男友達のようなものには女友達のようなものをぶつけるんだよ!
「ーーと、いうわけで姉上には淑女教育をお願いしたいのです」
と、真面目に言い出した弟はどうやら未来の義妹と揃ってまたぞろおもしれーことをやらかそうとしているらしかった。
「…………ごめんなさいね。私、頭が悪くてよく理解できなかったみたい。もう一度最初から説明してくれる?」
「はい、姉上。俺に淑女教育をお願いします!」
聞き間違いじゃなかった。
意気揚々と胸を叩いた弟は改めて私に先ほど語った何故自分に淑女教育を施してほしいかを語り出した。
ことの発端は弟の婚約者ーー未来の義妹となるだろうプリメイラ・ハルバルディ伯爵令嬢。の、友達のメルティーナ・トラヴィアンス侯爵令嬢。
トラヴィアンス侯爵令嬢は社交界でも評判の可憐で愛らしい、妖精のような美少女だった。
そんな彼女がプリメイラを含む友人たちとのお茶会で自分の婚約者の愚痴をこぼした。
曰く、『男友達のようなものと言って、婚約者が女を侍らせている』。
トラヴィアンス侯爵令嬢の婚約者の名はダミアン・セグレイト伯爵令息。
セグレイト伯爵家の次男であり、今は王国騎士団に騎士として籍を置いている。
トラヴィアンス侯爵が王国騎士団を総括する軍務卿だから、その娘であるトラヴィアンス侯爵令嬢の婿となる男が騎士から選ばれるのは何らおかしなことではない。
それはさておいて、トラヴィアンス侯爵令嬢の婚約者は最近、どうにも同じく女騎士を志すとある女性との距離感がことさらに近いということだった。
それが発覚したのはトラヴィアンス侯爵令嬢と逢瀬をするはずだった日。
なんと彼は婚約者との逢瀬の日にも関わらず、同僚を名乗るその女を連れてきたのだという。
ハルピィ。
父親が騎士爵を持つ娘で、彼女もまた父親と同じように騎士を志して騎士団に入団したという。
彼女はセグレイト伯爵令息と同じ時期に入団したものらしく、その縁でよくセグレイト伯爵令息とよく組んで訓練や任務を行ったりしているのだという。
そんなただの同僚でしかない女が何故トラヴィアンス侯爵令嬢との逢瀬に割り込んでくるのか。
トラヴィアンス侯爵令嬢も当然のように疑問に思ったが、おっとりとした可憐な令嬢はそれをどう相手に伝えるかを思い悩んでしまった。
その間にふたりはトラヴィアンス侯爵令嬢を除け者にしてふたりだけでキャッキャッと盛り上がった。
肩を組み、互いに小突き合い、男女の距離として明らかにおかしい距離を彼らは『男友達のようなものだからそういう関係ではない。変に勘繰るな』と何度も念を押したという。
結局、トラヴィアンス侯爵令嬢はふたりに押し切られる形で逢瀬と言えなくなってしまった時間をただ戸惑い、親密にするふたりを眺めるだけしかできずに過ごした。
後から何度も考えてもおかしいと思ったのだけれど、わたくしがおかしいの? と親しい友達ーー要するにプリメイラたちに語って聞かせたのだ。
それを聞いたプリメイラたちはセグレイト伯爵令息たちに激怒。トラヴィアンス侯爵令嬢の感覚はおかしくないと彼女の困惑を肯定した。
で、それが何故冒頭の弟の淑女教育につながるのか。
それはセグレイト伯爵令息にどうしたら目にものを見せてやれるか。お前の感覚はおかしいのかと突きつけることができるのか。
彼女たちが考えた結果、『それなら同じ目を見せてやればいいじゃない』という結論に落ち着いたからだ。
目には目を。歯には歯を。男友達のようなものには女友達のようなものを。
つまりトラヴィアンス侯爵令嬢も異性を女友達のようなものだからと言い張って仲良くすればいいとなったのだ。
そうすれば客観的に見て、自分たちが如何におかしなことを言っていたことがわかるだろう、と。
けれども彼女たちには女友達のようなものと呼べる存在について心当たりがなかった。
そこでプリメイラが言ったのだ。
『いないなら作ればいいのよ』
そうしてトラヴィアンス侯爵令嬢の友達であるプリメイラたちは己の婚約者を、親族を女友達のようなものに仕立て上げることにしたわけだ。
