【第5話】君でいい。いや、君がいい!
放課後の図書室。
静まり返った空間で、ページをめくる音すらも耳に刺さる。
わたくし白鷺麗奈は、その日、彼を避けた。
だって、耐えられなかったのだもの。彼の正体を知ってしまった、あの瞬間から。
如月直人。
財閥・如月グループの御曹司にして、ありとあらゆる企業の後継者候補。
そんな人が、よりによって……掃除機を担ぎ、雑巾を持ち、わたくしの家をピカピカにしてくれたなんて!
「……庶民のフリをして、わたくしを……遊んでいたの?」
胸の奥で、ぐるぐると思考が渦を巻く。
彼は悪くない。頭では分かっている。
けれど、心が置いてけぼりのままで。
“今は庶民生活をしている”と彼は言ったけれど、それでも……やっぱり、距離がある。
わたくしの推しフィギュアに「おっ、これ限定カラーですね」と微笑む彼が。
ジャージ姿でゴミ出ししていた彼が。
今となっては、煌びやかなスーツ姿で取材に応じている未来が、ありありと思い浮かぶのだから。
なのに……
「……麗奈さん!」
勢いよく図書室のドアが開き、息を切らせた彼が飛び込んできた。
司書が驚いたように振り向くが、彼はお構いなしに、まっすぐわたくしの元へ。
「ねえ……ちょっと、静かにして……!」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
彼の手が、わたくしの肩をがっしりと掴んだ。
「君が避けるから、ずっとモヤモヤしてた。だから……全部言わせてもらう!」
「えっ……?」
彼は……直人くんは、わたくしの目をまっすぐに見て告げる。
「違う、違うんだよ。貧乏でも財閥でも関係ない。ボクは……君がいいんだ!」
その一言は、雷のように、わたくしの心に落ちた。
「君の変な趣味も、マニアックなコレクションも、突然暴走する情熱も、全部、ぜんぶ……含めて、好きなんだ!」
「……っ!」
わたくしは、思わず顔を覆った。
「うぅ、もう! なんてことを言うのよ、バカ……!」
たった一言で、心が解けてしまったのだ。
高嶺の花でいなきゃいけないと思っていたのに。
気高く、優雅にふるまっていたのに。
なのにこの人は、そんなわたくしの“ポンコツ”な部分すらも、愛おしいと言ってくれる。
「……本気、なの?」
「うん」
「わたくし、気が強いし、潔癖だし、すぐに語尾が“ですわ”になるんですのよ?」
「それがいい」
「ポテチの粉、綺麗に並べて保存してますのよ?」
「むしろ尊敬する」
「……変人ですのよ?」
「知ってる。だからこそ、君がいい」
わたくしは、ふっと息を吐いた。まったく、最後まで調子を狂わされる。
でも、こんなにも誰かにまっすぐに“好き”とぶつけられたのは……人生で初めてだった。
「……しょうがない人ですわ」
ゆっくりと、椅子から立ち上がって。
「なら、わたくしからも……返礼を」
彼の胸元に手を置いて、見上げた。
「恋人兼・執事として、末永くよろしくね?」
わたくしは、にっこりと笑ってみせた。
彼の目が見開かれる。まるで、最上級の宝石でも見つけたような、そんな顔。
その表情を見て、わたくしは確信した。
この人は、わたくしの全てを受け入れてくれる。
“お嬢様”ではない、ただの“白鷺麗奈”という存在を……心から愛してくれるのだと。
「は、はいっ! 精一杯お仕えいたします!」
「まずは、紅茶の用意ですわね?」
「かしこまりました、お嬢様!」
こうして……わたくしと彼の、少し不思議で、とっても素敵な日々が始まったのだった。