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 ガラン、と喫茶店に入った時のような音が響いた。

「失礼しまーす・・・・・・」

 何故か二つあるドアの右側を開けて、僕は呟いた。

 僕が今現在突っ立っているのは、『折原クリニック』という小さな診療所の玄関である。玄関というよりは入口だろうか。要するに入ってすぐのところである。正確に言うと上半身だけドアの隙間から突っ込んだ状態だ。

 僕は診療所どころか病院にも滅多に行かない比較的健康な人間なので、此処に来るのは初めてである。今回だって別に怪我をしたわけでも病気になったわけでもない。

 僕が此処に来たのは、此処の――というか此処の医者の――≪副業≫のことを風の噂で聞いたからである。

 基本的に僕は、病院とかそういう場所は嫌いである。場所というか、雰囲気がどうしても好きになれない。

 この診療所だって、外見は新しいし真っ白な壁で清潔な感じがするが、それと同時に病院独特の不安な感じもしていて、僕の好まない雰囲気を醸し出している。従ってこの中に入ることは非常に不本意である。

 けれど、入らないわけにはいかない。僕は此処以外に頼れる場所を見つけられなかったのだから。それで仕方なく、恐る恐る、何故か二つもあるドアの右側を開けたというわけだ。

 僕は体全部を中に入れて、ドアを閉めた。

 一瞬で空気が変わったような気がした。

 静かだ。微かに換気扇の回る音がする程度である。

 とりあえず部屋を見渡す。

 受付らしいものはどこにも見あたらない。僕は診察してもらいにきたわけではないのだけれど、僕の≪用件≫は誰に伝えれば良いのかわからない。そもそも、受付がないってどうなんだろう。診療所にはないものなんだろうか。

 中央にはよく病院で見かけるような白い長いすが四つ、正方形をつくるように、それぞれ向かい合わせで並べられている。そしてその真ん中にガラスのテーブルがあり、申しわけ程度の花瓶に小さな花が生けられていた。

 入口の正面には、奥に続いているであろうドアがある。これまた白いドアでわかりにくい。開く気配も一向にない。

 ・・・・・・受付がないのは、まぁ良いとして。

 看護師も患者もいないというのは、どうなんだろう。

 どうやらこの真っ白な世界に存在する生物は、僕と小さな花だけのようである。


 ――いや、違う。前言撤回する。

 

 まだ何か≪いる≫。


 ≪いる≫けれど――≪見えない≫のだ。


 ここは――


 僕はとてつもない不安に襲われた。

 ああ、困った。非常に困った――


 ここは、≪僕の部屋と同じ≫なのだ。

 ≪アレ≫がいるのだ。


 矛盾した違和感が空気を支配していく。

 僕はもの凄く気持ち悪くなった。

 正面を凝視したまま、手を後ろにやる。

 ひやりとした金属。

 ドアの取っ手だ。

 僕は力の入らぬ手でそれを掴んだ。金属らしい冷たさは、僕の汗でじとっとしたものに変わっていく。

 目の前が真っ白だ。

 怖い。いや、怖いというより――

 やはり、気持ち悪い。

 真っ白の中に、一つだけ――赤い点が、ある。

 花だ。小さな花。僕以外の生物。

 キィ、とドアが音を立てた。

 隙間風が入る。

 僕が外に出ようと後ずさったちょうどその時、

 僕でも花でもない何かが――

 声を発した。


「何がしたいんだ」

 男の声だった。

 けれど、≪アレ≫の声ではなかった。

 僕が返答しなかったからか――というか僕に問いかけているのかはわからないが――男の声は少し不機嫌になった、ような気がした。

「何がしたいのかと聞いている」

「はぁ、え?あの・・・・・・えっとなに、が、でしょう?」

「だから」

 突如手前長椅子から頭が生えた。

 僕はびっくりして、うわぁと後ろに下がった。ドアに頭をぶつけた。

 その様子を見て、頭は眉を顰めた。

「入って来たにも拘らずもう一度外に出ようとしただろう。間違えたのか冷やかしなのか、貴様は何がしたいのかと聞いているのだ。別に驚くことでもあるまい」

 頭――じゃなくて、どうやら手前の長椅子に横たわっていたらしい男は、そう言って僕をじっと見つめた。

 凄く整った顔である。髪は茶色、目も黒くはない。染めているわけでもカラーコンタクトをはめているわけでもなさそうだ。外人なのだろうか。それにしては流暢で、おまけに何となく古風な日本語である。

 僕は違和感の正体に安心しながら、それでも恐る恐る弁解した。

「あの――ですね、誰もいないのかと思いまして――」

 僕がそう言うと男は上半身を起こした。

「別に診察してもらうのならば誰もいなかろうが関係ないだろう。――ああ、営業しているのかどうか、怪しく思ったのだな?安心しろ、ここはちゃんとやっている。看護師はいないが、医者ならヤブ医者がちゃんといるぞ」