それでいいのか。
「……事情はわかったけれど、あなたはそれでいいの? グレッグ」
「はい、姉上。困っている女性がいるならば見過ごせはしませんし」
それに、と、弟が拳を握って鼻息を荒くする。
「それに今回女友達のようなものに見事選んでもらえたら、なんと、女の園に! 入り込めるのです! 茶会でたくさんの女の子たちから“まあ、素敵なドレスのお色。センスがよろしいのね”とか“ウフフ、とてもおリボンがお似合いでしてよ”とか褒めてもらえるんですよ!」
「あなた、褒められる内容それでいいのかしら」
「絶対いい匂いするし! トラヴィアンス侯爵令嬢の隣に座ってうっかり手と手が触れ合っちゃったりして、ぐふ」
「あなた、プリメイラ一筋だったんじゃないの。いつもバカみたいにプリメイラの自慢をしてるくせに」
「それはそれ、これはこれ! 真っ赤な薔薇のごとく高貴で妖艶な豊満美女のプリメイラのことは大好きですけど、春の陽気のような可憐で愛らしいトラヴィアンス侯爵令嬢だってめちゃくちゃ可愛い! みんな違ってみんないい!」
「プリメイラに刺されても知らないわよ、あなた」
「姉上、バカを言わないでください! プリメイラなら真正面から俺を刺すなんて衝動的なことはしないで、自らの手を汚さないようにじっくり計画練って馬車に細工して谷底に突き落としてきますよ!」
「擁護するところがそこってどうなの」
力説する弟に乗せられてついつい脱線したが、ふと私は彼の言葉に引っかかるところがあってそこを問いただすことにした。
「……ところで選ばれたら、ってどういうこと?」
「はい、俺を含めて女友達のようなものに立候補したのが五人いるんです。でもプリメイラたちはひとりでいいからって、一ヶ月後に最も淑女らしく振る舞える男をトラヴィアンス侯爵令嬢やプリメイラたちが選んで女の園に呼んでもらえる手筈になってるんです」
「そ、そう……」
弟みたいに立候補したのが他に四人もおるんかい。
他の立候補者を問いただせば、他の四人も私がよく知る男たちだった。
トラヴィアンス侯爵令嬢の友人たちの婚約者や弟たちで、弟ともよく親しくしているものたちだ。
類は友を呼ぶ、というべきか。彼らもまた弟と親しくしているだけあって、弟とよく似た思考回路をしている。
弟と同じような欲望を持って決意をみなぎらせているのだろう。
「俺、絶対あいつらには負けたくないんで! だから姉上、厳しくご指導お願いいたします!」
意欲が高いのは競う相手が親しくしている男たちだからというのもあるのだろう。
変な方向に駆け出そうとする弟を見て、私は沈黙する。
本当なら止めるべきだ。何せ弟は我がディートランド伯爵家の嫡男で、跡取りだ。
馬鹿なことをすればそれだけ変な目で見られることになるだろう。
お父様もお母様も姉なら弟を止めろと諭すだろう。
でも、
「ーーわかったわ」
「やったあ、姉上、ありがとうございます!」
私は頷いた。
何故って、このやる気になっている弟を止めるには阿呆みたいな気力と体力が必要でめんどくさかったからだ。
・ ・ ・ ・ ・
「……… …………ええと」
婚約者の交流の日。
我がディートランド伯爵家を訪れた私の婚約者、レーヴ・サルスディ小公爵は困惑の顔を浮かべた。
さもありなん。
サルスディ侯爵に出された課題に悩むレーヴ様に我が家の資料をお貸ししようとふたりで連れ立って図書室に向かう途中、その道すがらにある一室の扉が半開きになっていて、その中を見てしまったのだ。
二メートル近い大男が特注のドレスを着て、ハイヒールを履いて足をガクガクに揺らしながら頭に教本を乗せて真っ直ぐ歩こうと必死に励んでいるのを。
「…………あれは見なかったことにした方がいいのかな」
「レーヴ様、お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。ほんの少しだけ失礼します」
私は慌ててレーヴ様に謝罪をすると、その部屋に飛び込んだ。
