第1章 友達
これは今後リリース予定のアドベンチャーゲーム「グウゼンセイ」の原文です。
推敲前のため、見苦しい点が多くあると思います。
ゲームを遊ぶ予定のある方はまだ読まないほうがいい…かもしれません。
また、かなり胸糞悪い話なので注意。
眞子が、教室に戻ってきた。
私は本を読んでいる振りをして、横目で彼女を観察していた。
眞子が席に座る。辺りを見回す。そして、しばらくじっと机を見つめた後、おもむろに立ち上がる。
クスクス、クスクス。
教室の片隅から、含み笑いが聞こえる。
眞子が教室を回り始めた。しかめっ面で。そして、あちこちに視線を飛ばす。何かを探しているみたいだ。
馬鹿か、私は。
探しているみたい、じゃない。眞子は探しているのだ。
筆箱を。彼女の筆箱を。彼女の新しい筆箱を。夏休みに新しく買った彼女の筆箱を。ボロボロにされたから夏休みに新しく買った彼女の筆箱を。ボロボロにされたから夏休みに新しく買ったのに夏休みが終わってまた早々に汚された彼女の筆箱を。そしてまた誰かに隠された筆箱を。
クスクス、クスクス。
教室の喧噪の中で、耳障りな笑い声が聞こえる。眞子には聞こえていないのだろうか。彼女は一心不乱に筆箱を探して歩き回る。誰も手伝おうとはしない。眞子もまた、誰かに協力を求めたりはしない。もう分かっているのだ。尋ねても無駄だってことを。
私は願う。授業が始まる前に、眞子が筆箱を見つけられますように。
私は心のどこかで、夏休みが終われば自然とこの状況が良くなっているんじゃないかと期待していた。そんなわけはなかった。事態は依然として悪いままだ。
眞子は、いじめられたままだ。
掃除用具入れの中に投げ出された筆箱を見つけた眞子は、無言で席に戻った。
クスクス、クスクス。
忍び笑いが聞こえる。私は耳をふさいだ。眞子の姿を目で追うのはやめた。
チャイムが鳴った。先生が入ってきた。
算数の授業が始まる。
突如、眞子が立ち上がった。黒板に式を書いていた先生は何事かと振り返る。眞子は黙って数本の鉛筆を手に、教室の後ろにある鉛筆削りへと向かった。ガリガリと機械の音が響く。
「崎本さん、鉛筆を削るのは授業が始まる前にしてくれないかな?」
先生が優しく言う。眞子は答えない。
クスクス、クスクス。
きっと先生には、この笑い声が聞こえていない。聞こえると思って注意していないと聞こえない。聞こえたとしても、そこに悪意が含まれていることに気づかない。
眞子だって、授業を妨害したくてしているわけじゃない。授業が始まる前に「筆入れの中の鉛筆が全て折れていることに気がついていれば」、予め削っておいたはずだ。
私は心のどこかで、夏休みが終われば自然とこの状況が良くなっているんじゃないかと期待していた。そんなわけはなかった。事態は依然として悪いままだ。いや、むしろエスカレートしている。
眞子は、こんな仕打ちを受けるほどヒドいことをしただろうか?
