好きって気持ちが早とちりして
たった一言、たった一言で人はこんなにも傷つき、無気力になれるなんて私はこの瞬間まで知らなかった。
好きとはこういうことを言うのだろうか。否、厳密に言えば好きだったが正解であろう。
大切だとは思っていた。他の人とは違う存在だと気づいていた。
けれど、ここまで自分の中で大きな存在になっていたなど誰が知ろうか。
どんなに私が悲劇的に、文学的に自分に語ってみたところで、私の心の大きな穴は塞がってくれる気はないらしい。
放課後の薄暗い教室、射し込む夕日、窓際に座ってただ茫然としている私、グランドや廊下から聞こえる楽しげな生徒たちの声。こんなにもドラマチックな設定がほぼ完璧に揃っているというのに、俺は涙さえ出なかった。
何が苦しいか分からない。何が悲しいか分からない。好きだったのかさえ曖昧で、その言葉を口にすることすら躊躇われた。
私は何がしたいのだ、自分に問うが答えられるはずもなく、ただただ時間が流れるだけ。
どこかの歌に思い出はいつも綺麗だなんてフレーズがあった気がする。
だったら今、この瞬間を、あのときアイツに言われたあの言葉を、綺麗な思い出に変えてくれないだろうか。
消えてしまいたい。
そんなこと、今まで真剣になんて考えたことなどなかったけれど、今の切実な願いはそれに尽きた。
下校を知らせるチャイムがなって、そろそろ帰らなくてはと深いため息を吐きながら重い腰をあげると、ドアの前に立っている人影が見えた。
忘れ物でもしたのだろうか。もしや、薄暗い教室で座っている自分が薄気味悪くて入れなかったのだろうか。それは申し訳ないことをしたと、その人影に近づく。
「なにしてたの? こんな暗いとこで」
意外にも最初に口を開いたのはその人影で。
「あ、えっと」
「志岐だよ、隣の席でしょ?」
見たことのある顔に私は必死に合う名前を探していると、志岐くんが少し不機嫌そうな顔をしながら名前を教えてくれた。
嗚呼、そうだ、思い出した。隣の席の志岐くんだ。
ほとんどの授業を寝るか、窓の外を見るかで過ごす不思議な雰囲気を醸し出す志岐くんだ。
「思い出した?」
「うん。それで志岐くん、どうしたの? 忘れ物?」
「忘れ物って言えば忘れ物かな」
「あれ? でも確か志岐くん、いつも置き勉してない?」
「んー、他の忘れたんだよ」
「他の?」
「そ。ところでなんで俺の質問には答えてくれないの?」
「志岐くんの質問?」
「なんでこんなとこ居るの?」
「嗚呼」
出来れば避けたい質問だ。
失恋した自分にある意味酔っていた、なんて知られたら私は金輪際、表を堂々と歩けない気がする。
否、失恋かどうかは不確かであるが。とりあえず、私の人生の汚点であることは間違いないので、志岐くんには伝えたくない。
暫く沈黙が続いたため、志岐くんが不思議そうに私の百面相を覗き込んだ。
「泣いてないみたいだね」
「へ?」
彼の言葉の意図がどうにもこうにも掴めなくて、出来のよくない頭をフル回転させてみるが答えが出ない。
「んー、実はさ」
「うん」
「分かってないだろうけど、俺は君の幼馴染みさんのお友達でですね」
「うん?」
志岐くんの話は繋がりが全く見えない。そして結論も見えない。
「あの時、たまたま見ちゃいまして…」
「え、あの時ってまさか…」
「そのまさかです。なんかごめんね?」
いやいや、謝らないでいただきたい。というか、謝られても困る。
あの時、あの瞬間を、直ぐ様綺麗な思い出に変えたいあの出来事を誰かに見られた?
しかもそれが隣の席とは、嗚呼…なんという因縁か!
と、シェイクスピア風に心で叫んでみても私の羞恥心が消えるわけがない。
「でさ、ラッキーって思っちゃった自分が居てさ」
は? おいこら、待てコノヤロウ。この方今、ラッキーとか言いました? 言いましたよね?
この人悪魔ですか。人の不幸を見て笑う悪魔ですか。
あんな可愛い顔して…世の中って怖いね、やっぱり。
「志岐くん、最低」
「だからごめんて。でも、勘違いしてるよ、絶対」
「は?なにが?」
「俺がラッキーと思った理由はね、」
その後聞こえた言葉で、少しだけ私の心に空いた穴が塞がった気がした。
なんて人間は単純なんだと嘲笑ったはずなのに、流れる涙が抑えられない。
嗚呼、私は好きだったのか、あの人が。
気づくのが遅すぎた気持ちが、私に手を振って何かを叫んだ。
私の気持ちはきっと足が速いんだ。私の頭が追いつけないくらいに。
今度は置いて行かれないように、綺麗な思い出に変えてしまおう。
好きって気持ちが早とちりして、私を追い越してしまわないように。
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