【アップ✨】2026年1月18日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(星のカケラ)
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【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/live/Y-8BHnCeFpU?app=desktop&feature=share
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12954542397.html
聖書と讃美歌も閲覧できます(^^♪
聖書
『ローマ人への手紙』(第八章一八〜三〇節)
『ヨブ記』(第三三章一九〜三〇節)
讃美歌〜♫
讃美歌144番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=VTGbZYbBHAg&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yR77yU77yU55Wq
讃美歌533番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=KvGjQCwtsTI&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yT77yT55Wq
2026年1月18日 礼拝説教 聖書箇所
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
ローマの信徒への手紙8章23節
まことに神はこのようになさる。人間のために、二度でも三度でも。その魂を滅亡から呼び戻し 命の光に輝かせてくださる。
ヨブ記33章30節
はじめに
阪神淡路大震災から31年。命と死と悲惨を思い起こすとき、真の希望を新たにしたい。
1
「被造物だけなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」神が造られた世界、被造物は、神のかたちにかたどって造られた人間の堕落においてともにうめくものとなった。ノアの物語において、わたしたちは、神と共に歩んだノアが、すべて神の命じられたとおりにした時、箱舟にノアとその家族jだけでなく、主なる神は、「すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい」(創世記6章19節)と命じた。被造物のうめきと人間のうめきが一つのものとして証しされる時、わたしたちは、神のかたちにかたどって造られた人間の堕落がどれほど大きく、深く、悩みに満ちたものであるか、を受け入れる。
「“霊”の初穂」とは、収穫の最初の実り。キリストの血によって贖われた者たちは、聖霊の恵みによって、神の救いに入れられた。その信仰と希望において、なお、深い苦悩の中で、救いを求めて葛藤しながら、内なる願いを言葉にできないうめきを、霊と魂における真実として認めていく。
「体の贖われること」とは、ただ恵みによって神の子とされた者たちが、死において朽ちる体が、朽ちることのない栄光の体に変えられること。主イエスは、復活と昇天において、今なお、不滅の体をもって、天上で執り成しておられる。わたしたちは、主イエスの中に、「体の贖われること」をたしかに信じることへと導かれる。
2
「わたしたちは、このような希望によって救われている」。「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」多くの場合、人の心が塞ぎ希望を見えないとき、わたしたちは、救われていないと考えがち。しかし、ここにある希望は、先立って希望があると言えるほどに、わたしたちの救いは確かであると言う。ここに、キリスト教信仰における希望の慰めがある。なぜ、希望を先に信じることができるのか。しかも、見えているものによらずに信じることに導かれるのか。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること。」「信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです」[聖書協会共同訳](ヘブライ11章1節)と教えられるとおり、真の信仰は、見えないものを確証し、望んでいる事柄の本質をもつこと。つまり、決してむなしくは終わらないもの。主イエスご自身「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であった、あなたがたこの方について、『我々の神だ』と言っている」(ヨハネ8章54節)と言われた。神を信じ、御子を遣わされた御父を信じるとき、わたしたちの信仰は、聖霊によって固く生けるキリストと結び合わされていることを確認する。
3
「わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望む」。使徒パウロは、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていく」と、「一時の軽い艱難」が比較にならない「重みのある永遠の栄光」をもたらすことを証しした(コリント二4章16~18節)。
おわりに
苦しみを負うヨブに、エリフは、ただ苦難の中にある人を教えようとしているのはなく、罪と滅びと苦しみからの贖われる神にある希望を証しする。わたしたちの信仰は、理屈ではなく、神の真実である。真の信仰こそ、ただ、キリストの苦難において真の希望を確信するに至る。
(Mynote)
二〇二六年一月一八日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「神様の十の戒めが書かれた、一番目の板には幾つの戒めがありますか。」
「四つあります。」
神様はイスラエルの人々を、エジプトの奴隷の地から救い出した。そのとき同時に神様は、モーセを通して、人々が信仰生活に於いて守るべき十の戒めを記した、十戒を人々に与えた。その十戒をモーセが山から持ち帰った時、エジプトの奴隷の地から救い出されたイスラエルの人々は、金の子牛の像などを造りそれを崇め、偶像を拝み続けて居た。これは現代人にも通じ、現代人も聖書が与えられ、十戒も与えられて居るのにそれ等をまったく無視し、自分達の信じる夫々の偶像を創り出し、それを拝み続けて居る。(『出エジプト記』第二〇章全節と、三二節から参照)