「グレッグ! あなた、どうして部屋の扉を開けているの!」
「あっ、姉上! だって姉上、言ってたじゃないですか! “淑女たるもの、閉じ込められないよう部屋の扉は半分だけ開けておくべし”と! だから俺は言いつけを守って開けておいたんです!」
「バカ、あれは殿方とふたりきりになってしまう時の作法の話! ひとりでいる時の扉は閉めていていいの! むしろ閉めなさい! お父様とお母様に見られたら事でしょうに!」
「あっ……!」
私の言葉にグレッグは今更気付いたように顔を青ざめさせた。
そして半開きになった扉の向こうで所在なさげにしているレーヴ様にも気がつく。
「義兄上……! ようこそいらっしゃいました。すみません、俺、まったく気が付かないで……」
「あ、いや、全然お構いなく……」
レーヴ様の姿を見つけてハイヒールで危なっかしくもズカズカ駆け寄るグレッグ。
が、途中でハイヒールのせいで蹴躓いて転んだ。
いつもなら自分目掛けて一目散に走ってくる大型犬を見るような微笑ましげな顔をするレーヴ様だったが、今日に限っては顔が引き攣っていた。
さもありなん。
ドレスを着た二メートル近い大男が走ってきたらその顔にもなる。
「……ヒールで走るのは危ないからやめた方がいいよ、グレッグ」
けれどもレーヴ様は紳士だった。
引き攣る顔を無理矢理にでも優しく微笑ませ、グレッグへと手を差し伸べる。
レーヴ様に注意されてグレッグは「あっ!」とハッとした顔で声を上げた。
「そうでした、姉上にも言われたんだった……淑女たるもの足音を立てて騒がしく歩くものではない、駆け足などもってのほかと。くっ……俺はまだ淑女にはほど遠い……!」
私はグレッグがレーヴ様に駆け寄る時に落とした教本を床から取り上げ、ため息をつく。
「レーヴ様、その……弟の奇行についてご説明しても?」
「奇行だなんて失礼ですよ、姉上! 俺のこれは愛しいプリメイラを想う愛故の行動です!」
やかましいグレッグはまるっと無視して私は淡々と弟の奇行についての理由をレーヴ様にお話しした。
レーヴ様は最初、ふんふんと頷いていらっしゃったが、話が進むにつれて次第に話に置いてけぼりにされたような顔をされ、やがては豆鉄砲を喰らって宇宙の真理を覗いてしまった猫のような顔をされた。
わかる。私もグレッグから事情を聞いた時はきっと同じ表情をしていたと思う。
「…… ………………なんだ、その……徒花になるやもしれないことでも一生懸命に励めるグレッグはすごいね」
「ありがとうございます! 義兄上に褒めてもらえると嬉しいです!」
違う。レーヴ様は褒めたわけじゃない。
あれは『頑張る方向性間違ってるよ』という言葉をやんわりと包み込んだ貴族言葉だ。
けれどもそれが全く通じないグレッグにレーヴ様も匙を投げるように私を見た。
「グレッグ、挨拶もその辺りで。私たち、図書室に資料を探しに行くところだったの。レーヴ様、参りましょう」
「あっ、そうだったんですね。義兄上、お時間を取らせてすみません、どうぞごゆるりとお過ごしください」
困惑するレーヴ様を助けるつもりで私がそう言えば、グレッグは素直に私たちを見送った。
その際に教えたカーテシーを披露しようとスカートをつまみ、膝を折る。
まだ慣れないハイヒールのせいでバランスを取ろうと背中が曲がり、堪えるためにプルプルと体を震わせた。
「……………姉上、何点ですか!?」
「……五点。もっと体幹を鍛えて背筋を真っ直ぐ伸ばして礼をなさい。震えるなんてもってのほかよ。騎士として鍛えた筋肉は見せかけではないのでしょう? それぐらい簡単にやってのけなさいな」
「ぐっ、厳しい……! 精進します!」
教本を返しながらそう告げればグレッグは悔しそうに顔を歪め、そう叫んだ。
そして私たちが部屋を出る間際には全身鏡を前に「一回! ………二回!」と数えながら素振りのようにカーテシーの練習に励み始める。
と、部屋の扉を閉めたところで視線を感じ、顔を上げるとレーヴ様と目が合う。