確かに最初は眞子が悪かった。
ある日の掃除の時間、眞子は友達とお喋りをしていた。そして鴇に真面目にやれと注意された。眞子はムスッとしながらも棚の水拭きを始めた。
その時、眞子の手が棚に飾ってあった作品にぶつかった。図工の時間に各自が作った紙粘土のオブジェ。それは床に落ち、バキリと割れてしまった。鴇の作品だった。
眞子は謝らなかった。気持ちは分からないでもない。申し訳ない気持ちはあっただろうけど、ついさっき注意してきた相手に謝るのは癪だったのだろう。でも、それで鴇との間には亀裂が入ってしまった。そしてそのヒビは、どんどんと深くなっていった。まるで傷口にばい菌が入り込んで、腐ってしまったかのように。
「信じられないよね」
「サイテー」
「マジありえないでしょ」
鴇はこの話を友達に言って回った。みんな口々に眞子を非難し、鴇に同情するのだった。
きっと、そう、最初はただちょっとムカついただけ。その言葉には悪意なんてなかった。ただ、苛立ちを吐き出しただけ。他人を貶すことで黒い快感を得ようなんて思惑はなかった。でも、この話はクラス中に広まって。いつの間にか眞子の周りは敵だらけになっていた。
眞子は眞子で気が強くて意地っ張りだった。泣くことも謝ることも助けを求めることもせず、独りで本を読んでいることが多かった。
私は眞子の悪口を言うことはなく、かといって眞子に手を差し伸べることもなく、成り行きを傍観していた。
眞子を助ければクラスのみんなを敵に回すことになる。かといって一緒になって眞子をいじめたいわけでもない。だから、ただ黙って見守っているしかない。
「美菜ちゃん、一緒に帰ろ」
帰りの会が終わると「友達」の陽向が駆け寄ってきた。
今年の初めに、私の家は少しだけ引っ越した。それによって転校することはなかったけれど、登下校を共にする相手が眞子から陽向へ変わった。
陽向はとても明るく素直で、クラスの人気者だった。私が接する機会はあまり無かったのだけれど、一緒に登下校するようになって話すことが増え、この子の良さがより分かるようになった。眞子もこれくらい素直なら、こんなことにならずに済んだんじゃないかとも思う。
「ごめん、今日は帰りに買い物しなきゃいけないから」
「そうなの?」
陽向は人差し指を頬に当て、うーんと2秒くらい考えるフリをした。
「じゃあさ、あたしも手伝ってあげるよ」
「えっ? ホント? 遅くなるよ?」
「うん。前に美菜ちゃんが買い物して帰るところ見かけたけど、重そうだったもの。2人なら重さも半分になるでしょ?」
あーもう、ホントいい子だなぁ。
「じゃあちょっとだけ、お願いしてもいいかな?」
「どうぞどうぞ。まかせちゃって!」
両手に食材の入ったビニール袋を提げて、私たちは家路についた。別れ際に荷物を受け取ると、どっしりとした重みが両肩にかかる。…ちょっと欲張りすぎたかな。1人だったら絶対持ち帰れない重さだ。
「ありがとう、すごく助かった」
「大丈夫? 家まで運ぼうか?」
「いいよいいよ。そこまでは悪いし。また明日ね」
「うん、また明日。バイバイ」
手を振って別れる。ここから家までは大した距離じゃない。ここからなら一人でも大丈夫。
歩きながら私は考えた。眞子のこと、陽向のこと、クラスのこと、家のこと。
そりゃあ私だって、眞子とも鴇や陽向とも仲良くしたい。世界中の人と仲良くできるなら、その方がいいに決まってる。
でも、そんなのは所詮キレイゴト。どうしても相入れない相手だっているし、その2つの集団両方に取り入ることなんてできない。眞子と仲良くするならクラスを敵に回すことになるし、クラスに同調するなら眞子をいじめることになる。
小さい頃にお姉ちゃんが読んでくれた本。その一つが強く心に残っている。どっちつかずのコウモリの話だ。獣と鳥が戦争をした。コウモリは獣側が勝っているときは自分は毛が生えているから獣だと主張し、鳥側が優勢の時は羽があるから鳥だと言って仲間になろうとした。戦争が終わって獣と鳥が仲直りしたとき、そのことがばれてコウモリはどちらからも仲間外れにされた。
私は、そんなのイヤだ。私はひとりぼっちにはなりたくない。そして、どちらかを選ばないといけないのなら。
私は、失うものが少ない方を選ぶ。眞子1人とそれ以外のクラス全員、それがどちらであるかは明白だ。