(公同礼拝)
『ローマ人への手紙』(第八章一八〜三〇節)
『ヨブ記』(第三三章一九〜三〇節)
「人は又その床の上で痛みによって懲らされ、その骨に戦いが絶える事なく、その命は、食物を厭い、その食欲は、美味しい食物を嫌う。その肉は痩せ落ちて見えず、その骨は見えなかったものまでも露わになり、その魂は墓に近付き、その命は滅ぼす者に近付く。もしそこに彼の為に一人の天使が在り、千の内の一人であって、仲保(イエス・キリストを指す)となり、人にその正しい道を示すならば、神は彼を憐れんで言われる、『彼を救って、墓に下る事を免れさせよ、私は既に贖い代を得た。彼の肉を幼な子の肉よりも瑞々しくならせ、彼を若い時の元気に帰らせよ』と。その時、彼が神に祈るならば、神は彼を顧み、喜びを以て、御前に至らせ、その救いを人に告げ知らせられる。彼は人々の前に歌って言う、『私は罪を犯し、正しい事を曲げた。しかし私に報復が無かった。彼は私の魂を贖って、墓に下らせられなかった。私の命は光を見る事が出来る』と。(『ヨブ記』第三三章一九〜二八節)
「私は思う。今のこの時の苦しみは、やがて私達に現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子達の出現を待ち望んで居る。何故なら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させた方に依るのであり、且つ、被造物自身にも、滅びの縄目から解放されて、神の子達の栄光の自由に入る望みが残されて居るからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けて居る事を、私達は知って居る。それだけでなく、御霊の最初の実を持って居る私達自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられる事、即ち、体の贖われる事を待ち望んで居る。私達は、この望みによって救われて居るのである。しかし、目に見える望みは望みではない。何故なら、現に見て居る事を、どうして、なお望む人があろうか。もし、私達が見ない事を望むなら、私達は忍耐して、それを待ち望むのである。御霊もまた同じ様に、弱い私達を助けて下さる。何故なら、私達はどう祈ったら良いか分からないが、御霊自ら、言葉に表せない切なるうめきを以て、私達の為に執り成して下さるからである。そして、人の心を探り知る方は、御霊の思う処が何であるかを知って居られる。何故なら、御霊は、聖徒の為に、神の御旨に適う執り成しをして下さるからである。神は、神を愛する者達、即ち、御計画に従って召された者達と共に働いて、万事を益となる様にして下さる事を、私達は知って居る。神は予め知って居られる者達を、更に御子のかたちに似たものとしようとして、予め定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせる為であった。そして、予め定めた者達を更に召し、召した者達を更に義とし、義とした者達には、更に栄光を与えて下さったのである。」(『ローマ人への手紙』第八章一八〜三〇節)
見えるもの(物・者)でなく、見えないものだから信仰が成り、必要で、信じるのである。それがイエス様を信じる事、神様を信じる事、イエス様と神様が人に教えた事を、全て「信じる事」に尽きさせる。
阪神震災の時、見える物で、崩れ去るものは全ては崩れ去った。その時でも夫々の地区に在った教会や神学校は建物を解放し、被災者の避難所として活用された(無論、崩れなかった教会や神学校のみに於いてである)。そしてそこで、夫々の人が思った事は、これから現実に在る見えるものと、心に宿された・浮かび上がった、見えないものへの祈りである。見えるものはこの地上で、必ずいつか滅びて見えなくなる。しかし見えないもの、即ち信仰は、神様がイエス様を通して全ての人に確約した通り、この地上・宇宙が滅びて、そこにあった全てのものが崩れ去り、見えなくなった後も、人の命の拠り所として、救いの場所として、残され続ける。全ての人にとってこの事は、そう信じるか否かに尽きるのである。
イエス様は神様の御計画に従い、この世の罪人により十字架に付けられ、人として陰府に下り、三日目に死人の内より甦り、天に上られ、全能の神様の右に座し給えり、全ての人にとって唯一の救い主として、今も生きて居られる。先ずこの事を人として、神様の御前に屈し、信じる事が信仰に於いて必要となる。その上で神様、イエス様の側に付くか(立ち返るか)、未だ見える地上のものに縋り付くか(サタンの側に縋り付くか)、全ての人にとってこの二択が迫られる。
うめきとは、この世の哀しみや苦しみである。その哀しみや苦しみ(うめき)を、私達の唯一の救い主である神様、イエス様は、人が知る以上に全てご存知である。この世での生死に囚われず、価値、喜怒哀楽に囚われず、神様がイエス様を通して全ての人に教えた事(聖書に在る御言葉)を第一の正義とし、その神様の御計画を祈りの内に知らされる上、信仰に生かされる事が、全ての人の真実の救いに於いて必要となる。この世に於いて人の希望が消えても、信仰に於ける(信仰に依る)希望が消える事は無い。神様がイエス様を通して全ての人に確約したその魂の救いへの希望は、人知を超えた希望に在り、人が決定する処には無いからだ。これを信じるか否かに尽きるのである。信仰の根本は、これを信じる事に在る。この救いを、神様は全ての人に聖書を通して保証し、イエス様がその架け橋に成られた。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは」
https://www.youtube.com/watch?v=lbm8N7ZZRMY
スペシャルWEB配信 無観客ライフ・ライン、世の光のつどい
https://www.youtube.com/watch?v=WtWo_wXvLAI
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin
星のカケラ
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
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