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第3章 主従

私が物心ついた頃から、お姉ちゃんは男勝りだった。

いや、「男勝り」なんて言うと、きっとお姉ちゃんは怒るだろう。男なんてバカでズルくて自惚れてて、そんな男に支配されている社会なんて耐えられないとでも思っていそうだ。お姉ちゃんが男子と仲良くしているところなんて見たことがないし、遊び相手もいわゆる「女の子らしい」子は避けていたように思う。そういった意味では、美沙ねえはお姉ちゃんの友達としては一番それらしくて、それでいて一番ありえなさそうだった。

お姉ちゃんと美沙ねえとの関係を何と呼ぶべきか、私にはよく分からない。でも友達と言うよりは、もっと一方的なものなんじゃないかと思う。お姉ちゃんがどんなワガママを言っても、美沙ねえはニコニコ笑ってそれに従い、決して不平不満を言わなかった。おなかが空いたと言えばお菓子を持ってきたし、宿題がメンドクサいと言えば代わりにやった。多分、言われれば犯罪にも手を貸したと思う。それくらい美沙ねえはお姉ちゃんに大して従順で、いつも二言目には「真希ちゃんが――」と言うのだった。


美沙ねえはちょくちょくお姉ちゃんの病室にやってきた。もちろんお姉ちゃんは意識がないままで、美沙ねえが一方的に話しかけるだけ。今日はすごいいい天気だよ、とか、昨日看護師さんに怒られちゃった、とか、どうしたら起きてくれるのかなぁ、とか。

不思議なことに、日に日に美沙ねえはやつれていくようだった。病院にいるのだから、良くなっていくはずなのに。心配して訪ねると、美沙ねえは笑ってこう答えるのだった。

「私はね、お雛様なんだよ」

その意味するところが分からないまま、1週間が過ぎた。


朝、教室に入ってすぐ、私は異変を感じ取った。

教室が騒がしい。数人が集まっている。輪の中を覗いてみるとそこには1人の男子がうなだれていた。

「酷いよねー」

「カワイソー」

「犯人誰だよ」

「これもう使えねーじゃん」

漏れ聞く単語と状況から、何となく何があったのか掴めてきた。

そこにいるのはクラスで博士と呼ばれている子だった。とても凝り性で、工作の時間にはいつも出来の素晴らしさと思ってもみなかったアイデアで先生を含めみんなを驚かせた。夏休みの自由研究もすごく熱の入ったオリジナルの模型を作ってきて、みんなの作品と一緒に教室に飾られていた。

そこにあるのは、町の模型だ。この町を紙で立体的に作ってある。とても細かくて、校舎や体育館はもちろん、ビルの階数まで分かるくらいだ。私が住んでいるアパートもあった。池は青く、森は緑に、空き地は茶色に塗ってある。1メートル四方くらいはありそうな大きさで、棚には乗らないから教室の前の床に置いてある。誰がどう見ても力作で、相当の時間と手間をかけたことは想像に難くなかった。

それが、ぐしゃぐしゃに、潰されていた。それが、靴の跡で、汚れていた。誰がどう見ても、誰かの手で――「手」を使ったかは分からないけれど――壊されていて、そんなのは造作もないであろうことは想像に難くなかった。そして、それが酷く彼の心を傷つけたであろうことも。

不意に、春の出来事が頭をよぎった。鴇の粘土細工を眞子が落として割った事件。輪の中に鴇もいた。自分の経験と重ねたのか、いたく博士に同情しているようで、犯人をとっちめてやると息巻いていた。眞子の姿を探すと、涼しげに自分の机に座っていた。まるで、何事も無かったかのように。

何だか、嫌な予感がした。


昼休み、グラウンドで遊んでいると鴇が険しい顔で私を呼んだ。重い腰を上げると、そこには数人の女子の中に陽向もいた。

「博士の自由研究のヤツだけど」

そう言って睨みつける。

「あんた、何か知ってる?」

「…知らないよ」

「白状するなら今のうちだよ」

思わず笑ってしまう。まるで私がやったかのような言い方だ。心当たりなんてまるで無いというのに。そもそも、犯人だったとしてもこんな状況で誰が認められるだろう。

「私じゃないよ。私は何も知らない」

「天に誓って?」

「命かけてもいいよ」

「やったの、眞子なんだって」

「…え?」

突然の話題に頭がついていかない。どういうこと? 眞子が博士の自由研究を壊したってこと?

