奴は小石
私はじっと、テーブルの上を見つめていた。
そこにはついさっき、何も考えずに拾ってきた小石が1個載っていて。
「さっきから何じっと見てんだよ! オレが何かおかしいのかー!?」
その小石が自分の身体をかたこととゆすりながら、ぎゃーぎゃーとわめき立てているんである。
いやまあ、最初はものすごく驚いたよ。誰も触ってないのに石がいきなり動いて、おまけにどこから発声してるんだか知らないけれどとにかくわめいてんだから。
もっとも私はきゃーとか叫ぶ前に硬直してしまったから、外から見れば石ころを……つまり、石自身から見れば自分を凝視しているように見えたんだろうな。
なんだけど、しばらくぽかーんとそいつを見てたら、何だかそういうことはどうでも良くなった。
……あ、いやちょっと語弊があるか。
どうでも良くはないのかも知れないけど、どうやらこいつは私より弱いと分かったから。だって、私より何らかの形で強いならその強さを行使してきそうなもんだし。だのにこいつはテーブル上でかたかた天板を叩きながら叫ぶだけ。
おかげで頭があっさり冷えた。相手は自力で動いてしゃべるけれど、しょせんはそれしかできないただの石ころである。何も怖くはない。
いやなら放り投げるなり蹴り飛ばすなりして、視界から消し去ればいいのだ。どうせなら物置から金槌でも持ってきて、叩き壊してしまってもかまわない。
まあ、それをしないのは私の気分。例え石とはいえ動いて声上げてんだから、ある意味生き物なのだ。拾ってきてしまった生き物をまた捨てたりあまつさえ砕いたりってのは、さすがに気分が悪い。
かといって石じゃあ保健所も引き取ってくれないだろうから、捨てるなら……元あった場所? 確か廃校になった近くの小学校だったっけな。
「そりゃおかしいでしょ。何でただの小石が声上げてがたがた動いてんのよ」
そんなことをひとしきり考えてため息をついた後、私は人が考え事してる間延々騒いでいた小石を指先でぴんと弾いてやった。軽くはねてかこんと音がした途端「あいてっ」という悲鳴が上がるあたり、この石ころには痛覚があるようだ。
まあ私が見てることが分かってるんだから視覚の類もあるんだろうし、その他の五感があってもおかしくないんだろうなあ。とりあえず、可愛い少年っぽいその声はどこから出てるんだ。
テーブルの上に戻してやった後、私は石ころから……えーと、どうやら男らしいので彼、から事情を説明された。
何でもこいつは、大概の学校において校庭の片隅に置いてある石像のかけら、だそうだ。長年置かれてて沢山の子どもたちを間近に見て来たせいか、いつの間にか意思が宿っていたのだという。
ああ、確かこういう類の妖怪だか何だかの呼び方があったっけな。クラスメートにこういうのが好きな子がいて、何か言ってた。
「付喪神……だっけ。しっかし、石像のかけらの付喪神ねえ」
「いーじゃんか、長いこと学校にいたんだし」
つくも、ってたしか数字の99と引っ掛けてたような気がする。そのくらい年数が経つほど人のそばに存在していれば、無機物にも霊が宿るとかそういうことなんだろう。古い家には何か憑いてるって言うし。
こいつがいた学校は、廃校になったのが創立110年めとか何とか言ってたように思う。だいぶ古びた石だから、創立された初期からこいつの元になった石像は学校の隅っこに立っていたんだろうなあ。
そうして長い間子どもたちの成長をずっと見つめているうちに、意思が生まれた。
私は別に幽霊とか信じてるわけじゃないけれど初詣には行くし、人間じゃない何かがいてもおかしくはないだろう程度の認識は持っている。さっきちらっと出たクラスメートとの会話も、特に相手の趣味を否定するつもりもなく普通にできている。
だから、驚きはしたもののこの石ころの言うことを……いや、石ころが何かを言うこと自体疑うつもりもない。疑う以前に目の前で起きてしまってるしね。
だけど、学校でよくある怪談といったら例の石像が夜中に校庭を走り回ったりするパターンのはず。つまり、石像がそのままで意思を持つことはあってもこう、かけらになってまでってのは聞いたことがない。というか、かけらになってるってことはつまり石像が壊されているってことだ。
「しっかし、かけらになるなんてアンタ何かされたの?」
「お、おう。ほら、廃校になっちまったから人があまり寄り付かないだろ、それをいいことに悪ガキが夜中に忍び込んだりするんだよ。そいつらが面白半分に金槌でごーんとぶっ壊しやがって、もー痛かったの何のって」
「あらら、ご愁傷さま」
オーケー、砕けた理由は分かった。廃墟がガラス破れてたり内装がぐっちゃぐちゃになってる要因のひとつはそういう悪ガキどもだから、納得もできる。
しかし、痛かったの一言で済ませてるけどこいつ、自分の身体がばらばらにされたってことなんだよな。痛覚あるんだし、こう言葉にできないくらいものすごーく痛かっただろうに。
あ、何だか私、こいつに同情してる。
いや、したっていいよね?
