第24話 覚悟と医療
王城での社交界を終えてからというもの、私たちの『シュターテット商会』には、いつも以上にお客さんが列をなしていた。
といっても、それはポーションを純粋に求めてくれる正当なお客さんばかりではなかった。
ここ数日、私の元へ挨拶に来たり、贈り物を渡そうとしたりする人が後を絶たないのだ。
「あっしは、向こうの方で商会を営んでいるものでして――」
「貴金属のご購入でしたら、ぜひとも我が商会をご贔屓に――」
「いつもポーションを買わせて頂いております。その……その際は、わたくしの商会も何卒――」
どう見ても、売り込みだった。
あるいは、王族との婚約が発表された私への、露骨な擦り寄りだ。
これでは、本当にポーションを必要としている人へ販売することができない。
しかも彼らは不審者というわけでもなく、ポーションを一つ購入した後に声を掛けてくるため、事前の判断が難しいのだ。
そして、王子様と結婚する婚約者の店として、さながら観光名所のようになってしまっていた。
店の前は常に人だかりができている。
私はポーションを、必要な人に届けたいだけなのに。
どう見ても、私目当ての人が多すぎる。
どうすべきだろうか……
結局、メグやロイドたちと相談し、私は学院へ避難することにした。
久しぶりに、果物ポーションを作ってみたくなったこともある。
私は、あの老婦人に手渡した時のことを思い出していた。
果物ポーションが、誰かの役に立ったという事が嬉しかったから。
王立魔導学院に到着し、いつもの研究室の扉を開く。
すると、そこには――フェルさんがいた。
「フェルさん、こんにちは」
「あ……やぁ、エリザ。こんにちは」
フェルさんはどこか、たじたじとした様子で挨拶を返してきた。
いつもなら涼し気な笑顔で迎えてくれるのに、どうしたのだろうか。
「エリザ、今日はポーションの練成かい?」
「はい。ちょっとお店の方で問題があって、今日は研究室にいようかと思っていて」
「……問題? 何かあったの?」
フェルさんが心配そうに眉を寄せる。
私は言うかどうか迷ったけれど、社交界での出来事を簡単に説明した。
ただ、偽装の婚約という部分に関して伝えてはいけない気もしたので、伏せておくことにした。
そして、その影響のせいか、シュターテット商会に人がごった返している状況だという事を伝えた。
「そう、なんだ……それは、本当に……申し訳ない、ね……」
「え……? どうしてフェルさんが謝るんです?」
「へぇっ!? い、いや、その、たぶん当事者は申し訳ない思いなんだろうなぁってことだよ……!」
フェルさんがあたふたとしている。
そういえば……
「フェルさん、そういえば社交界でお見掛けした気がするんですけど」
「えっ!? いや、僕はたぶん社交界に行ってない気がするよ……?」
「そうなんですか? フェルさんに似た方を見た気がしまして」
なんだか、今日のフェルさんは、様子がおかしい気がする。
フェルさんの顔を見ると、やはりいつもと違った。
よく見ると、フェルさんの頬が少しこけ、顔色が優れないように見える。
げっそりとしている、という表現が近かった。
いったい、何があったんだろうか?