「いや、僕は診察してもらいに来たんじゃ――え、ヤブ、なんですか?」

 僕がそう尋ねると男はいや、と無表情で答えた。

「別に腕は普通だろう。普通どころか、その辺の医者なんぞよりはよっぽど役に立つ。だがまぁ、俺はそいつが心の底から気に食わないのでな」

 あんな奴はヤブでいいのだ、と男は笑った。

 笑うと更に格好良い。美青年である。古風な喋り方が全く似合わない。

「ところで、どこが悪いのだ」

「へ?」

 突然の問いに、僕は非常に間抜けな声を出してしまった。

 再び男は眉を顰める。どうやら癖らしい。

「間違いでも冷やかしでもないのだろう?どこが悪いのだ」

「いや、あのですね?」

 どうやら僕は診療所の患者だと決め付けられてしまったようである。

 勿論僕は入る所を間違えたわけではないし、冷やかしのつもりもない。

 だが、診察してもらいに来たわけでもない。

 僕は≪依頼≫をしに来たのだ。

「僕は診察をしてもらいに来たのではなくて、」

「何だ、やはり冷やかしなのか。それともアレか、復讐か。あの馬鹿医者に恨みでもあるのか。それなら俺は全面的に協力するが」

 男は楽しそうに言った。

「いや、そうじゃないんですけど」

「だったら何だというのだ」

 再び男の声が不機嫌になってくる。

「えっと、実は、その、風の噂なんですけど――」

「何だ」

 もの凄く不機嫌そうである。

「――こちらが、その、探偵事務所だと聞きまして」

「――何?」

「ですから風の噂なんですけれど。で、僕は、あの、依頼したいことがありまして――」

 僕はしどろもどろになりながらも、漸く用件を伝えることに成功した。

 ただ、ここが本当に診療所兼探偵事務所なのかはわからない。

 何しろ、風の噂なのだから。

 情報源はクラスメイトの兄である。何でも此処の医者とは高校時代の同級生で、探偵事務所をやっているという話を聞いたことがあるらしい。かなり曖昧な情報である。

 それでも僕はその噂にかけた。それ程大変な状況だったのだ。

 僕の用件を聞いた男は、溜め息をついた。眉は顰めたままである。

「貴様、右のドアから入って来ただろう」

 探偵事務所は左のドアだ――男は長椅子に座りながら言った。

 どうやら噂は事実だったようだ。そして、二つあるドアにもちゃんと理由があるらしい。

「で――その年齢で、どうして探偵が必要なのだ」

 男は相変わらず不機嫌そうだったが、不機嫌というよりは呆れているような口調で尋ねた。

「探偵が必要な年齢には見えませんか?」

「見えない。俺の知る限りでは恐らく最年少だな。おめでとう」

 何だか馬鹿にされた気がする。

「で?用件は何だ」

「えっと――あなたにお話しすればいいんですか?」

「他に誰に話す気だ」

 そう言って男は再び眉を顰めた。まだ会って三十分たっていないというのに、僕はこの表情を何度見ただろう。これが標準なのかもしれない。

 態度からして――この男は、≪診療所の人間≫ではなく≪探偵事務所の人間≫なのだろうか。探偵としての仕事をこなしているのが、この――そういえば名前を聞いていない。

「とりあえず、名前をお伺いしても――」

「駄目だ」

 即答である。

「いや、でもどう呼べば?」

「好きなように呼べ」

 好きなように呼べと言われても、どう呼べばいいのか。僕の頭に浮かぶのは、山田さんとか田中さんとか佐藤さんとか、ごく一般的な苗字である。

 偽名と言われてまず浮かぶのが、田中太郎である。

「じゃあ、その――田中さんでいいですか?」

 そう言うと男――僕命名、田中さんは今まで以上に不機嫌になった。

 不機嫌というより、何だろうコレは。もの凄く怖い顔である。

 顔が整っている分、普通の人間が凄むより恐ろしいのだ。

「田中――だと?」

 気に入らないのだろうか。

「す、すみません、僕ネーミングセンスが全くないみたいなんです!」

 我ながらかなり情けない謝罪の言葉である。

 でも実際、僕にネーミングセンスがないのが田中さん(と呼んでもいいのだろうか)の激怒の理由だと思う。ならばこう謝るしかないだろう。

「いや、そういう問題じゃなくてだな・・・・・・まぁいい。気にするな。田中でいい」

 そう言って困ったように笑ってから、田中さん(と呼んでもいいらしい)は僕に長椅子に座るよう促した。実は優しい人のようである。

「で?そろそろ本題に入りたいんだが。ここに、何の依頼をしに来たのだ」

「その、ですね――」

 僕はわざとらしく咳払いをして、ようやく本題に入ろうとした。

 ちょうどその時だった。


 奥のドアが開いた。


「有り難うございました」

 出てきたのは、背の高い綺麗な女の人だった。

 肩まで伸びた髪。白い肌。困ったように眉尻を下げた表情。

 何と言うか――失礼だが――幽霊のような人である。

 怖いとかそういう意味ではなくて、儚い感じのする人だ。

 女の人は僕の視線に気付いて、にこりと笑って頭を下げた。

 見覚えのある笑顔だった。


「今の、は――」

「貴様の前に来ていた依頼人だ」

 田中さんは女の人を睨むように見つめていたが、女の人が出ていったので視線を僕に移した。

「名前は」

 名前?と田中さんは眉を顰めた。

「何だ、惚れたのか」

「そ、そんなんじゃないですけど、ただ、どこかで会ったことがあるような気がして」

 既視感、と言うのだろうか。

 いや違う。僕は確かに彼女に会ったことがある。

 田中さんは面白そうに笑いながら、

「探偵業と言うのは守秘義務があるのだが――あの男にそれがあるとは思えんしな。探偵本人に訊くがいい」

 と奥に続く開けっ放しのドアを指した。

「え?探偵って」

 あなたじゃないんですか?と訊くと、何故俺がそんなくだらないことをせねばならんのだ、と本日何度目かわからない不機嫌な顔を見せた。

「じゃああなたは何なんです」

「良く言えば居候、悪く言えば――やっぱり居候だな」

 そう言って田中さんは不敵な笑みを浮かべた。


「あの奥にいるのが、医者兼探偵の究極の変人――折原暦(おりはらこよみ)だ」


 奥の部屋から、どうぞぉと言う声が聞こえた。


 


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