「ーーお願いいたします、レーヴ様。本日の見た弟のことはどうかお忘れに」
「ははは……」
途端に頭を深々と下げる私にレーヴ様はただ困ったように笑うばかりだった。
「……まあ、何だ。ディートランド伯爵家が今日も平和で何よりだよ」
そう穏やかに告げるレーヴ様は深く考えることを止めた顔をしていた。
・ ・ ・ ・ ・
それから約ひと月。
グレッグは毎日のように淑女としての振る舞いを学び続けた。
騎士団の訓練や任務もあるだろうに、それと並行してドレスやハイヒールを着用しての歩行やカーテシーを隙間時間に何度も繰り返しては身につけた。
食事も前は豪快に一口で頬張っていたのを、小さくかじりついてゆっくりと味わうように咀嚼し、語彙を懸命に捻り出しては味の感想を伝えようと頑張った。
神経の先から先まで気を張り、指先までしなやかで優雅な動きに見えるように動かし方を学び、淑やかに見える微笑み方まで練習に励んだ。
時には何度やってもうまくいかないこともあって悔し涙を呑んだこともあったけれども、グレッグは諦めることなく愚直に励み続けたのだ。
すべてはライバルとなった友を制し、淑女としてプリメイラたちのお茶会に呼ばれるため。
ーー自分で言っててもちょっとよくわからないが、多分グレッグの女の子に囲まれたい褒められたいという欲望が阿呆ほどすごいということなのだろう。
そして、プリメイラたちがグレッグたちを審査する日が近づいたある日のこと。
事態が急展開を見せた。
その日、私は騎士団の訓練所の近くにある仕立て屋でドレスを仕立てる予約をしていた。
けれど家を出る直前になって騎士団の訓練に出かけたグレッグが忘れ物をしていたことがわかり、近くに出かけるついでだとグレッグの忘れ物を受け取ってまずは騎士団の訓練所に向かったのだ。
そうして受付で無事に弟の忘れ物を預け、いざ仕立て屋に向かおうとした時、その騒ぎは起こった。
「ひどい! 何もそこまで言わなくてもいいじゃない!」
不意に響いた野太い声は聞き覚えがあった。
グレッグの声だ。
弟が何か揉めていると察した私は慌てて騒ぎの起こっている場所へと向かう。
そこは騎士団の訓練場の裏手側。
おそらく普段ならば人気のあまりないひっそりとしたその場所では、
「ちょっとふたりとも! グレッグは一番本気で淑女の振る舞いに取り組んでるのよ! それを馬鹿にするなんて……グレッグに謝ってよ!?」
「そうよそうよ、謝りなさいよ、男子ぃ!」
「いや、だからあんたらキモいって! 何なのよ、そっち系なの!?」
ーー…………なんだこれ。
両手で顔を覆い、スンスンと泣くグレッグ。
その肩を抱くグレッグの友たち。グレッグが淑女として競うライバルたちだ。
だがその姿は異様の一言に尽きる。
何せ彼らは皆、上は騎士服、下は市井の娘が着るようなスカートにハイヒールという姿。
そしてそんな姿の彼らに睨みつけられて及び腰になっているひと組の男女。
男の方はセグレイト伯爵令息だ。
その隣に寄り添う騎士服の女の顔は知らないが、セグレイト伯爵令息の隣にいることから噂のハルピィ嬢と推測。
「またキモいって言ったぁ……っ! ワタシはただ一生懸命に淑女を目指しているだけなのに……!」
「それがキモいっつってんだよ、何だよ男が淑女って」
「バカにしないでよ! グレッグはね、すごいのよ! あのハイヒールでダンスが踊れるようにもなったのよ! アンタ、ハイヒール履いたことあるの!? めっちゃキツイんだからね!」
「そうそう、ちょっと履いただけでつま先がすぐにジンジン痛くなるし靴擦れだってできるしバランス取るのも大変なんだから!」
「男が淑女のことに口出しするんじゃないわよ!」
セグレイト伯爵令息が一を言うと三倍は返ってくるやかましさ。女が三人そろえば……とはいうけれどもあそこにいるのは全員男だ。
というか全員女口調になってるの何でなの。淑女教育に身が入りすぎて心まで乙女になりかけているのか、そうなのか。
騒ぎに集まった野次馬も何事かと困惑に顔を歪めている。
