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くよくよしない錬金術師、エリザ・シュターテット。  作者: 水乃ろか


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第23話 混乱と馬車

 社交界からの帰りの馬車に揺られながら、私は未だに夢の中にいるような心地で、先ほどまでの騒動を振り返っていた。

 

 フェリクス殿下による、唐突な婚約宣言。

 その言葉は、会場にいた人々をどよめかせ、そして私の思考を完全に停止させた。


 その後、フェリクス殿下の元には、お偉いさんの様なたちが押し寄せ、殿下はそのまま連行されるように会場の奥へと消えていってしまった。

 呆然と立ち尽くしていたジョッシュもまた、衛兵のような人たちに連れられていった。


 そしてその場には、私一人が取り残された。


 会場中の視線が、痛いくらいに私一点に集中する。

 針のむしろとは、まさにこのことだ。

 

 どうしていいか分からず、私が立ち尽くしていると、人垣を割って学院長が現れた。

 

「エリザさん、大変でしたね。ここでは目立ちますので、部屋を移動しましょうか」


 学院長の落ち着いた声に、私は救われた思いで頷いた。

 

 通されたのは、会場の喧騒が嘘のように静かな一室だった。

 部屋にはすでに数人の人物が待機していた。

 身なりからして貴族ではなさそうだったけど、ピリピリとした空気を纏っており、私はソファに浅く腰掛けて縮こまっていた。


 しばらくすると、学院長が戻ってきた。

 手には、湯気の立つカップを二つ持っていた。

 

「エリザさん。急に色々な事が起きて混乱しているでしょう。これをどうぞ。まずは、落ち着いてください」


 差し出された紅茶を、震える手で受け取った。

 一口飲むと、温かい液体が喉を通り、強張っていた身体の力が少しだけ抜けていくのを感じた。

 しかし、緊張が解けるのと同時に、ジョッシュの冷たい言葉や、フェリクス殿下の力強い宣言が、急に頭の中をぐるぐると回り始めた。


「少し落ち着きましたか? エリザさん、あなたの元婚約者の件や、そしてフェリクス殿下の件については、すでに状況を確認致しました」

「あ、はい……」


 なぜ学院長が、王城での出来事を説明してくれているのだろうか。

 私の疑問を察したのか、学院長はカップを置いて説明を始めた。


「なぜ学院長の私が? と、お思いでしょう。私は学院の長を務めておりますが、本業はこの国家付きの宮廷魔術師なのです。今回は、エリザさんが学院の生徒ということで、私から報告させて頂くことになりました」

 

 国家付きの宮廷魔術師……?! 学院長が、ただならぬ雰囲気を持っているとは思っていたけれど、そんなに凄そうな方だったとは。

 でも学院も王立というくらいだから、学院長は確かに国家の人なのかもしれない。


「ではまず、ひとつひとつ解決していきましょうか」


 学院長が、穏やかな口調で説明してくれた。


「エリザさんが以前、お世話になっていたというシュターテット領地の村についてですが、これについては国が責任を持って対処します。定期的に視察を入れ、問題が無いかを厳しく監視させます。本来、貴族の領地経営に国が直接介入することは稀ですが、今回は『特別監視下』という措置を取る形になります」


 さっきのジョッシュとの会話を聞いていたのだろうか。

 いや、私たちは周りの事も気にせず、大きな声で話していたのだ。

 きっと、周りの人たちには筒抜けだったのだろう。


 それに、学院長が教えてくれた村への保護については、正直すごく驚いた。


「あの、ありがとうございます。そんな事までして頂いて……」

「いえ、礼には及びませんよ。そもそも領地は国の管理下にあるものです。それが正常に運営されなければなりませんし、民を守るのは貴族の務めです。決して、領主個人の所有物ではありませんから。あのアンハワー家自体にも、視察が入る予定です」


 村のみんなが守られる。その言葉に、私は心の底から安堵した。

 ジョッシュの脅しが、これで無効になったという事だろうか。


 しかし、学院長の表情はまだ険しいままだった。


「そして、もうひとつ。エリザさんの元婚約者の件です。ジョッシュ・アンハワー氏が主張する、エリザさんとの婚約の権利についてですが……」


 学院長は、言いずらそうに少し言葉を溜めた。


「法的な観点から確認したところ、残念ながら元婚約者との婚約の効力は、未だ生きていると判断されます」

「え……?」


 その言葉に、目の前が真っ白になった。

 ……あんなに一方的に捨てられたのに?


