第22話 私の、戦い
社交界の会場に、あのジョッシュ・アンハワーがいた。
私の元婚約者。一方的に婚約破棄を告げてきた、あの男が。
なぜ、ジョッシュがこの場にいるのだろう?
……そうか、ジョッシュは貴族なのだ。
ここは、貴族や商会が一堂に会する社交界だと聞いていたのに。
私はジョッシュがいる可能性を、全く考えていなかった。
「エリザが、どうしているんだ? ……もしかして、今、噂になっているシュターテット商会というのは、君だったのかい?」
ジョッシュは、いつものように薄っぺらい笑顔で白い歯を見せていた。
その笑顔を見た瞬間、背筋に冷たいものが走る。
けれど、私はもう、あの頃の私ではない。
「今さら、貴方と話すことはありません。失礼します」
私は毅然と言い放ち、その場を去ろうとした。
だが、ジョッシュが私の前に立ちふさがった。
「おいおい、そんな扱いをしていいのかい? 知っているだろう? 今、あのシュターテット領の管理は私がしているんだよ。もちろん、シュターテット領で、君が世話になっていた、あの村もね」
……ジョッシュ!!!
喉元まで怒りが込み上げてきて大声を上げそうになった。
だけど、寸でのところで思いとどまった。
ここで感情的になっていはいけない。
「エリザ、ひとまず座って話そうじゃないか、そこのテーブルが開いている……さっさと座れよ」
半ば強制的に、私はテーブルに座らされた。
座った私たちを見て、給仕が紅茶を用意して、差し出してくる。
ジョッシュは優雅に紅茶を一口飲み、私をねっとりとした視線で見つめていた。
「すばらしいね、エリザ。凄まじい効果の治療薬、どうやって作っているんだい? 一緒に、その商売を繁栄させようじゃあないか。噂を利用すれば、簡単に大金を手にできるよ。……楽しみだねぇ」
「お断りします。そんなもののために、私は商会をやっているわけじゃないので」
「……だから、お前は私を断れないと言っているだろう」
ジョッシュの目から、笑顔は消えていた。
「ふふ、その脅えた顔……懐かしいね。いつも脅えている君は、私の言う通りにしていればいいんだよ」
まるで、物を扱うように私を見下すジョッシュ。
私もジョッシュをキッと睨み返した。負けてはいけない。
「まず、そのバカげた商会名をどうにかしよう。滅んだシュターテットの名前を付けるなんて、縁起でもない。しかし、エリザらしいね。そんなものに執着しているなんて」
……バカげた名前? 縁起でもない? 私のお父さんとお母さんが守ってきた、大切な名前を。私やメグや、村の人たちが暮らしていた、その土地の名前を。
私の中で、何かが弾けた。もう我慢できなかった。
「あなたに……シュターテットの名前の何が分かると言うのですか!?」
私の大きな声が、会場に響いた。
でも、もう止まらない。止めるつもりもない。
「私が……私がシュターテットの領地の名を、必ず復活させます!」
私は、強く言い切った。
周囲を見渡すと、大声を出したことで、一斉に視線が集まっているのが分かった。
以前の私なら、恥ずかしくて、縮こまって顔を上げられなかっただろう。
でも、今は違う。
私はシュターテット商会の、私を信じてくれている皆の代表なのだ。
自分の言葉に、胸を張ろう。
そうして顔を上げた時、その視線の中に、一人の知っている顔があった。
「え……? フェルさん……?」
社交界には来ないと言っていたはずなのに。
人混みの奥に、フェルさんがいた。周りの人と同じように、私に視線を向けている。
フェルさんは、驚いたような、それでいて何か強い瞳で私を見ていた。
「やれやれ。エリザは首輪をつけておかないと、簡単に反抗的になってしまうんだね。分かったよ、エリザの面倒も、私が見て上げよう。私と改めて婚約しようか」
ジョッシュのため息交じりの言葉に、私の思考が引き戻された。
「……は? 何を言い出すの。それに、貴方が婚約破棄したんでしょう?」
「だから、無かったことにしてあげるよ。これで、君の商会も私の管轄だ」
「いえ、お断りします」
私はすぐに、言い切った。
何を今さら、この男は言っているのだろうか。
信じられない思いだった。
「ふふ……あっはっは! でもね、君との婚約は解消されていないよ」
「……え?」
「あんな口約束、誰も証人なんていないだろう?」
そんな……まさか、そんな理屈が通るのだろうか。
口約束……? そもそも婚約に書類などはあるのだろうか。
そもそも私が決めた婚約でもなければ、私が十一歳の時に、叔父が決めた婚約だった。