どちらが悪いのか。何が起こったのか。一体どういう状況なのか。
あまりにもカオスがすぎて誰もが状況を呑み込めていないようだった。
……はあ。
私はため息をつくと、靴音高く彼らに近づいた。
「ーーそこまでになさい」
「姉上……!」
野次馬の輪から飛び出した私にグレッグが涙に濡れた顔を上げ、私を呼ぶ。
私はその顔面にハンカチーフを叩きつけるように投げつけた。
「顔を拭きなさい、グレッグ。男だろうが淑女だろうが貴族が簡単に涙を見せては駄目。例え侮辱されて傷ついたとしても堪えて笑ってやりなさいと教えられてきたでしょう」
「姉上……っ」
私の投げつけたハンカチーフを両手で握りしめ、グレッグがうるうると私を見る。
成長して良くなったとは思っていたが、この子は相変わらず泣き虫だ。
昔もよくこうやって同い年の男の子にしつこくからかわれたり、迷い込んだ犬に吠え立てられたりして泣いていたっけ。
何となくその時を思い出して、私は出しゃばるべきではないと思いつつもにっこりと淑女の微笑みを浮かべてグレッグたちと対面するセグレイト伯爵令息とハルピィ嬢へと向き直った。
グレッグ、あなたを泣かせた仇は私が取ってやる。
「弟たちがお騒がせをして申し訳ありません。恋人たちの逢瀬をお邪魔してしまったかしら?」
スカートをつまんで膝を折れば、ふたりは慌てて首を振った。
「違う違う、アタシたちはただの男友達みたいなもん! 女ってすぐにそういう風に結びつけるよね、アンタもそういうめんどくさい女の類?」
ハルピィ嬢がハンッと鼻で笑って手を軽く振った。
グレッグが私を姉上と呼び、私が伯爵令嬢であるとはわかると思うのだが、彼女は身分差などないような物言いだ。
上下関係の厳しい騎士の家の生まれで、自身も騎士団に所属しているはずなのにずいぶんと畏れ知らずな娘だ。
それとも私が自分よりも身分が上の女だと気づいていないのか……いや、軍務卿の愛娘であるトラヴィアンス侯爵令嬢と婚約者の逢瀬の間に割って入る娘だ。単純に常識知らずなだけか。
私は微笑みを崩さないまま、密かに彼女の上から下までを眺めて彼女のことをそう測った。
「まあ、そうなんですか、失礼いたしました。世の中には色んな形の関係がございますものね。私ったらつい貴族の常識に縛られてあなた方を見てしまいましたわ」
「そうそう、あんた意外と話せるじゃん。いかにも貴族のオジョウサマって感じなのに」
「ええ、私の視野を広げてくださってありがとうございます。私、おふたりのようにそのようにピッタリと仲睦まじくくっついて過ごすような殿方の友情を存じ上げなくって……ええ、色んな形の関係がありますものね。殿方同士でそのように密着して戯れられるような世界もあるのですね」
ねえ、と天然を装ってセグレイト伯爵令息へ笑いかける。
殿方同士、の言葉に想像したのだろう。
セグレイト伯爵令息は否定の言葉を上げかけて、けれどもそこを否定してしまうと今までの言い訳と矛盾してしまうことに気がついてぐぬぬと唸るばかりだ。
だが軽いジャブ程度で怯んでいる暇はない。これから私がふたりに浴びせるのはもっと重い現実なのだから。
「ですが男友達のようなものと仰られても距離感にはお気をつけになられた方がよろしくてよ。そこに火はなくとも燃えそうなものがあればわざわざ火付けをしたがるものはおります故……ああ、でもおふたりとも、配属希望は辺境警備隊かしら? 実力が重視される大変誉高い配属先ですものね」
「はあ? 何でそうなるのさ。そんなことアタシたちは一言も……」
「あら、人にどう見られるかを気にされないようですから、てっきり実力が重視される配属先をご希望かと思いまして」
怪訝そうに顔をしかめたハルピィ嬢へ嫌味なほどに完璧な笑顔を返す。
「軍務卿の面子を潰すように婚約者でない方と寄り添われている殿方に、淑女以前に貴族としての常識を無視する婦女子……そのように見られて自身の評価にどう影響されるかわからないわけがありませんものね」
