【第4話】貧乏人、財閥の御曹司とバレる
「しっ……信じられませんわ……」
わたくしは思わず、コンビニの裏手で腰を抜かしかけた。
リフォームが終わった部屋で、彼が淹れてくれた紅茶を飲みながら、推しフィギュアを眺めて幸せに浸っていたの。でも……
「ねえ麗奈。あの人……“如月グループ”の御曹司じゃなくて?」
いきなり現れたのは、わたくしの幼なじみにして、護衛兼付き人である天童瑠璃。
私立セレブリア学園の幼稚舎時代からの縁であり、家柄も気品も完璧な、いわゆる“本物のお嬢様”。
彼女の視線の先には……コンビニのイートインスペースで、ノートにぎっしりと数字を書き込んでいる彼の姿。
「ねえ、麗奈。あの姿、どこかで見たと思ったの。で、家に帰ってから調べてみたら……やっぱり」
瑠璃のスマホ画面には、あるニュースサイトの記事。
『次期当主候補の如月直人氏、留学から帰国。謎の庶民派ライフに注目集まる』
「き……如月、なおと……?」
わたくしはその名前を、思わず音読してしまった。
「わたくし、てっきり……貧乏人だと……っ」
こめかみに手を当て、震える足でコンビニの自動ドアを見つめる。
どういうことなの?
だって、彼は……ボロボロの作業着でうちに来て、雑巾を手に床を這いつくばって掃除をしていたわ。
埃まみれになりながら、棚を組み立てて。
ゴミ袋に囲まれても、笑っていたのに。
それなのに……
如月グループ。言わずと知れた、大企業連合。重工業から金融、不動産、ITまで網羅する、財界の怪物。
その御曹司が、よりにもよって!
「う、嘘でしょう……?」
ふらふらと、足が前に出ていた。
「あら、麗奈。落ち着いて。彼のことが気になるのは分かるけど、あんまり深入りするのは……」
「放っておいて!」
思わず瑠璃を振りほどいて、わたくしは店内に駆け込んだ。
「っ……あなた!」
「え? あ、麗奈さん?」
彼は相変わらずの笑顔で、コンビニのコーヒーを手にしていた。
小さな電卓と、几帳面な文字で埋め尽くされたノート。
そこに並ぶのは、日用品の支出、食費の内訳、バイト代の計算……完璧な“庶民の家計簿”。
「あなたほどの人が、どうして私の家を掃除してくれてたの……?」
一瞬の沈黙。
「……バレちゃいましたか」
彼は、ノートをパタンと閉じて、苦笑いを浮かべた。
「別に、隠すつもりはなかったんですよ。ただ……“御曹司”って肩書きで見られるの、あんまり好きじゃなくて」
「そ、それは分かりますけど……っ。わたくし、ずっとあなたのことを……てっきり、庶民だと……」
「うん。庶民だよ。いまはね」
「えっ?」
「如月家は家族経営だけど、いまは自分の力で生きている。バイトして、節約して……でも、それが良いんだ!」
彼の言葉は、変わらずにまっすぐだった。
あの掃除のときのように。
あの紅茶を淹れてくれたときのように。
彼の瞳には、わたくしの“肩書き”も“家柄”も映っていなかった。
「でも……悔しいですわ」
わたくしは唇を噛み締めた。
「あなたが、“わたくしですら手の届かない存在”だったなんて……悔しいですわ……」
わたくしの手は、あんなにも雑巾を握っていた彼の手に触れていたのに。
心は、もっとずっと近くにあると思っていたのに。
彼は、もう“執事”でも“掃除屋”でもなかった。
わたくしの知らなかった、別の世界の人。
「でも……でも、やっぱり許せませんわ。だってあなた……自分がすごい人だって知ってて、わたくしの部屋を掃除してたんですのよ?」
「うん。それはまあ……掃除は好きだから」
「もう……っ!」
わたくしは、顔を真っ赤にして、そのまま逃げ出すようにコンビニを出ようとした。
でも、最後に彼が言った言葉だけが、耳に響いた。
「家柄とか、金とか、関係ないよ。麗奈さんの“素の笑顔”が見られたなら、俺はそれで満足です」
ばか。そんなこと、言わないで……。
今のわたくしには、“庶民”のあなただって、手が届かないのに……!