「フェルさん、顔色が悪い様ですけど、大丈夫ですか?」
「え? あ……ああ、大丈夫だよ……」
大丈夫と言う表情が、すでに大丈夫ではない。
「何かあったんですか? よければ、私に聞かせてください」
フェルさんに、私のお店の悩みも聞いて貰ったのだ。
私も微力ではあるけれど、フェルさんの役に立てればと、フェルさんの話を聞いた。
フェルさんは、少し言いにくそうに、もじもじとしていたが、やがてぽつりと私に口を開いてくれた。
「その……僕に助言をくれる親しい友人がいるんだけどね。その助言を、僕が早とちりというか、間違った理解をしてしまったみたいでね」
「助言、ですか……」
「ああ。それで助言通りに行動したら、とんでもない事になってしまったんだ。大事な人をないがしろにしたり、たくさんの人に迷惑をかけてしまったりしてね。この数日間、ずっと叱られていて……それで、今日は研究室に逃げ出してきたんだ」
フェルさんが、すごく気を落としている。
こんなに落ち込んでいるフェルさんは珍しい。
なんとなく、フェルさんはいつも自身に満ち溢れている印象がある。
私は自信がない時に、いつもフェルさんに励まして貰ったり応援してもらっている。
今度は、私がフェルさんの役に立つ番だ。
「あの、その……フェルさんのした事の詳細は分かりませんけど、私はいつもフェルさんにして頂いている事に、心から感謝しています。それに――」
私は一呼吸おいて、毅然と、はっきりと伝えた。
「私はフェルさんにしてもらった事、間違いだと思ったことはありません。フェルさんがおっしゃってくれれば、私は何でもお受けします」
私の言葉に、フェルさんは目を丸くして固まってしまった。
……何か、変な事を言っただろうか。
でも、私の発言に嘘はない。
フェルさんが困っている事で、私に何かできる事があれば、何だって手伝いたい。
すると、その時だった。
研究室のドアが、バーン!と、勢いよく開いた。
現われたのは学院長だった。
「こんにちは、エリザさん、フェルさん。何やら、また問題が大きくなりそうな予感がしたので、来てしまいました」
学院長が肩でハァハァと息をしている。
どうやら、かなり急いで研究室に来たようだった。
問題……? いったいなんだろうか。またジョッシュや王子様の事で、何かあったのだろうか。
「学院長、こんにちは」
「……こんにちは」
私たちが挨拶をすると学院長はコホンと一つ咳払いし、呼吸を整えてから私たちに声を言った。
「ええっと、お二人さん。この後すぐ、大講堂で医療を取り扱っている宮廷魔術師による講義があります。ぜひ参加してください。ポーションを作るのも医療の一環ですし、医療はフェルさんの研究対象でもありますので。そして、この研究室に二人で籠っているのも何ですから。……ね?」
学院長の強い勧めで、私とフェルさんは大講堂へ移動することになった。
講義を受けるのには、学院ローブの着用が必須という事で、私とフェルさんは学院ローブに袖を通した。
そして、初めて足を踏み入れる大講堂。
正面には巨大な黒板があり、生徒の席は階段状にせり上がっていて、大勢の生徒を収容できる造りになっていた。
すでに多くの生徒が着席している。
私よりも、かなり年下に見える生徒もいる。
学院長の話によれば、違う学部の中等部や高等部の生徒も混ざっているらしい。
そもそも学院に、そういった区分があることすら、私は初めて知った。
私とフェルさんは、空いている前の方の席に並んで座った。
しばらくすると、先生と思わしき女性が入室してきた。
私より少し年上だろうか。知的で、大人の魅力を漂わせる女性だ。
その姿に、生徒たちが色めき立つのが分かった。
先生が教壇に立つと、生徒たちのざわめきは静まった。
「今日の特別講義を担当する事になったフィオラだ。魔導と医療の研究をしている。今日は医療行為というよりも、この国の医療に関することを簡単に説明をさせてもらう。よろしく頼む」
フィオラと名乗った先生は、淡々と医療の歴史や、この国で行なわれている医療の説明を始めた。
難しい専門用語が出てくることもあったけど、できるだけ分かりやすく話してくれているのが伝わってきた。
講義が終盤に差し掛かると、話題は身近な毒物についての話に移った。
例としてあげられたのが、山菜として、よく間違われて誤食されやすいとされる麻痺性の毒を持つキノコの話だった。
その麻痺性の毒であるキノコを摂取すると、全身が痺れて呼吸が浅くなり、喋ることも出来ずに気絶してしまうという。
治療行為には時間が無く、一刻を争うという事だった。
先生は、その場合の救護方法についての説明してくれた。
患者は痺れて呼吸が出来ず、自力で解毒のポーションを飲む事も出来ない。
先生は言った。
「こういう場合は、自分の口にポーションを含み、患者と口を合わせて、息でポーションを押し込み、無理やりにでも患者の体内に入れろ」
