僕が息子に言えること
「パパ」
「なんだ」
「今日ね、里見ちゃんに愛してるって言われたの、それからね昨日は千賀子ちゃんに好きって言われたの」
夏の雨降る蒸し暑い車内で、クーラーの音と雨が車のあちこちを叩く音に混じって僕らは会話していた。
「それで?」
「それでね、僕里見ちゃんや千賀子ちゃんが何言ってるのか分からなくて黙ってたら笑われたの。パパ聞いてる?」
「あぁ、聞いてるよ。それで続きは?」
「好きとか愛してるっていったいなんなの?」
いつも保育園が終わって迎えに行った帰りは、よく敬一の質問攻めにあう。
「好きってことはな、簡単に言うとその千賀子ちゃんが敬一に恋をしてるってことだ。わかるか?」
「うーん」
「それから、愛してるってのはそのまま愛ってことだ。わかるか?」
「わかんない」
無理もない敬一はまだ保育園の年長さんだ。
「んー、じゃあまず恋から説明しよう。恋ってのは奪い合う行為のことだ。お前がいつも読んでるピノキオの絵本が誰かに取られたら敬一はどうする」
「とりかえす」
「そうか、恋っていうのはそういう心の奪い合いなんだ。好きな異性の心が欲しくて奪いたいと思う、好きな異性に心を奪われる。奪うとか奪われるとかの暴力的な響きの行為を繰り返し行うんだ。だから人は恋やなんぞで傷付いた、傷付けられたとわめくんだ。わかるか?」
「さっきより」
「うん、良かった。じゃあ次は愛だ。愛っていうのは」
急に風景が霞んできた、雨が激しくなったと最初思ったが、あいつの顔が頭に浮かんできた。息子の前で泣くのは親としての恥と思い、唇をぎゅっと噛み締めた。
「パパ?どうしたの?」
「いっいや、ななんでもないんだ」
「パパ、続きはなしてよ」
「そうだったな。なんの話をしていたんだっけ」
「いやだなぁ、忘れちゃったの?」
純粋な敬一の微笑みが僕の胸をさらに苦しませた。
「あぁ、思い出した。愛のことだったな」
幾分か落ち着いてきた。
「うん。そうだよ、よく思い出したね」
「愛っていうのは、与え合う行為のことだ。もし敬一が僕に僕の一番大切なものをもらったらどうする」
「僕の大事なものもあげる」
「そうか、それが愛だ。大切な人に大切なものを与え、与えられる」
涙がとめどもなく流れてきてどうしようもなくなった。
「けどな、敬一。恋とはなにか愛とはなにか、この質問を百人にしたって、一つも同じ答えはかえってこない。なぜならその人がした恋や愛がその答えになるんだ」
「パパ、どうして泣いてるの?」
信号が赤になって僕は車を止めた、そしてあいた手で顔を覆った。
「ごめんな敬一。お前にもっと良い答えを返してやりたかった、けど今の僕じゃだめだ。本当にごめんな、お前に子供が出来て、同じ質問をされたときは、もっと素晴らしい答えを返せるようになってほしい」
「パパ、パパ、ママはどこにいるの?」
「ごめんよ、敬一ごめんよぉ」
「ママはもう帰ってこないの?」
うなだれた僕とまっすぐに聞く敬一とを乗せた車の中には、クーラーと雨の音しかしなかった。