「本当?」

「…疑うの? あんた、眞子の味方?」

「違うよ」

とっさに否定する。ここへ来てようやく、私は状況が芳しくないことを悟る。

周りが疑いの目で私を見ている。私と眞子は1年生のときから一緒に登校していた。それはもう周知の事実だ。今はほとんど口を利かないとは言っても、仲が良かったことに変わりはない。だから、眞子が疑われたとき、真っ先に関連が疑われるのは私なのだ。

「本当に、何にも知らないのね?」

「…知らない」

鴇が詰め寄る。今すぐにでも逃げ出したかった。でも、そうしたら何を言われるか分からない。私は慎重に言葉を選ぶ。

「…何で、眞子だってことが分かったの?」

「陽向が見たんだって。昨日の放課後」

「陽向が?」

目撃者。それは決定的だ。弁解の余地がない。鴇は得意げに陽向を見やる。

「ねぇ、陽向?」

「…う、うん…」

歯切れ悪く、陽向は肯定した。それに少ししっくりこないものがあったけれど、陽向が嘘をつくとはとても思えない。いや、鴇の言うことが信用できないというわけじゃない。ただ、嫌いな相手を陥れようとしているなんてありえないとは言えないという程度だ。その点、陽向は誰とも衝突したことがない。少なくとも私の知る範囲では、だけど。

「本当にないよね、何考えてるんだろう」

「悪魔だよ、悪魔」

「前も鴇の作品壊したしさー」

「仕返ししちゃえよ。ああいうのはやられないと分からないんだから」

校庭の片隅で口々に眞子を罵る。本人がこの場にいないことをいいことに、好き勝手言う。

こうやって陰口を聞いていると、私も何か言われているのではないかという気がしてくる。私のいないところで、彼女らは私の悪口を言っているのかもしれない。彼女らにとって、私は仲間でも友達でもないのかもしれない。

…そんなの、イヤだ。

私はひとりぼっちにはなりたくない。見捨てられたくない。

「…わ、私も――」

「え?」

だから。

仲間になりたくて、認めてもらいたくて、私は、その言葉を口にしてしまった。

「――私も、前からウザいと思ってたんだ――」


一度口にしてしまえば、後は簡単だった。するすると眞子を罵倒する言葉が思いついて口を出る。

「いつも無口で何考えてるか分かんないし」

「全然笑わなくて可愛げがないよね」

「あんな奴、友達だって思ったことなんて一度もないよ」

最初はあった罪悪感も、徐々に薄れていった。これは演技だ。この場を乗り切るための演技。自分への嫌疑を晴らすための演技。

本気で眞子のことをいじめたいわけじゃない。本心から眞子のことを嫌っているわけじゃない。本当に眞子に死んでほしいと思っているわけじゃない。

ただ、とっさに出た、デマカセなのだ。


病室から人の気配がした。お母さんはまだ仕事中のはずだ。きっとまた美沙ねえが来ているのだろう。そう思ってゆっくりドアを開ける。

そこにいた人物は、ハッと振り返った。それは美沙ねえでもお母さんでもなかった。もちろんお姉ちゃんが目を覚ましていたわけでもなく、安心したことに眞子でもなかった。でも、私の知っている人だった。

その人は室内だというのにロングコートを着ていた。身につけたものもレースで飾られたカチューシャも、長く伸びた髪よりも濃い黒。小柄な体格と切りそろえられた前髪は人形のようだけれど、厚いマスカラと真っ赤なルージュが可愛さと言うよりも近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

「…こんにちは、お邪魔してるわ」

心底ホッとした様子で私に挨拶をする。

この人は麻利亜さんと言って、お姉ちゃんや美沙ねえのクラスメートだ。そして同時に私たちの恩人でもある。美沙ねえとは違ってつきあいは短く、私は数えるほどしか会ったことはないけれど、その特徴的な身なりは印象に残っている。

「真希の様子はどうなの?」

「…とりあえず命は助かったけど…いつ意識が戻るかは分からないそうです」

「…そう…」

麻利亜さんは眉根を寄せる。

「あなたは?」

「え?」

「あなたは無事なの?」

質問の意味が分からなかった。私は別に事故に居合わせたわけではない。それは麻利亜さんも知っているのではないか。お姉ちゃんと美沙ねえが事故にあったのは下校途中なのだから。