すると、途端に生徒たちがガヤガヤと騒ぎ出した。
口を合わせる、つまり口づけをすることに反応してしまったようだ。
すると一人の生徒が手をあげて、先生に質問をした。
「先生! 口づけをする理由はなんでしょうか?」
「さっきも言ったが、患者は身体の自由が利かず、自分では飲み込めないからだ。それと、相手の口から解毒薬がこぼれないようにするためでもある」
生徒たちは、先生の言う理由に「ほー」と感心したような、もしくは恍惚としたような声を上げた。
先生はさらに続けて説明した。
「いいか? 麻痺性の毒以外にも、こういう状況はある。例えば、瀕死の重傷などがそうだ。意識も無く、今にも死にそうな相手は回復薬を飲む事すらできないからな」
先生の言葉に、私たちはごくりと息を呑んだ。
しかし、次の瞬間、講堂が湧き立つ事態が起きた。
「では、経口投与の実習してみるか。私が実践しよう。誰か、患者役の候補はいるか?」
突然の実習。
先生が口づけをして実習するというのだ。
男子生徒たちが、こぞって手を挙げた。
そりゃそうだ。あんな美人な先生とキスできるなんて。
ふと、横にいるフェルさんを見ると、周りの生徒とは違い、静かに冷静に、ただ黒板を見つめていた。
そして、フィオラ先生が声を上げた。
「じゃあ、そこの君。ここへ来なさい」
先生が指さしていたのは――私だった。
「……え? 私、ですか?」
「そうだ、さあ、早くここへ」
手も上げていないのに、指名されてしまった。
フェルさんに視線で助けを求めたが、フェルさんもどうしていいか分からずおろおろとしていた。
しかし、フィオラ先生に催促され、私はおずおずと教壇まで来てしまった。
そして、先生に指示されて、私は長椅子に仰向けに寝転んだ。
先生が私の態勢を整えながら、生徒たちに説明を続ける。
「まず、患者の上半身を立てろ。回復薬を流し込んだ後に、体内に流れやすくするためだ」
そう言うと、先生は仰向けになっている私の上半身を起こした。
「いいか、人間の上半身は意外と重い。両手で上半身を起こせ。それから、ひざと片手を使って、上半身が垂直になるように維持するんだ」
そうして、先生の手際よい動きで、私の顔が上を向くように固定される。
「次に、患者の顎を持ち上げて患者の顔を上向けにさせろ。顔が上を向くと気道が確保され、口も開く。そうしたら、片手でポーションを自分の口に含めろ」
先生は、持っていたポーションの蓋を器用に片手で開けた。
……ついに、私は口移しでポーションを投与されてしまうのだろうか。
そう思うと、緊張してきて身体が強張り、心臓がドクンドクンと強く鳴っているのが分かった。
その緊張は先生に伝わっているようだった。
先生が耳元で、私に囁いた。
「全身の力を抜け。今、お前は麻痺で気絶している状態だと思え」
私は、こくこくと頷くことしかできない。
そして、先生がポーションを口に含んでいた。
え……本当にするの?
そして、先生の美しい顔が近づいてくる。
私は……ギュッと目を瞑った。
「んーふふ、んふふーふ」
……あれ?
目を開けると、先生が口にポーションを含んだまま、身振り手振りで動作の説明をしていた。
私の唇には触れていない。
あー……やっぱり、そうですよね。
実際に口づけなど、するわけがなかった。
そして、先生は一通りの動作を説明し終えると、口に含んでいたポーションをごくりと飲み込んでいた。
「これでだいたい分かったな?」
呆気に取られている生徒たち。
私はまだドキドキしながら、席に戻った。
しかし、フォオラ先生は空気を一変させるように、語気を強めて言った。
「で、一番大事なのはここからだ。ちゃんと聞け」
そのピリっとした突然の鋭い言葉に、教室全体が一瞬で緊張に包まれた。
「今、お前たちは口づけをすることに驚き、色々思う事もあっただろう。分かるよ。お前たちは若いからな」
その言葉に、皆、思い当たる事があったのか、静まり返る。
「だがな、命を守る事に躊躇はするな。迷ったら相手は死ぬ。助けたかったら、一時の迷いなど捨てろ」
先生の瞳は真剣そのものだった。
「お前らが命を救うという行為は、尊いものだ。相手が子供でも老人でも、男でも女でも……好きな奴でも嫌いな奴でも、命を助けるというのはそういうものなのだ」
静まり返った講堂に、先生の言葉だけが重く響いた。
「それだけを分かってほしい。と、私は思う」
私の胸に、その言葉が深く突き刺さった。
命を救う。
あの時、私を救ってくれたお医者様も、同じ気持ちだったのだろうか。
すると、学院の鐘がゴーンゴーンと鳴り響いた。
「今日の講義は、これで終わりだ」
先生はそう言って、最後に優しく微笑んだ。
講義の最初にあった浮ついた空気は、もう教室のどこにも存在しなかった。




