第7話 手袋と学院長
ドアをノックして店に入ってきた男性に、私は思わず声を漏らした。
「フェルさん……?」
思わず声に出してしまったけれど、その人はフェルさんではなかった。
顔立ちは似ているのに、雰囲気がまるで違う。
それにフェルさんは黒髪だったけれど、今入ってきた男性は金色の髪をしている。
その男性は、先に入ってきた乱暴な人とは違い、仕立ての良い清潔な衣服を身に纏っていた。
彼は私たちの方を見ると、ぺこりと丁寧に会釈をしたので、私もつい反射的に会釈をしてしまった。
次の瞬間、その方は乱暴な人の腕を掴むと、そのまま有無を言わせず外へ連れていってしまった。
「なんだてめえ!? うわ! は、離せ!」
乱暴な男はそう叫んでいたけど、やがて叫び声が遠ざかり、何も聞こえなくなった。
私とメグは何が起きたのか理解できずに、ただ唖然としていた。
すると再びドアが開いて、先ほどの仕立てのよい男性がドアから顔だけをのぞかせて言った。
「鍵、ちゃんと閉めてくださいね」
そう言うと、彼は会釈をしたので、私たちも慌てて会釈を返した。
ドアがパタンと静かに閉じられた。
私はすぐに鍵を閉めた。
そして窓から外の様子をうかがうと、先ほどの乱暴な男性が、複数の屈強な男性たちに引きずられていく姿が遠くに見える。
私たちのいる店の通りは人通りが少ないのに、それからはやけに人が多くなった。
さっき帰宅した時は、誰も人がいなかったのに。
理解できない光景に、私とメグはただ顔を見合わせるしかなかった。
「さっきの人、何だったんだろう? エリザのともだち?」
「いや、知らない人だけど……随分、凛々しい人だったね」
◇◇◆◇◇◇
そして、次の日の朝。驚くべきことが起きた。
店の前の埃っぽい通りが掃き清められたように綺麗になっており、壁の落書きは消え、古い張り紙の跡すらなくなっていた。
それからというもの、乱暴な人は一度も訪れていない。
それどころか、昼間は人通りが多くなって活気が出たようにすら見える。
昨日まで誰も見向きもしなかった通りなのに、通る人たちがにこやかに挨拶さえしてくる。
「……なんなんだろ?」
私は再び、メグと顔を見合わせていた。
そんな中、その日の昼頃、訪問者が来た。
ドアがノックされたので、メグと一緒に恐る恐るドア越しに声を掛けた。
「どちらさまでしょうか……?」
「こんにちは、フェルです」
カーテンを開けて窓越しに見たら、確かにフェルさんだった。
慌てて開錠し、ドアを開けた。
「フェルさん、こんにちは。どうされたんですか?」
「こんにちは、エリザ。学校、行くでしょ?」
「え? ええ、そうですけど……」
唖然としていると、フェルさんが続けた。
「入学の手続きは終わったから、これから行こう」
「えっ?! もう、ですか?」
「ああ、すぐに行ける」
入学の手続きって、こんなに早いなんて思わなかった。
仕事を探そうと思ったけど、手続きが済んでいるのなら、学校に向かうべきなのだろうか。
それにフェルさんがわざわざ迎えに来てくれている。
一緒に行けるなら、一人で行くよりずっと安心だ。
「メグはどうする? 一緒に行く?」
「え、あたし? 一緒に行ってもいいの?」
「問題無いよ」
フェルさんが答えてくれたけど、メグは少し迷っているようだった。
「う~ん……でも、学校は遠慮しようかなぁ。あたし、そういう所、苦手だし」
「学院、食事は無料で食べられるよ」
「行きます」
即答だった。メグの目が、いつになく鋭かった。
「ああ、あと……良ければ、これを使ってほしいんだ」
突然、フェルさんが私の前に箱を差し出した。
「えと、これは……?」
「……先日のお詫びです」
フェルさんが視線を外し、頬を少し赤く染めていた。
お詫び? ……あっ。
突然の言葉で、ついあのときの感触――フェルさんの口が触れた瞬間――を思い出してしまう。
心臓がどくん、と跳ねた。
メグが私の顔を覗き込んできた。
「エリザ、大丈夫? 顔、真っ赤だよ。風邪ひいた?」
「な、なんでもない! 大丈夫!」
「ほーん?」
私はメグから顔をそらした。
そして、フェルさんから頂いたこの箱、どうしたらいいだろう。
「それ、できれば使ってほしいんだ」
フェルさんが、私から視線は外したまま、そう言った。
「あの、わざわざ、ありがとうございます。開けてもいいですか?」
「ああ、もちろん」
箱を開けると、そこには革製の手袋が入っていた。
薄手なのにしっかりとしていて、派手な装飾はされておらず、普段使いにちょうどいい。
もしかしたら、義手であることに気を使ってくれたのだろうか。
私も、義手はやはり目立ってしまうのだろうかと気にしていたところだった。
「フェルさん、ありがとうございます! さっそく使わせて頂きますね」
手袋の大きさはちょうどよかった。すごくしっくりとくる。
義手は私の手と同じ大きさなので、手袋をしていれば私が義手であることに誰も気が付かないと思う。
「それでは、行こうか」
フェルさんが穏やかに言った。
◇◇◇◇◇◆
私たちの目の前には、王立魔導学院の巨大な門がそびえていた。
王立魔導学院の場所は、歩いて行ける距離にあり、思っていたよりも遠くは無かった。
これくらいであれば、私だって歩いて行ける。……少し息は上がっているけど。
その重厚な門をくぐり抜けると、目の前の景色が一変した。
足元には、数台の馬車が並んで通れるほどの真っ直ぐな大通りが、敷地の奥へと延びている。
道の両脇には広大な庭園が広がり、その遥か先にようやく、学院の主たる建物が見えている。
幾つもの棟が連なり、その中心には高い一本の塔がそびえ立っていた。
「さぁ、行こう。正面の建物だ」
フェルさんの案内について歩く……が、いやこれ、あの建物に辿りつくのに、かなりの距離を歩くのでは?
