。これは?

私は見ていない。でも、証言がある。陽向は眞子の犯行を目撃している。だから事実。

でも、じゃあ、どうしてそんなことをしたのだろう?

イライラしていたから? 恨みがあったから?

わざとじゃなかったなんて言い訳は通らない。明らかにあれは故意に踏み荒らされていた。徹底的に潰されていた。靴底の模様がくっきりと残っていた。いくつも、いくつも。

…あれ?

少し、気になったことがあった。その疑問を晴らすために、私は博士の自由研究に目をやった。

あのあと、博士は頑張って作品を復元した。一から作り直すのではなくて、汚れを取ったり、建物を膨らませ直したりして、元の状態にできるだけ近づけたのだ。それでもさすがに限界はあって、消えきらない靴跡が目を凝らすと残っている。

疑問は晴れなかった。教室での彼女らの会話。目の前の靴跡。そして、眞子が私を拒絶したあの日。

この足跡の主は、本当に眞子なのだろうか?

「美奈ちゃん、どうしたの?」

陽向が、そばに寄ってきた。傷一つ無い真っ白な内履き。

陽向は正直者だ。嘘をつかない。だからこそ、確認したかった。

「…ねえ、陽向」

「なぁに?」

「陽向は、眞子がこれを踏んでるのを、見たんだよね?」

返事は、なかった。

「陽向?」

陽向の顔を見ると、真っ青だった。

「…ごめん、なさい…」

震える声で、そう漏らす。何かがおかしい。そう思った私は、陽向を教室の外に連れ出した。誰もいない多目的室で、私は陽向と2人向かい合う。

「どういうことなの?」

「…私は、見てない。眞子ちゃんが壊すところは、見ていない」

「…あのときは、嘘をついたの?」

「そうじゃない! 私は、嘘をつかない!」

混乱してくる。一体どういうことなのか。

あの時のことを思い出す。鴇が、眞子が博士の自由研究を壊したと言った。そしてそれを陽向が目撃したと言った。陽向はそれに頷いた。確かに、あの時陽向は少し気まずそうだった。でも、嘘はついていないという。おかしい。矛盾している。

いや、もっと正確に思い出すべきだ。

「だって、鴇は陽向が見たって…」

「違うの! 私が眞子ちゃんを見たのは本当だけど、眞子ちゃんが壊したんじゃないの! 私は、眞子ちゃんが教室から出てくるのを見たって言っただけなの!」

何かがおかしい気がした。陽向は眞子が教室から出てくるのを見ただけだと言う。でも、眞子が壊したのではないとも言っている。それはつまり、真犯人を知っているということではないか?

「博士の自由研究を壊したのは…」

陽向が絞り出すような声で言った。

「…私、なの」


敵を作りたいなんて思う人はいない。

敵意や悪意を向けられたい人なんていない。

誰だって、自分を守りたい。

誰だって、自分だけは安全なところにいたい。

だから、人を傷つけるのだ。

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