軍務卿の面子を潰す、という言葉に途端に顔色を変えてハルピィ嬢を振り解くセグレイト伯爵令息。
理解が遅い。
野次馬の目にこれだけ晒されたのだ。愛娘を蔑ろにするように他の女にうつつを抜かしていたことなど軍務卿の耳に入るのは時間の問題だ。
いや、すでにトラヴィアンス侯爵令嬢から報告されているかもしれない。
「はあ……少しは話せると思ったけど、結局あんたも陰湿で女の嫌なところを煮詰めたようなヤツじゃん。アタシたちが浮気してましたーって告げ口するつもり? ヤダヤダ、ないことをそうやって大袈裟に騒ぎ立ててさぁ」
一方のハルピィ嬢は果敢だった。
やれやれと首を振り、蔑むように私をねめつける。
畏れ知らずもここまで来ると感心してしまう。
「告げ口だなんて……私はただそのように見える、という忠告をしただけです。だって初対面の私からもそう見えたんですもの。いくらあなた方が友情だと申されましても他所様は見たままを噂いたしますのよ」
「だからアタシたちは友達同士だっつの! 話が通じないなぁ。人の話はちゃんと聞いた方がいいよ?」
話が通じていないのはそちらなのだが。
客観的に見た話をしているのに、主観的な話にばかり終始するハルピィ嬢にため息が漏れそうになるが、私は微笑みを維持したまま改めて口を開く。
「まあ、ご自身のことですもの、誰とどのように仲良くされるかはお好きにされたらよろしいと思いますわ。ご自身の責任ですもの……あら、お顔の色が悪いですわ。大丈夫ですか? セグレイト伯爵令息」
と、そこで私は彼女の隣からジリジリと距離を取って逃げようとしているセグレイト伯爵令息へと水を向けた。
ハルピィ嬢はそこで彼が自分から距離を取ろうとしていることに気がついてムッとした顔をして彼の腕を取ろうとする。
が、
「や、止めろ、離せ! 俺はもうお前と縁を切る! お前みたいな女と一緒にいられるか!」
「はあ!? 何、急に! あんな女の言うこと間に受けちゃって……別に今まで通りにしてればいいじゃん!」
腕を振り払われてもハルピィ嬢はセグレイト伯爵令息の腕を取ろうとする。
けれどもセグレイト伯爵令息はそんなハルピィ嬢を押し退け、彼女に尻餅をつかせた。
「だから近づくな! 俺はメルティーナと結婚するんだよ! お前みたいなガサツな淫売にかまけて将来を棒に振ってたまるか!」
「はーーー!? お堅すぎる上にお高くとまってヤらせてくれないお人形よりアタシの方が色っぽくて燃えるって言ってたくせに!? 急に手のひら返しやがって!」
「ば……っ! ち、違う! 俺とこいつは何もない! 何もないんだっ!」
「何もなくないでしょ! この前だって裏通りの連れ込み宿で……」
「お前、もう黙れ!」
そうしてセグレイト伯爵令息の手が出る。
けれどもその振り上げられた拳はすぐさま野次馬にいた騎士たちに止められることになった。
「お前たち、話は別室で聞く。全部包み隠さず話すように」
そう先輩の騎士に凄まれてセグレイト伯爵令息は顔を真っ青にして涙目のまま声を震わせて「ひゃい……」と情けない返事をした。
尻餅をついたハルピィ嬢も騎士に立たされる。
その瞬間に私を振り返って睨みつけ、殴りかかろうと踏み出しかけたところを騎士に捕まり、引きずられるようにして連行されていく。
まさかあんなに綺麗に自滅するとは。
あんなことを公衆の目がある場で言い合ってしまえばもう言い逃れはできない。
おそらくセグレイト伯爵令息のトラヴィアンス侯爵家への婿入りは白紙。
ハルピィ嬢も上位貴族との縁談をぶち壊したことで慰謝料を請求されるに違いない。
彼らが去り、私は扇子を取り出してそれを開く。
その音がやけに大きく響いた。
「ーー淑女ならば、ただ口喧しく言い返せばいいってものではなくてよ」
扇子で口元を隠し、私はグレッグたちを見る。
すっかり涙を引っ込めたグレッグも、グレッグのそばで喧しく騒いでいたグレッグの友たちもぽかんと口を開いたまま私を呆然と見つめている。
「カチンと来た時ほど品よく笑んで淑やかに返しませんと。よろしいこと?」