「あの……それって、私から破棄はできないのでしょうか?」

「できます。ですが、それには正当な手順と、場合によっては莫大な保証金や違約金の支払いが発生します。あちらは、それを盾に取る可能性もあります」

「そ、それって、どういう事でしょうか……?」

「一方的な破棄をするのであれば、元婚約者の提示する条件や補償内容を担保しなければなりません」


 担保。その言葉に、嫌な予感が背筋を走る。

 

 ジョッシュが欲しがっていたもの。

 シュターテット商会、そして作り溜めたポーション。

 

 いや、ポーションなんてどうでもいい。

 商会を取られたら、従業員はどうなるのだろうか。


「その担保は、不動産や財産のほか、労働の義務などが生じる可能性があります。簡単に言えば、例えばエリザさんが元婚約者への奉仕を求められた場合、それを拒否すれば契約不履行となり、全財産を差し押さえられる可能性があるのです。それこそ、商会、従業員ごと担保になるかもしれません」


 そ、そんな……みんなまで? あんまりだ……

 どうにか……どうにかする方法はないのだろうか……


「そして厄介なのは、この責任から逃れるために、今、店舗や財産をエリザさんが他人に移した場合です。これは『財産隠し』とみなされ、譲渡が無効になる上に、罪に問われることになります」

「そ、そんな。じゃあ、私はどうすれば……」


 八方ふさがりだった。逃げ道なんて、最初から無かったのだ。

 絶望に沈みかける私に、学院長が強い口調で言った。


「ですが、それを一挙に解決する手段があるのです。そこで、もう一つの問題が関わってきます」

「もうひとつの問題、ですか?」

「ええ。フェリクス殿下からの求婚です。同意や手続きも無しに、公衆の面前で婚約者だと宣言された件です」

「あ……たしかに。そうでした」


 あまりの衝撃の連続に、私は記憶が飛びそうになっていた。

 もう、一つ一つの事実が、まるで嘘のようだった。

 

「この点も整理しましょう。まず、王族が平民と婚約することは基本、ありえません。また、これは常識の範囲の話ですが、相手に許可なく婚約を決めることもできません」

 

 確かにそうだ。私がかつてジョッシュと婚約した時でさえ、家同士の話し合いがあったはずだ。


「ですが、王族には『王族特権』という正当な権利が存在します。これは、既存の貴族同士の婚約の権利を強制的に無効化し、王族との婚約を最優先させるというものです」

「な、なるほど……?」

「つまり、エリザさんがフェリクス殿下と正式に婚約することで、ジョッシュ氏との婚約は、違約金の支払い義務もなく、強制的に消滅させることができるのです」

「……え?」


 ど……どういうこと……?

 それは、私が王子様と結婚するという事なのだろうか。

 

 ……いや、これは私を助けるための策だということ?

 それに、私は今は平民だ。さきほど学院長は、王族と平民の婚約はありえないと言ったばかりだ。


「ですが、それには身分の壁があります。そこで、エリザさんには爵位を与え、王族との婚約を形式上整えてはいかがかと」

「爵位!? で、でも、爵位なんて……」

「ええ。驚くのも分かります。爵位に関しては、国への功績が必要になります。軍功や政治的な功績ですね」

「功績……ですか?」


 軍功や政治的な功績。そんなもの、私には何一つない。


「ご安心ください。エリザさんは……ざっと二点ほど功績がありますので、その二つを合わせて『国家の安定に寄与した』と判断されました」

「国家の安定、ですか? ……私が?」


 まったく身に覚えがない。私はただ、ポーションを作って売っていただけなのに。


「その様子ですと、まあ記憶が無いのも無理はありません。ひとつは、以前、街の入り口で命を助けた重傷の男性がいましたよね?」

「あ、はい。ポーションをお譲りした方の……」

「彼は軍部の重要人物なのです。詳細は伏せますが、彼の命を救ったことが一点目」

「え、はあ、えぇ……?」


 あれは、私のポーションで治したわけではない気がするのだけど……


「そして二点目。これはご存知ないかもしれませんが、エリザさんが作成したポーションによって、ある高貴な方の治療が行われました」

「ある高貴な方……?」

「その方は難病によって足が不自由で、合併症も患っておりました。その祖母君は公爵夫人なのです。その方に売ったポーションによって、公爵家の後継ぎの命が救われた。これが二点目です」


 公爵夫人……? 難病の孫……もしかして、あの上品な老婦人の方だろうか。

 いやでもまさか、公爵夫人が、普通の店に並んで買い物なんて、ありえるの……?


「この二つの功績は、一つ一つであれば叙爵(じょしゃく)に値するものではありません。しかし二つの功績をもって爵位を与え、フェリクス殿下との婚約を成立させます。そうすれば、ジョッシュ氏からの不当な要求はすべて無効化できます」

「でも、そんな……王族の方を巻き込んでしまっていいのでしょうか」

「そこが重要です。今回の騒動は、王族であるフェリクス殿下の独断による不手際でもあります。エリザさんを公衆の面前で巻き込んだ責任を取る形でもありますので」


 学院長は、少し声を潜めて続けた。


「ですので、エリザさん。一度この婚約を受けて、ジョッシュ氏との関係を清算してください。その上で、ほとぼりが冷めた頃に、王族との婚約も『友好的に解消』するという筋書きです」

「そんな事ができるのですか? その、また婚約を破棄して保証とか……」

「いえ、そうならないように、最初から『お互いに保証無しでの解消』を前提とした書類を作成します。これは、あくまでエリザさんを守るための、王族からの提案、いえ、頼み事だと思ってください」

