【第7話】屈辱の取引条件
ある日、わたくしは白鷺鉄工の応接室に呼び出された。
橘圭吾……かつての幼なじみは、まるで自分の城であるかのように、無遠慮に足を組み、ふんぞり返っている。
「いいかい?麗奈。君は白鷺鉄工そのものだ。つまり、会社を手に入れれば、君も僕のものになる」
ふざけた口調で、彼は言い放った。
まるで、わたくしという人間を会社の付属品のように扱って。
胸の奥が、怒りで煮え立つ。
しかし、わたくしは顔に出さない。
白鷺の名を冠する者として、どんな辱めも飲み込んで、涼しい顔を保たねばならない。
ただ、その場にいるもう一人の男……如月直人が、圭吾の無礼を見過ごすはずがなかった。
直人は、わたくしの側に立つ執事。
控えめな彼が、口を開こうとした、まさにその時だった。
「おや、庶民風情が、何か言いたげだね?」
圭吾は鼻で笑った。
「執事は主人の後ろにでも控えていればいいんだよ。余計な口出しは無粋だぞ、なあ?」
言葉の刃は、直人へと向けられる。
わたくしは、思わず直人を見た。
その顔は、無表情の仮面を貼りつけたように静かだった。
だが、彼の瞳の奥には、確かに……怒りの光が宿っていた。
(……やめて、直人)
心の中で祈る。
あなたが、わたくしのために無理をする必要なんて、ないのだから。
直人が黙っているのをいいことに、圭吾は挑発をする。
「そもそも白鷺鉄工の株を、僕に買い占められたのが悪いんだよ……まあ、無理もないか。僕は、あの『フェブラリー・ノート』様から、株取引の教えを受けたのだから!」
圭吾の言葉に、直人が反応する。
「……君が、『フェブラリー・ノート』から?」
圭吾は、直人が挑発にかかったとみて、饒舌に語り始める。
「くはははは!……君みたいな庶民は、『フェブラリー・ノート』様を知らないだろうね!……一代にして巨額の富を築いた、伝説の投資家。独自の情報網と本物を見抜く鋭い眼光……その投資は世界を変え、身震い一つで繁栄も荒廃も引き起こすという」
天を仰ぎ、崇拝するかのような圭吾。
しかし、直人に視線を戻すと、吐き捨てるように言う。
「その『弟子』である、この僕、橘圭吾を前にして、執事が出しゃばるんじゃない!」
しかし、直人は静かに一歩、前へ出た。
「……ならば、こちらも手を打ちましょう」
低く、抑えた声だった。
だが、その一言には、確かな威圧があった。
圭吾が一瞬だけたじろぐ。だが、すぐに取り繕うように高笑いを響かせた。
「はははっ、面白い。何ができるっていうんだ、たかが執事風情が!いいか、麗奈。君に選択肢はない。僕と結婚するか、白鷺鉄工を失うか。それだけだ」
勝者の余裕を漂わせながら、圭吾は立ち上がった。
そして、軽く手を振って応接室を後にする。
ドアが閉まった瞬間、空気がぱたりと静まった。
わたくしはソファに深く座り直し、長い吐息を吐き出した。
悔しかった。唇を噛み締める。
(選択肢は、一つだけ……?)
冗談じゃない。
わたくしはトロフィーなんかじゃない!
好きな作品を見て、好きな絵を描き、好きな小説を書く。
誰かに人生を決められるなんて、絶対に受け入れない。
静かに、隣に立つ直人に目を向けた。
彼は、どこか別人のように冷たい表情をしていた。
鋭く研ぎ澄まされた刃のような気配。普段の穏やかな彼とは違う。
「……直人」
わたくしは囁くように名を呼ぶ。
すると直人は、柔らかく、しかし確信に満ちた声で言った。
「安心してください、麗奈さん……これ以上、奴の好きにはさせない」
静かな決意が、その言葉の奥にあった。
「もしもし、蔵人さん?……今から言う株を、売買してほしいのだけれど」