そうして私がにっこりと微笑めば、彼らはポカーンとした顔をやがてハワワと震わせ、
「お………お姉様……っ!!」
「お姉様……! ワタシたち、精進いたしますわ……!」
「お姉様、ワタシにも淑女の心得を!」
「お姉様、踏んでーーー!」
「はいはい、あなた達はまず着替えてらっしゃい。私も一緒に言い訳に付き合ってあげるから」
大騒ぎして私を取り囲む男どもを私は軽くあしらい、彼らを着替えるように促した。
・ ・ ・ ・ ・
それからしばらくして。
「ーー…………」
「……………レーヴ様、何か言いたいことがあるならばきちんと言ってくださいませ」
婚約者との交流の日。
向かいに座ったレーヴ様が私の顔から顔を背けるようにして俯いたのを見て私はそう言った。
彼は口元を手で押さえ込んで吹き出すのを堪えるように体を小さく震わせている。
「……いや、すまない。君も有名人になってしまったなと思って。“漢女のお姉様”」
「止めてください、恥ずかしい。こんなことになって後悔していますのよ」
“漢女のお姉様”とは、あの日あった出来事を見た騎士団の人たちから面白がられて呼ばれることになった俗称だ。
あの後、私はグレッグたちと共に騎士団に騒ぎを詫び、グレッグたちが女装じみた格好をしている理由を説明した。
その言い訳に騎士団の人たちは戸惑ったり苦笑をしたり、大爆笑をしたりと反応は様々だったが、最終的には「あまり羽目は外さないように」と軽く嗜められる程度で済まされた。
まあ、グレッグたちは隠れて練習に励んでいたために騎士団としての評判を落としたわけでもなければ、誰かに迷惑をかけていたものでもない。
その一方でカンカンになったのは我が父母だ。
「お前はディートランド伯爵家の嫡男なんだぞ! 我が家の評判を落とす気か!」
とグレッグを正座させてみっちりと説教をした挙句、男らしさを取り戻させてやると厳しい剣の訓練を罰として課した。
私もまたどうして止めなかったとみっちりコッテリと説教を授かる羽目になった。
まあ、既定路線である。
「それでハルバルディ伯爵令嬢たちのお茶会も流れてしまったのかな?」
「いえ、プリメイラたちもそこは元々予定していましたので、予定通りにお茶会は行われましたわ」
「へえ……それじゃあ誰が“女友達のようなもの”に選ばれたんだい?」
「………… ………………私です」
蚊の鳴くような小さな声で吐露したにも関わらず、やけに大きく響いた私の返答にレーヴ様はもう堪えきれずに思い切り吹き出した。
そう、プリメイラたちがお茶会に招待したのは私だった。
例の騎士団での顛末を耳にした彼女達は「お姉様が一番頼もしいわ」などと招待状をよこし、弟達には落選通知を送ってきた。
それを読んだ弟は涙を呑みながら「姉上なら……致し方なし……!」と悔しさに歯を食いしばった。
なお他の男達もそうだったというのだから呆れるしかない。
というか私になったら女友達“のようなもの”にはならんのだがそれでいいのか。
そんなことを悶々と思いながら出かけた茶会だったのだが、結局のところその茶会は何の変哲もないただの淑女令嬢の茶会でしかなかった。
何故ならトラヴィアンス侯爵令嬢とセグレイト伯爵令息の婚約は解消となってしまったから。
そう、例の騎士団での騒動をきっかけにセグレイト伯爵令息とハルピィ嬢には体の関係がある、完全なる浮気なのだと発覚した。
入婿の身で、騎士なる身で不実なことをしでかしたセグレイト伯爵令息をトラヴィアンス侯爵家へ迎え入れるわけにはいかないと早々に婚約は解消。
セグレイト伯爵令息はそのまま備品等を管理する雑用係と名高い窓際部署へと左遷された。
激戦区の辺境警備隊への配属とならなかったのは彼にそこまで実力がなかったためなのだろう。
彼の出世はもはや見込みなく、騎士としてもしばらく剣を握ることは許されないのだろう。
それでも腐らず真面目にその部署で仕事をこなし、自主訓練を繰り返していれば心を入れ替えたと見做されて騎士として返り咲くことはできるのだろうが……弟の話ではブツクサと文句ばかり言って腐っており、近々騎士団を辞めるのではないかと噂されているようだ。