「王族からの、頼み事……ですか」

「ええ。殿下も、貴女を助けたいと強く願っておりましたから」


 フェリクス殿下。

 なぜ、そんな事をしてくれるのだろう。


 あの時、私を助けるために手を差し伸べてくれた、温かい手。

 その好意に甘えていいものか悩んだけれど、今の私には他に道がなかった。


「ということで、エリザさん。いかがでしょうか?」

「……わかりました。お受けします」


 私の返答に、学院長はホッとした様子だった。

 しかし、私は混乱したままだった。

 

 ◆◇◇◇◇◇

 

 そして今、私はメグと一緒に帰りの馬車に揺られている。

 私たちの乗る馬車の前後には、護衛の馬車がぴったりとついている。

 

 王族の婚約者となったことで、安全性が確保されるまで、厳重な警護が付くことになってしまったのだ。

 物々しすぎて、逆に怖い。


 馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 向かいに座るメグの顔色が、ひどく冴えない。

 冴えないというか、真っ青だ。

 やはり、トランさんが女性だったという衝撃を引きずっているのだろうか。


「メグ、大丈夫? 顔色が悪いけど……」

「う、うん……」


 いつもなら明るく返すメグが、蚊の鳴くような声しか出さない。

 こんなに口数の少ないメグは珍しい。


「エリザも……顔色、凄く悪いよ」

「え……そうかな……まぁ、そうだよね……」


 メグに言われて、馬車内に備え付けられた小さな鏡に映る自分を見てみる。

 確かに、幽霊のように青白い顔をしていた。


 でも、原因には思い当たる(ふし)しかない。

 ジョッシュとの再会、殿下とのダンス、そして偽装とはいえ王族との婚約。


 私たち二人、揃いも揃って顔面蒼白だ。


 豪華なドレスを着て、立派な馬車に乗っているのに、中身はボロボロの二人。

 メグが、じーっと私を死人のような顔で見てくる。

 私も、メグを魂が抜けたような顔を見つめ返す。


 それを見ていたら、なんだか急におかしくなってきた。


「ふ……ふふ……」

「んふ……ふふふ……」


 極度の緊張と疲労、そして大変な状況と、あまりの馬鹿馬鹿しさに、我慢しきれなくなった。

 顔色の悪いメグが、引きつった顔でニヤニヤしている。

 

「ぷふ……あははは!」

「んふ! ……んあっはっは!」


 馬車の中に、私とメグの笑い声が響いた。

 ひとしきり笑うと、少しだけ肩の荷が下りた気がした。


 それから私たちは、手配された洋服店で着替えを済ませ、そのまま馬車で自宅まで送ってもらった。


「お帰りなさいませ、お嬢様、マーガレット様」


 店に着くと、夜も遅いというのに、執事のロイドとメイドのジーンが帰宅せずに待っていてくれた。


「みんな、待っててくれたの? 遅くなるから帰っててよかったのに」

「いえいえ、お嬢様たちが社交界に向かわれたのですから。何かあってもいいように待機しておりました」


 ロイドたちの優しさに、申し訳なくて胸が痛む。そして……勘が良い。

 まさに『何か』ありすぎて困っていたところだ。


「お嬢様、この馬車のみなさまは一体……?」


 ロイドが、店の前に並んだ王家の紋章が入った重厚な馬車と、整列している兵士たちを見て、怪訝(けげん)な顔をした。


「ああ……うん、ちゃんと説明するね。中に入ろうか」


 店の中に入り、温かいお茶を飲みながら、今日、私の身に起きた出来事をロイドとジーン、そしてメグに説明した。

 メグとは会場で合流したのが帰り際だったし、メグ自身も上の空だったから、何も話せていなかったのだ。


 社交界の会場であった事。

 ジョッシュと会ってしまい、商会が狙われていた事。そして、シュターテットの村を人質に取られた事。

 そして、なぜかこの国の第二王子であるフェリクス殿下と踊り、いきなり婚約者として紹介された事。


 そこまで話すと、ロイドもジーンも、そしてメグも、目を見開いて絶句していた。


 私は続けて、その婚約は私を守るための形式的なものであり、爵位を賜る事になった経緯、それによってジョッシュとのしがらみが消え、村の安全も国が保障してくれる事。

 そして最後に、王族との婚約は円満に解消される予定であることまで、包み隠さず話した。


 一通り話し終えても、誰も口を開かなかった。

 沈黙が痛い。


 わかる、わかるよ。

 私だって自分で説明していて、現実味がなくて意味が分からないもの。

 

 その重い静寂を切り裂いたのは、メイドのジーンだった。

 ジーンはハンカチを取り出すと、目元を抑えながら、感極まった声で言った。


「うぅ……エリザお嬢様。私は……私は感無量でございます! あのお小さかったお嬢様が、まさか王子様とご結婚なさるとは……! 天国の旦那様と奥様も、さぞお喜びになるでしょう!」

「いやだから! 王子様とは結婚しないんだってば!」


 私の必死の訂正は、ジーンの感動の涙にかき消されてしまったようだった。

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