「私は…別に何も」

「なら、いいんだけど」

麻利亜さんは何を気にしているのだろう。それを質問する前に、次の質問が飛んだ。

「眞子ちゃんは元気?」

自分で表情がこわばるのが分かった。眞子。ついさっき、私が陰口をたたいた相手。

「元気、だと思います」

「…だと思う?」

歯切れの悪い返事をしてしまった。案の定聞き返される。ただ、それだけで、深く追求はしてこなかった。麻利亜さんは立ち上がる。

「そろそろお暇するわ」

「えっ、もうですか?」

「あんまり長居するものじゃないでしょう」

胸をなで下ろす。麻利亜さんのことが苦手なわけではないけれど、やはり年上の人と話すのはそれなりに緊張するものだ。

だから、麻利亜さんが帰り際に声をかけてきたとき、私は思わず飛び上がった。

「そういえば、これから美沙の顔を見に行くんだけれど、あなたも行く?」

少し考えてしまう。誘いを断るのも悪いけれど、この時間だときっと眞子もいるだろう。

「…いえ、遠慮しておきます」

麻利亜さんは今度ははっきりと怪訝な顔をした。

「眞子ちゃんと喧嘩でもしたの?」

「…」

とっさに否定できなかったのが致命的だった。歯切れの悪い返答しかできず、視線を逸らす。

息をつく音が聞こえた。表情を盗み見ると、麻利亜さんはほほえんでいた。

「だったらなおのこと行きましょう。長い付き合いは大切にするものよ」

「…でも…」

「眞子ちゃんのこと、友達だと思ってる?」

「そりゃあ…」

「なら、ね?」

麻利亜さんは手を差し伸べた。少し考えて、私はその手を掴んだ。少し冷たかったけれど、すごく頼もしかった。もしかしたら…麻利亜さんなら、私たちを助けてくれるかもしれない。


「…どういう…ことなの…」

麻利亜さんは愕然と目の前を見つめた。私もその脇で絶句していた。

そこは個室だった。美沙ねえのお母さんは結構良い家柄の人らしいから、それは別に不思議なことじゃなかった。

「美沙は…骨折で済んだんじゃなかったの!?」

「…そのはず、なんですけど…」

そこは異様だった。慌ただしく看護師さんやお医者さんが出入りしていて、とても入れる雰囲気じゃない。

1人、知った顔を見つけた。美沙ねえがお姉ちゃんの病室に来たとき、迎えに来た看護師さんだ。勇気を出して声をかける。

「あ、あの、すみません」

「ごめんなさい、今ちょっとバタバタしてるの」

「美沙ねえに、何かあったんですか?」

看護師さんは一瞬迷う素振りを見せ、私に耳打ちした。

「まだ原因はよく分からないんだけど、意識がぼんやりしているみたいなの。緊急の検査とかいろいろするから、今日は面会できないと思うわ」

そう言って人差し指を立て、内緒の意を伝えると、小走りでどこかへ行ってしまった。

振り返ると、麻利亜さんと目が合った。視線で「どうしたの」と訊いてきたので、先ほどのことを伝えた。内緒とは言われたけれど、居合わせた麻利亜さんならぎりぎりセーフだろう。

麻利亜さんの反応は尋常なものではなかった。あからさまに青ざめていくのが分かった。

「…まだ…なのね…」

「え?」

「呪いなのよ…真希がこうなったのも、美沙がおかしいのも…私の…私のせいで…!」


麻利亜さんの話は次のようなものだった。

事故のあった日の朝、お姉ちゃんと美沙ねえと麻利亜さんの机の中に封筒入りの手紙が入っていた。そこには、これは呪いの手紙で、他の人に回さないと不幸になるという内容が書かれていた。よくあるイタズラだ。

お姉ちゃんもそう思ったのだろう。麻利亜さんの忠告を無視して、その手紙を破り捨てたらしい。しかも、クラスのみんなの前で。当然美沙ねえも同じようにした。

そしてその日の夕方、お姉ちゃんと美沙ねえはトラックにはねられた。


何か頭に引っかかるものがあった。不幸の手紙と同じ日に起きた事故。この2つは本当に何も関係ないのだろうか? 手紙を出した人物、お姉ちゃんと美沙ねえが事故にあった理由、美沙ねえの容態がおかしくなった原因。これらはみんなバラバラなのだろうか? 家への帰り道で色々考えてみたけれど、結局何も思いつくことはなかった。


玄関についた。鍵を取り出そうとしていると、横目にお姉ちゃんの自転車が見えた。高校入学のお祝いに買ってもらった自転車。事故現場から警察の人が届けてくれた。まだ大きな傷もなく、ピカピカのままで――

え?

違和感を覚えた。

私は、お姉ちゃんと美沙ねえが、赤信号を自転車で飛び出して、ハネられたんだと聞いた。そして現に、美沙ねえの自転車は滅茶苦茶になった。なのにお姉ちゃんの自転車はこうしてここにある。どうして?

不意に、電撃が走った。今まで何の気なしに見ていたものが、突然意味を持ち始めた。私は慌てて元来た道をとって返す。

もし、私の思いつきが正しければ。


あの事故は、偶然なんかじゃない。

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