西日の差す喫茶店にて19-別れの曲-
午後から風が強くなった。
駅からいつもの喫茶店に向かっていると、長い毛のある茶色い耳の、白いフサフサとした毛を風になびかせながら歩く子犬がいた。
電柱から電柱へちょこちょこと歩いてはにおいをかぎ、リードを持った女性はそのたびに犬に引っ張られるように付いていく。
そのうちに犬がにおいをかいだまま動かなくなったので、彼女は犬を抱き上げて細い通りへと消えていった。
喫茶店の入口には薄紫色のクリスマスローズの鉢が置いてあった。
平日だからか、客はあまり多くなく、わたしはコーヒーの香りの漂うなかを窓際の席へと向かった。
店の真ん中には、若い女が3人と男がふたり、テーブルを囲んでいた。
それぞれ食べ終わったケーキ皿を脇に寄せ、コーヒーカップやガラスのコップを前に話に興じていた。
「あれ楽しかったよね」
「ヤバかったよな」
「これ、その時の写真」
「どれどれ見せて!」
「いつ見てもウケるよね」
「あ、わたしこの写真持ってないんだけど」
「そうだっけ? あとで送っとく」
「わたしにも送って」
「わかった」
「また行きたいね」
「うん、ぜったい行こうね」
彼女らはそんな思い出話を語り、屈託なく笑い合っていた。
けれど、男が「いつ出発するの?」と口を開くと、急に空気が変わったように感じられた。
「来週の金曜」
「もうすぐじゃん」
「電車で行くの? 夜行バスとか?」
「見送りに行くから時間教えて」
「わたしたちがいるから、帰りたくなったらいつでも帰ってきていいんだよ」
「親にはわたしたちが言ってあげるから」
「ありがと。わたし頑張るから……」
そう言いながら、彼女は泣いていた。
「わたしたちみんな味方だから、なんでも相談してよ」
「うん」
「で、いつ帰ってくる?」
男が茶化すように言い、
「早いよ、まだ行ってないし!」
と泣いていた彼女が怒ったように言うと、みんな周りを憚らず笑った。
わたしの周りの環境にはあまり変化がないから忘れていたけれど、今は別れの季節なんだなとしみじみ思った。
友人や家族と別れる寂しさ、新しい生活へのワクワク感、新たな出会い、そして将来への希望と不安……自分のことを思い出すと、いろいろな感情が入り混じっていたような気がする。
わたしは若い男女をちらりと見やった。そのどれもが期待に満ちた表情をしているように思えた。
彼女たちの先にはどんな運命が待ち構えているのだろうか。
楽しいことも困難なこともたくさんあるかもしれない。
けれどそのどれもが幸せなものにつながっていってほしいと願いながら、わたしはコーヒーを口にした。
…………こんなことを思うくらい歳をとってしまったのかと、彼女たちの親でもあるまいしと、わたしはなんだか自分がおかしくなって窓から外を見た。
白く霞んだ青空が広がり、いつか見た白いねこが塀の上を歩いていた。
ピアノの旋律が流れてきた。
この曲は知っている。
ショパンの『別れの曲』。
「いらっしゃいませ」
店の扉が開き、マスターの落ち着いた声が店内に響いた。




