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エピローグ

ヤマトタケルが去ってから、一年が過ぎた。


東京の空は、かつてないほど澄み渡っている。 物理的なスモッグが晴れたわけではない。しかし、街を覆っていた淀んだ空気――欲望、嫉妬、欺瞞といった粘着質の気配――は、完全に払拭されていた。


新宿、歌舞伎町。かつて東洋一の歓楽街と呼ばれたその場所は、今や巨大なモデルルームのように清潔だった。 ぼったくりバーも、違法な客引きも、裏路地で行われる薬の売買も、すべて消滅した。 酔っ払いの喧嘩もなければ、ゴミのポイ捨てすらない。夜の街を歩く人々は、誰もが背筋を伸ばし、互いに礼儀正しく道を譲り合っている。


「平和だ……」


路地裏の小さな居酒屋で、一人の男が呟いた。 かつては脱税ギリギリの処理を請け負う三流会計士だった男だ。今は、一円の計算ミスも許されない厳格な帳簿付けに追われる日々を送っている。


向かいに座る友人は、かつて週刊誌でゴシップ記事を書いていたライターだ。今は、当たり障りのない園芸雑誌の記事を書いている。


「ああ、平和だよ。犯罪検挙率はほぼゼロ。政治家の汚職もゼロ。いじめもパワハラも、見つかれば即座に『あの世』行きだからな。誰も他人を傷つけない」


ライターの男は、ノンアルコールビールをグラスに注ぎながら、自嘲気味に笑った。 かつてのように、深夜まで安酒をあおり、社会への不満を怒鳴り散らすような元気は、誰にも残っていない。


「でもな、息が詰まるんだ」


会計士が、声を潜めて言った。店内には監視カメラはない。だが、誰もが「見られている」という感覚を内面化していた。 ヤマトタケルはいないかもしれない。だが、隣の客が、店員が、あるいは自分自身の良心が、少しの逸脱も許さない「ヤマトタケル」になっているのだ。


「『水清ければ魚棲まず』とはよく言ったものだ」 ライターが窓の外、あまりにも整然とした通りを見つめる。


「俺たちは、泥水の中でしか呼吸できないナマズやドジョウだったんだよ。多少のズルや、嘘や、見栄や、欲望……そういう『雑菌』がないと、人間ってのは免疫力が落ちて死んじまうのかもしれねえな」


ニュースが流れる。 キャスターが、今月の「国民幸福度」が過去最高を記録したと報じている。画面の中の笑顔は、完璧すぎて蝋人形のように見えた。


この国から、理不尽な死はなくなった。 その代わり、情熱的な生もまた、失われたのかもしれない。


「清廉潔白な無菌室」となった日本。 人々は、清潔すぎる空気に肺を焼き尽くされそうになりながら、それでも笑顔で生きていく。 二度と現れないと告げた、あの恐ろしい守護神が、再び刀を抜きに戻ってくることを、心のどこかで恐れ――


そして、心のさらに奥底では、あの劇薬のような暴力による「カタルシス」を、密かに渇望しながら。

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