ハルピィ嬢の方は身分がない分、セグレイト伯爵令息よりも悲惨だ。
高位貴族、しかも自身の所属する騎士団を統括する軍務卿の愛娘の縁談をぶち壊した不貞相手ということで多額の慰謝料を請求された。
風紀を乱し、高位貴族へ無礼を働いたために、当然のように騎士団を懲戒解雇。
騎士爵の家の出なのに不実で不名誉な娘を輩出した、と家族までもが後ろ指を指されることになり、彼女の家族はハルピィ嬢を勘当。
その後、彼女の行方は知れないーーなんてなればまだ少しは救いがあったのかもしれないが、残念ながら彼女はビックリするくらい常識知らずの畏れ知らずだった。
騎士団を辞めさせられたのも、高額な慰謝料を請求されたのも、家族に勘当されてしまったのも、すべてはトラヴィアンス侯爵令嬢が大袈裟に騒いだせい! と逆恨みをしてトラヴィアンス侯爵令嬢を襲撃しようとしたのだ。
無論、そんなことをトラヴィアンス侯爵家の護衛騎士が許すはずもなく、ハルピィ嬢はあっさりと捕縛され、牢へと繋がれた。
にも関わらず、いまだに現実を見れずに取り調べで変わらず「あの女のせい! アタシは悪くない!」と暴れているのだと聞いて、突き抜けた常識知らずにむしろ天晴と賛辞を送りたくなる。
と、そんな顛末をその茶会で聞かされた。
「まあ、大体丸く収まるところに収まったんだね」
「ええ。あとはトラヴィアンス侯爵令嬢の新しい婿が決まればすべて収まるのでしょうが」
「そこはすぐに決まるだろう。何せ天下の軍務卿が治める家だ。トラヴィアンス侯爵令嬢も見目愛らしく引くて数多だろうし」
「確かにそれもそうですわね」
と、私が頷いた時、屋敷の方でドタァアンッ! と大きな物音が響いた。
その音に私もレーヴ様もハッと振り返る。
「立て、グレッグ! お前の実力はこれほどか!?」
「いいえ、いいえ! ワタシはまだやれますわ、お父様!」
「よう言った! さすがは儂の息子よ! このままステップの反復練習を百本行うぞ!」
「はい!」
「………… ………………グレッグは淑女教育をもう止めたんじゃなかったのかい?」
「いえ、あの……まあ、その、ちょっと色々とありまして」
屋敷の一室で父を相手に女側で踊るグレッグを見たレーヴ様に私は羞恥に縮こまってそう告げた。
色々あったというか、あれは何と説明すればいいのか。
いや、何とといっても何もないのだが。
「……実は今度催される騎士団の慰労会で弟たちが余興に選ばれまして」
例の騒動の後、グレッグ達の女装を騎士団の先輩方が面白がってしまったのだ。
そうしてせっかくそこまで訓練したのだから慰労会の余興でドレスとハイヒール着てダンスを踊ってくれよと推薦されたのだ。
初めは恥ずかしがって固辞していたグレッグ達なのだが、強く勧められるうちに先輩方の言い方が「何だよ、お前達の練習はお遊びだったのか?」と煽られるような形になり、グレッグ達はその挑発に乗ってしまった。
「経緯はわかったけれど、何で義父殿まで……」
「お父様もあれで途方もない負けず嫌いなので……」
グレッグから騎士団の慰労会の余興の話を聞いて、まず父は「あれほど説教をしたのに!」と怒り狂った。
けれどもグレッグから先輩方から一生懸命に励んだことを馬鹿にされるように挑発されたこと、自分を笑ったものたちから逃げるようなことはしたくないと説得されて何か琴線に触れてしまったらしい。
「敵前逃亡など恥! グレッグ、お前を嘲笑ったものを見返すために完璧で完全な淑女としてキレッキレのダンスを踊れ!」
と、すっかり手のひらを返して率先してグレッグのダンス練習に付き合っている。
なお母は呆れ返って「好きになさい」というスタンスだ。あれは弟のみならず父が暴走した時のめんどくささを思って諦めた顔だった。
「…………まあ、何だ。今日もディートランド伯爵家は平和だね」
レーヴ様がいつかの時のように、ただ優しい笑顔でそう言った。