この学院に通うには、もっと体力をつけなければならない。頑張らないと。
そして、息も絶え絶えにやっと建物に到着した。
校舎の中へ足を踏み入れると受付があり、フェルさんが対応してくれた。
私とメグは、学院の中の雰囲気に圧倒されていた。
頭上遥かに広がる吹き抜けの巨大な空間。一歩踏み出すごとに靴音が全体に反響している。
壁面には、彩色された細長いガラス窓が並んでおり、そこから差し込む光が、石の柱や床に色のついた光の帯を描いている。
「さぁ、こっちだ。あの階段を上がった先だよ」
「は、はいっ!」
フェルさんが私たちに声を掛ける。
メグは建物に圧倒され過ぎていて、フェルさんの声が聞こえていなかったので、メグの手を引っ張って連れてきた。
そして、ここに来るまでに体力が尽きかけている私に、追い打ちをかけるように、たくさんの階段を上がった。
「ぜぇ、ぜぇっ! はぁ、はぁっ!」
やっとのことで階段を上がった先には、大きな扉があった。
しかし、その扉は既に開かれており、フェルさんが部屋に入ってしまったので、私たちはフェルさんの背中を追うように続いて入った。
部屋の中にはすでに、一人の長身で目つきの鋭い男性が立っていた。
「お待ちしておりました。フェル様。そしてお連れ様も」
「あ……エリザと申します」
「マーガレットと申します!」
私はスカートの裾を軽くつまみ腰を落とすカーテシーをし、メグは会釈をしていた。
この場合、どのように挨拶するべきだったのだろうか。
その男性は私たちに微笑んで言った。
「エリザさん、マーガレットさん。伺っております。どうぞ、こちらへお座りください」
その男性に促され、私たち三人はふかふかとしたソファへと横並びに腰かけた。
男性は私たちの対面に、そっと座った。
「改めて、ご挨拶させて頂きます。私は王立魔導学院の学院長を務めております、バサウェインと申します。どうぞ、お見知りおきを」
学院長さんの透き通るような白銀の長髪は、風をはらんだように豊かに乱れていた。
その髪の奥から覗く鋭い瞳は、どこか冷ややかで、静かな威圧感を放っている。
全身を包むのは、複雑な装飾が施された漆黒の衣装が、貴族的な雰囲気を醸し出していた。
……しかし、いきなり学院長? いきなり偉い身分の方で驚いた。しかも、若いように見える。
だけど、驚いているのは私だけで、メグもフェルさんも全く動じていなかった。
メグが驚いていないのは何となく分かる。
そもそも学院長さんが何なのか知らないのだと思うし、先ほどからキョロキョロしているのは、たぶん無料で食べれるという食事が気になっているからだろう。
学院長のバサウェインさんが続けて言った。
「それで、フェル様。改めて、初めまして。急なご入学、大変驚きましたよ。いやぁ、手配が大変でした。まさか、即日に入学させろと仰るとは」
学院長のバサウェインさんは笑顔でフェルさんに言っていた。……表情は笑顔なのに、その奥に凄まじい圧力を感じる。まるで内心では怒っているようだった。
だけど、当の本人のフェルさんは全く動じておらず、逆に笑顔になって返していた。
「初めまして、フェルです。様付けは要りませんので、気軽にフェルとお呼びください」
……いったい、なんなのだろう?




