【第6話】予兆と招かれざる来訪者
カツン、カツン。
硬質な音が、白鷺麗奈のヒールから小気味よく響いていた。
白鷺鉄工の本社ビル。
その応接間で、麗奈は、父である白鷺会長から報告を受けたばかりだった。
「……妙な動きがある」
父が告げたのは、株式の異変だった。
表向きには何事もないように見えるが、株主の一部が持ち株を手放し、それをどこかの誰かがじわじわと買い集めている……そんな報告だった。
麗奈は目を伏せ、わずかに眉根を寄せた。
(買い集め? そんな面倒なことを……)
白鷺家の血を引く彼女にとって、経営に不安要素が生まれるのは屈辱だった。
ましてや、誰が目的を持って自社株を集めているのかも分からない。警戒すべき事態だ。
コツ、コツ、と扉の向こうから軽い足音が聞こえる。
秘書がドアを開け、声を張った。
「お客様がお見えです。橘圭吾様です」
その名を聞いた瞬間、麗奈の背筋が凍った。
「通して」
麗奈はわずかに微笑み、完璧な貴族のような顔で告げた。
ドアが開き、一人の男が入ってくる。
浅黒い肌に端整な顔立ち。仕立ての良いスーツに身を包み、腕時計の輝きがいやに目を引いた。
橘圭吾。麗奈の幼なじみ。だが、今や大手コンサル企業に勤める「エリート」だった。
「麗奈、久しぶりだね」
圭吾は親しげに笑う。だがその笑みは、妙に作り物めいていた。
「……ええ、久しぶりね。こんなところまで、どんな風の吹き回し?」
麗奈は柔らかく応じる。
表面上は社交辞令の微笑みを浮かべながらも、腹の底では冷えた水が流れていくのを感じていた。
「実は、ちょっとした報告があってね」
圭吾は椅子に座ると、手を組んだ。
そして、さらりと言った。
「白鷺鉄工の株を、僕が買い集めてるんだ……驚いた?」
麗奈の心臓が一瞬だけ跳ねた。
だが、顔には出さない。彼女はきちんと微笑んだままだ。
「そう……ずいぶんと大きな買い物をしているみたいだけど」
「うん。もちろん、敵対的な意図はないよ」
圭吾は、気さくな口調で続ける。
「だって、僕と麗奈が結婚すれば……全部、君に返すことになるんだから」
軽く、冗談めかした調子だった。
しかし、麗奈には分かった。
この男は本気だ。
金と力で、彼女の未来を買おうとしている。
(最低……)
麗奈の心に、冷たい怒りが芽生えた。
自分の人生を、取引材料にするなどと。
だが、それを顔に出すことはない。
優雅に、しなやかに、白鷺家の令嬢として、麗奈は完璧に微笑んでみせた。
「……面白い提案ね。考えておくわ」
氷のような声だった。
それに気づかないのか、圭吾は満足げに笑う。
その姿を見て、麗奈は心の中で誓った。
(絶対に、あなたの思い通りにはさせない!)
窓の外には、どこまでも晴れた青空が広がっていた。
しかし、麗奈の周囲には、これから吹き荒れる嵐の予兆が、静かに満ち始めていた。