さて。
一応この小石は生きてるモノなわけで、そうすると最大の問題はあれだろう。
「あんた、ご飯とか後寝るのはどうしてんのさ?」
そう、生物ならまず必要であるところの食事と睡眠。用足しはその後だ、飯食わなきゃ必要無いだろうしね。
呼吸とかそっちの方は石に聞いても分からないと思うし、第一付喪神の身体構造なんか知るか。知ったところで私がどうすることもできないもの。その点、食うと寝るはどうにかできるかも知れないし。
「んー、寝るのはちゃんと寝る。ほら学校にいてたからさ、昼と夜の差が激しくて習慣になっちまった」
なるほど。学校って、夜間は日中の騒がしさが嘘のように静かになるからなあ。日曜日はともかくとして……ん?
「生徒に依存すんなよ。そうなると、夏休みとかは生活リズム乱れたろ」
「あーうん、実は少々。校庭で朝のラジオ体操やるようになってからはそうでも……あ、でも二度寝の習慣ついたなー」
「そんなところまで現代人に似なくていい」
推測通りでありがとう、本当に似なくていいと思う。あの石像なんなら勤勉さを象徴したようなもののはずなんだから、せめてモデルの人物に似なさいよ。
そこまで考えてから小石に視線を戻すと、何やらもぞもぞとむず痒い動きをしている。これはあれか、人間で言うところのもじもじしてるって奴か。
「そんで食事っつーか…………そのー、腹減った。何か食べるもんない?」
もじもじしながらの彼の一言に、がくりと顎を落とした。腹減ってるなら先に言えとかそんなこと言いたいのもあるけれど、相手は小石なわけで。
「腹あるの? というか、やっぱりご飯食べるんだ」
「人間の言葉で言うとそうなるんだよ! オレだって生きて動いてんだし、それなりの燃料は必要だって!」
かたかたかたと、テーブルの上で身体全体を使って主張する小石。確かに、彼の言うことにも一理ある。しかし、そうすると今まではどうやって生きてきたんだか。
「だからこんだけすり減ってんだよ。砕ける前はたまにお供え物とかあったりしてさ、それで腹満たしてたんだけど。オレ今じゃただの石だし、自力じゃろくに獲物取れねえ」
「……なるほど。厳しいねえ、そりゃ」
疑問への答えありがとう、質量をエネルギーに変えたわけか。文字通り身を削った……人間が脂肪を燃やすのと同じ要領なんだろうか。いや、妖怪の消化器がどうなってるかなんて私知らないし知るつもりもないけれど。
「で、何をどうやって食べるのよ。アンタどう見ても口ないし」
そして、次の疑問を私は口にした。石像そのままならこいつだって手で持って口で食べるんだろうけど、今のこいつには手も足も口もございません。外見上ただの小石だもの。
それはそれで、見てみたい。
「食うもんは前からお供え食ってたし、多分人間と一緒でいいと思う。食い方は……オレにもどうやるんだか分かんねえ。外から見てどうなってるか、教えてくれねえ?」
「それもそうね。ちょっと待ってて、なんか取ってくる」
小石当人……人じゃないけど、他に私は言い方を知らないので……当人に言われて納得した。確かに、聞くより見たほうが早いに決まっている。石ころに頷いて、私は立ち上がった。
冷蔵庫にはろくなもんが入ってなかったので、炊飯器の中にあったご飯と海苔を使って小さめのおにぎりを作った。石ころの好みなんか知らないので、適当に醤油かけた鰹節を詰め込む。
普通なら梅干しが一般的なんだろうけど、あいつ小学校にいたからなあ。味覚まで小学生なんてことになってたら、いきなり酸っぱいのは困るだろう。
お皿に載せて小石の目の前に置いてやると、目に見えて石の動きが良くなった。というか、全身を使って喜びを表現している。かったこっとかったこっととリズミカルにテーブル上を動いて、うまく皿に自分の身体を乗せてしまった。そうか、そんなに腹が減ってたか。
「付喪神と人間の味覚が合ってるのかどうか、なんて知らないからね」
「はーい。いただきまーす」
私の注意もどこ吹く風とばかり、口のある存在ならぱくりとかぶりつくところを、この石はよじよじと登ってぺたんと張り付いた。ちゃんといただきますする辺り、さすが元小学校在住だなあ。
で、食事をする小石をじっと観察してみる。上からはそのまま小刻みに動いているとしか見えないんだけど、どうもおにぎりの表面をぞりぞり削っているような気がする。たまにぱらりと海苔が粉になって落ちたりするから、そう思えるだけなんだけど。
ある程度時間が経ったところで、石ころは動きを止めた。少しだけおにぎりの表面から身体を浮かせているのは、どうやらこちらを伺っているっぽい。その下から見えるおにぎりがしっかり削れているから、さっきの推測は間違いなさそうだ。
「なー。外から見たらどんな感じ?」
「えーとね……平らになってる部分でおろし金みたいに削り取ってるっぽいね。ちょっと裏見せて」
「はいよ」
小石が答えるのを待って、つまみ上げて裏を見る。ふうむなるほど、こんな風になってるんだ。
「はは、何か面白い。あんたの素材って細かい穴がたくさん開いてるんだけど、その穴の中に食べ物が潜り込んでってるね」
「へー、そうなってるんだ」
石ころは何度か軽く身体を動かした。恐らく頷いたんだろうな、この動きは。自分の食事の仕方が外から分かったなんて、きっとこいつには初めてだったから。
食事をするとなるともう一つ、問題が出てくる。人間にとっても重要な問題だ。
「……そう言えば、トイレは?」
「あー、一応出すには出す。ただ、多分外から見たら削れた粉が出て来るようにしか見えないんじゃねーかな? 今までそうだったし」
おにぎりを一個平らげた彼は、思い出しながら答えてくれる。きっと、石像の姿だった頃のことを思い出してるんだろう。たまにああいった石像とかの周囲に粉っぽいのが落ちてるの、ひょっとして付喪神の排泄だったりするんだろうか?
