第92話 九条先輩の胸の内 前編
「蒼真くん、時間は大丈夫かしら。少し話をしたいの」
九条先輩からのお誘いだ。バイトが控えているが、ここは行っておくべきだろう。
正直言えば先輩に少なからずの興味もあった。
それは、怖いもの見たさだったのかもしれない。けれど、自分でも確信は持てなかった。
怖い――でも、それだけじゃない。得体の知れない吸引力というか、人を惹きつけるカリスマのような何かが、この人にはあった。
「これからバイトがあるんです。でも、少しなら大丈夫ですよ」
「そう、良かった。そうね、すぐそこの公園でお話しましょう」
二人で学校から近くの公園まで向かう。辺りは赤から藍へと滲むように変わっていく、まさに逢魔が時。九条先輩と一緒にいると、正直肝が冷える。さすがに食い殺しはしないだろうけど。
「あら、どうしたの? なんか可笑しそうな顔をして」
三白眼で俺の瞳を覗き込む九条先輩。初めて会った時だったら心底ビビっていたと思う。
でも、慣れてきたのかもしれない。逆に彼女の美しさに今更ながら気づいたところもあった。
色白で眼力が強く、一見強面だが、すっと通った鼻筋に、控えめな唇。美しいセミロングの黒髪がこの時間帯にとても合っていた。綺麗な人だなって改めて思う。
ふと、優しい笑顔になる九条先輩。失礼ながら、そんな表情もできるんだなと思った。
「夏祭りで会った時はもっと怯えた顔をしてたわ。私と話す子は大抵そうなるんだけどね」
「自覚あったんですね。先輩はじっと覗き込むんでちょっと怖いです」
虚を衝かれたような顔をする九条先輩。
「私に面と向かって怖いって言えるなんてね。ちょっと驚いちゃった。ふふっ」
くすくすと淑やかに笑う九条先輩。空気が和らいだ気がした。
俺からも、聞きたいことは色々あった。
「あのLINEの猫ちゃんの事聞きたかったんです。あの子は九条先輩の飼い猫ですよね? 名前教えて下さい」
「可愛いでしょ。名前はクロって言うの」
「はは、まんまっすね。ちょっと面白いです」
九条先輩は飼い猫の話をしてくれた。保護猫で最初の頃はなかなか懐かなくて苦労したらしい。よく引っかかれていたそうだ。腕には少し傷が残っているのを見せてくれた。
「そんな猫に膝の上で香箱座りされるなんて、九条先輩頑張ったんですね」
「うん、嬉しくて何枚も写真撮っちゃった」
嬉しそうに話す九条先輩。その姿は年相応の可愛らしい少女のようだった。いつしか彼女への恐れも随分と感じなくなっていた。
「蒼真くん。正直貴方が怖かったの。私が初めて怖いって思った男の子」
「えー! そんな、俺は人畜無害ですよ?」
怖いって思ってた人から逆に怖いと思われていた。その事実に戸惑いを隠せない。
「本気でそう思ってるなら、別にいいけど――あの時、貴方止められなかったら殺人犯だったわよ? 少なくともそのぐらい本気に見えたわ」
あの時っていうのは俺が芝刈りバサミを振り回した時の話だろう。もちろん殺すつもりなんて全く無い。でも、傍目から見てたらそう見えたんだろう。
「ホント馬鹿なことしたと思ってます。先輩、すみませんでした」
深々と頭を下げる俺に九条先輩は前と同じようにそっと頭を撫でた。妙にくすぐったく、頭を上げるとなんとも面白そうな顔をしていた。
「そうだ、私が貴方の事を気になったきっかけの写真を見せてあげる」
そう言ってスマホを見せてきた。そこには中学時代、図書室で泣きながら勉強している俺の姿が写っていた。え、なにこの隠し撮り。恥ずかしすぎる!
「良い泣き顔でしょ。これが私の宝物。貴方の同級生が私に送ってくれたの。私が卒業した後の藤崎蒼真の近影ってね。頼んでもいないのに……。でも、この泣き顔は、私には、その、胸に刺さってしまったの……」
うっとりした表情を見せる九条先輩。
ああ、やっぱりこの先輩ちょっと怖い。
「ギャップ萌えって言うのかしらね。殺人鬼の目にも涙みたいな」
「ちょっと! それ酷すぎっすよ! 殺してないし!」
「ふふふ、ごめんなさい、ふふ、ふふふ」
妙にツボに入ってしまった九条先輩。
まあ俺の方も正直ギャップ萌えを理解しているところだった。
あんなに怖かった先輩のコロコロと笑う姿は、可愛い女の子にしか見えなかった。
人を見た目で判断している俺の未熟さを改めて痛感する。話せば分かることは想像以上に多いんだな。
問題はどうやって腹を割って話すべきか。その辺りが人と上手く付き合う事の難しさなんだろうな。
「正直LINEが繋がったのは良かったんだけど、異性の人とやりとりなんてしたことなかったから、手持ちの可愛い写真を送ったの。変だったかしら」
それで可愛い猫の写真か。ちょっと不器用な人だな、とも思った。
「あの写真は癒やされましたよ。結構楽しみにしてたし」
「それなら良かったわ。私も貴方の返信が楽しみだったし。……蒼真くんの泣き顔がまた見たいなって思ったんだけどね。LINEの君の返信みてたら段々そんな気にもならなくなってきたの」
「そ、そうすか……それは、よかったです……」
たまに怖いこと言うのが先輩流なんだろうな。油断すると色んな意味でドキドキさせられる。
「でも先輩、意外ですね。中学の時に彼氏がいたって言ってたと思ったけど」
途端に渋面になる九条先輩。ああ、やっぱりちょっと怖い。
「見た目が良くて成績優秀な私には告白も多くてね。面倒くさいから腕っぷしが一番強い子と付き合うフリでもしてれば静かになるかなって。貴方も身に覚えあるんじゃない?」
「そうすね……。実によく理解できます……。」
まさに俺と羽依の関係性と一緒だった。けど、九条先輩の方は恋愛にまで発展しなかったようだ。
「まあ失敗したわ。汚点になっただけだった。もうちょっと考えるべきだった。幸い、手すら握らせなかったけどね」
そう言って溜息をつく九条先輩。そして、意を決したようにこちらを向いてくる。
「貴方には謝らないといけないことはいくつかあるわ。一つは貴方が中学の時に孤立するように仕向けたこと」
「それに関しては俺が原因だし、正直実感もなかったので別にいいです。気にしてません。――他にもあるんですか?」
「雪代さんの事……って言えば分かるかしら」
――俺の聞きたかった事を自ら語ってきた九条先輩。
その真意は一体……。
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