うちにはお父さんがいない。お母さんは仕事で忙しいから、遅くまで帰ってこない。だから夕ご飯の用意は私とお姉ちゃんの仕事だ。最初の頃は張り切って料理の本とにらめっこしながら、色々と手の込んだ料理に挑戦したものだけれど、最近はかなり手抜きになっている。お姉ちゃんが作るのは大抵焼き物か炒め物だし、私の当番の日はカレーとかシチューとかポトフとか、煮込み料理ばかりになる。それでも最初の頃からするとずいぶん手際は良くなったのだけれど。
ガスを止める。今日はスーパーで買ったロールキャベツと野菜煮込み。お母さんはまだ帰ってきていない。先に食べ始めてしまっているのが普通だ。お姉ちゃんを呼ぼうと、私は部屋の前まで来た。
「アハハ、マジで? 笑えるわーそれ」
部屋の中からお姉ちゃんの声がした。ノックをしようとする手が止まる。
「そーそー。ホントムカつくわ。さっさと学校来なくなりゃいいのに。…うん、うん、そう。」
電話中のようだった。そしてそれを聞くのは初めてじゃない。大して広くなくて壁も薄いアパートだから、テレビと調理の音がなければ普通の話し声程度は聞こえるし、お姉ちゃんも隠そうとする努力はしていないようだった。
「はいはい。んじゃね」
電話を切ったらしいのを聞き届けて、私はノックをする。すぐにドアが開いた。
出てきたお姉ちゃんは私の顔を見て眉をひそめる。
「何あんた。立ち聞きしてたの?」
「聞かなくても聞こえるよ…」
お姉ちゃんは何も言わずに私の傍らをすり抜け、食卓に着く。そしていただきますも言わずに食べ始めた。
私は見えないように溜息をつき、夕食を始めた。
お姉ちゃんが傍若無人なのは昔からだった。でも、お母さんとお父さんが離婚してから、高校に入ってから、それが更に悪化した気がする。
あまり構ってくれなくなった。夜でも勝手に出かけていくようになった。髪の毛も染めて、先生に注意されても直さなかった。時々授業をさぼるらしい。そして、毎日のように電話で誰かをいじめる話をするのだ。
突然、今日のことが頭に浮かんだ。ロールキャベツを頬張って、その考えを吹き飛ばした。
…私は、違う。
私はお姉ちゃんとは違う。
私は眞子をいじめてなんかいない。
いじめてなんか…いない。
今日もまた、眞子はひとりぼっちだった。
朝、教室に入ってきても誰も声をかけない。
授業中、消しゴムのカスが眞子に投げられる。
給食、汁物がなみなみと注がれて、案の定眞子はお盆にこぼした。
昼休み、眞子は筆記用具を持ってトイレに行った。すると今度はノートにいたずら書き。
掃除中、事故を装って、雑巾掛けをしている眞子の顔に箒の先が当たる。
放課後、眞子が帰ってから、数人の女子が内緒話。
「今度はどうする?」
「上履きに画鋲でも入れておく?」
「それはさすがにやり過ぎー」
「じゃあさ、靴の裏に画鋲をブスブス刺しておくのは?」
「あー、それいいね」
「怪我もしないしね。あたしらったら良心的!」
これが、日常。私の日常。眞子の日常。
幾度となく繰り返され、そのたびに酷くなっていく、日常。
この日常に慣れつつある自分が、時々怖くなる。
クスクス、クスクス。先ほどの彼女らがまだ何か話している。
…さっさと帰ろう。巻き込まれたらたまらない。
当然ながら、ドアには鍵がかかっていた。首に提げた鍵をノブに差し込み、回す。部屋の中は暗かった。最近日が短くなっている。
「ただいまー」
誰もいない空間で一人呟く。靴を脱いで上がる。今日はお姉ちゃんが当番の日だけど、まだ帰っていないみたいだ。夕飯が遅くなるのは私も困るので、洗い物くらいはやっておいてあげようかな。それと洗濯物の取り込みも。
ランドセルを名ばかりの勉強机に置いて、私は袖をまくった。その時。
プルルルルル
電話が鳴った。受話器を取る。お母さんからだった。何かを早口で言っているが、よく聞き取れない。ただ、酷く慌てていることは伝わってきた。
「お母さん落ち着いて。…今、何て言ったの?」
帰ってきた言葉は、今度ははっきりと聞こえた。でも本当のことを言うと、聞こえてほしくなかった。もしかしたら私は、それを否定したくて、聞こえないと自分に言い聞かせていたのかも知れない。
お母さんは、震える声でこう言ったのだ。
「真希と、美沙ちゃんが…トラックにはねられたって…!」