「そこまで消化すんのかー。人間より吸収効率良くない?」
「かもなー。ま、滅多に飯食えないからかも。おかげで、さっきのおにぎりで多分一ヶ月くらいは過ごせるぜ」
「なるほど」
本気で効率いいな。それだけ消費エネルギー切り詰めないと生きられなかったんだ、と思うと少々切なくなるけど。
あー、うん。ここまで感情移入しちゃったら、もうどうしようもないや。問題点もそれなりに解消されてるし。
「……食事はするけど大した量じゃない。用も足すけど削れた粉。特に置いといても何の問題もないか」
「え?」
かこん。
石ころが、空になった皿の上で音を立てた。きっと、私が何を言っているんだか分かってないんだろう。人間同様お腹いっぱいで満足満足、って感じで。
だから私は、石を軽く指先でつつきながらちゃんと言ってやった。
「うちに置いといたげる。一応生きてるわけだし、外に放り出すのも何だしね」
「へ?」
言われた石ころの方は、やっぱり何を言われたのか分かってないらしい。もし顔があったらぽかーん、としてるんだろうと思う。そうして、やや時間を置いて私の言葉の内容をやっと飲み込めたところで、その表情が綻ぶんだ。
「うわ、いいの? ありがとー」
表情こそ変わりようはないけれどかっこかっこと皿の上で楽しそうに跳ねる石ころを、私はつまみ上げた。食事終わったんだから、皿から退かないと無作法じゃないかなあ。
「気にしない。そこらのペット飼うよりはよっぽど手間かからなさそうだし」
「それでもさ、ありがとー」
手間がかからないっていうのは本当に本音なんだけど、それでも小石は嬉しそうに礼を言ってくる。いやあ、そこまで喜ばれたらこっちとしても放ってはおけないじゃないの。
さて、そうなると新たに浮上した問題がある。私はさっきから、こいつのことを石ころ、小石、こいつ、彼と称しているわけだけど。
「名前付けないとなあ。何かついてた名前、ある?」
「んー。思い当たるっつーたら元んなったあいつの名前だけど」
「それもそうか」
この小石は、元々実在した人物をモデルに作られた石像だった。砕かれる前、お供え物もらう時なんかはその彼の名前で呼ばれていたんだろう。でも、そのままじゃつまらないかな。
かといって、私にネーミングセンスはない。よって、単純な名前になってしまうがその辺は許してくれ、小石。
「じゃ、キンジで」
「うわ単純」
言うと思ったよ。しょうがないだろう、思い当たるフシなんて他にないんだから。とはいえ、彼にとってはこれからどれだけの時間付き合っていくか分からない、自分自身の名前なんだよなあ。
「いや?」
「全然。分かりやすくていいじゃん」
意外な答えを返してきた小石は、かたかたと身体を揺らしてどことなく嬉しそうである。それを見て、私は気がついた。
元の石像についてた名前はあくまでも、モデルになった人物の名前だ。象られたとは言え小学校の片隅で意思を持ち、今私の前でおにぎりを食べ終わって満足している『こいつ自身』の名前じゃないんだもんな。
自分の名前というものをもらって、よほど嬉しいんだろう。なら私も、こいつに名前をつけた甲斐があるというものだ。
「それじゃ、キンジでいいよね。これからよろしく」
多分この辺が頭に相当するんだろう、という部分を撫でてやりながら、私は改めて名前を呼んでやる。キンジ自身もかこかこと身体をゆすりながら、私に答えた。
「おう、よろしく……あ」
「何よ」
そのキンジがピタリと動きを止めての一声。何か不備でもあったかな、と顔を歪める私に彼は、やっと気がついたとばかりに少し不満気な言葉を上げてきた。
いや、確かにうっかりしてたわ。
「オレ、あんたの名前知らねえじゃん」