もしかして、何か書類の手続きが必要だったのだろうか。
いや、でも……
「いえ、証人がいます! あの時、一緒にいたメグがいますので!」
「ん? 一緒にいた平民か? たかが平民が、証人になるとでも思っているのか? ……くく、本当に君はおめでたいな。それで商会の代表をやっているなんてな。傑作だよ! きみは、僕の言うことに従った方がいい。その方が、エリザは幸せになるからね」
……まるで、私のことを何も分かっていない。
この男は、私がまだ、あの屋敷で震えていた頃のままだと思っている。
「私の幸せを決めるのは……あなたではありません」
私はそう言い、ジョッシュを睨みつけた。
ジョッシュも、私を冷たい目で見返している。
その場に凍りつくような空気が流れた。
その時、ダンスの音楽が変わった。軽快な調べが流れ始める。
「ちょうどいい。私たちも少し、踊ろうか? 私とは何回も踊ったろう?」
「……お断りします」
「懐かしいね、ダンスが下手な君のパートナーを務めるのも大変だったよ」
ジョッシュが立ち上がり、私の前に手を出した。
「……ダンスのお誘いはお断りしましたわ」
だが、ジョッシュの手が構わず伸びてきた。
ジョッシュが私の腕を掴んで、強引にぐいっと強く引っ張った。
座っていた私は、体制を崩して、前につんのめった。
「放して!」
私は力を込めて、ジョッシュの腕を振り払った。
ジョッシュが呆れたように、ため息をつく。
「こんな大勢のいる場所で、さっきから大声を出して。エリザは本当に躾がなってないようだね。まあいい。これから、君の躾は私の役目だ」
再び、ジョッシュに腕が伸びてきた。
その腕を伸ばしてきた場所は、私の腕でなく――私の首だった。
ジョッシュの腕をつかむも、その動きを止める事ができなかった。
掴まれる――そう思って反射的に目を瞑ってしまった。
……だけど、そのジョッシュの腕は、私を掴むことは無かった。
ふと目を開けると、誰かが横からジョッシュの腕を強く掴んでいた。
「何をしているんだ」
周りが、大きくざわつき始めた。
白い装束。金色の髪。その凛とした声。
ジョッシュの腕を掴んだのは、さきほど演説していた王子、フェリクス殿下だった。
こんな至近距離にいきなり王族が現れたことで、周りの皆も固まっている。
もちろん、ジョッシュも口を開けたまま硬直していた。
「すまないが、エリザ嬢には私が先約としているのでね」
フェリクス殿下がそう言った。
……今、私の名前を呼ばれた?
どうして、国の王子様が私の名前を知っているのだろう?
すると、フェリクス殿下がジョッシュを払いのけ、私の前に手を差し出した。
「エリザ嬢、私と踊って頂いても?」
困惑している私に、フェリクス殿下が小さな声で囁いた。
「僕に合わせて」、と。
え……? 僕? この声、この喋り方……知っているような……
「あ……はい、ありがとうございます……」
わけもわからないままフェリクス殿下の手を取ると、中央のホールまでエスコートされ、ダンスが始まった。
驚きと緊張で頭が真っ白だ。失礼のないように踊れているかどうかも、全く分からない。
だけど、殿下は私のぎこちない動きに合わせて、優しくリードしてくれているのが分かった。
この安心感、どこかで感じたことがあるような気がする。
王子様が私の目の前にいる。緊張で心臓が口から飛び出しそうだ。
誰か助けてくれる人がいないかと周りを見渡すと、なんと人垣の中に学院長が見えた。
学院長になんとか助けてを求めようと、必死に目配せした。
そして、学院長と目が合った瞬間、学院長は持っていたグラスを落として呆然としていた。
学院長は信じられないものを見るような顔で、口をパクパクさせて固まっている。
……そりゃ、まさか私が王子様と踊っているなんて、学院長も驚くだろう。
いや、もしかして私のダンスがあまりにも下手だったのだろうか。
音楽が終わり、フェリクス殿下が私の手を握ったまま、エスコートしてくれた。
そして、行きついた先は……まだ呆然と立ち尽くしているジョッシュの前だった。
フェリクス殿下が、冷ややかな瞳でジョッシュを見下ろし、静かに話しかけた。
「初めまして。私は第二王子フェリクス」
そして、殿下は私の手をきゅっと握りしめ、高らかに宣言した。
「エリザは、我が婚約者。君の無礼な行為、王族への侮辱として受け取るよ。……覚悟するがいい」
フェリクス殿下は、涼しい顔で、そう言い放った。
周囲の人も、ジョッシュも、大きな口をあんぐりと開けていた。
でも、その中で一番大きな口を開けて固まっていたのは、私だと思う。




