第77話 真桜の弱さと強さ
深夜。みんな風呂を入り終え、各自部屋に戻っていった。
それぞれ楽しく過ごしてるのかな。俺はまだ眠れずにいた。
夏休みの終わりが近づいている。出会いや出来事の多かったこの夏を、ぼんやりと思い返していた。
特に気になっているのは、やはり九条先輩のことだった。
羽依に対するあの一件は、結果として悪質な行為のきっかけになってしまった。でも――あの結果が九条先輩の本意だったのかは、正直わからない。
悪意を持っての行為だとしたら、なぜそんな事を……。
悪目立ちしていた羽依に対する嫌がらせだったのか。
それとも――あまり考えたくないけど、俺と仲が良いってだけで狙われたのかもしれない。
もしそうなら、俺は彼女を守るどころか、傷つけるきっかけになってしまってる。だとしたら、最悪だ……。
九条先輩の「運命を感じる」って言葉が、今でも頭のどこかでひっかかって離れなかった。
九条先輩の言っていた生徒会選立候補の話は真桜にどう響いたのか。
真桜は俺たちの話を聞いたあと、静かに何かを考え込んでいた。
その時の表情もまた、引っかかって離れなかった。
あれこれ色々考えていたら喉が渇いた。水でも飲みに行こう。
廊下を通ると羽依の部屋から楽しそうな声が聞こえてくる。夏休みの思い出話に盛り上がっているんだろう。
「羽依、ダメっ、ダメだってば……! ああん!」
……。
……何も聞いてない。
リビングに降りると美咲さんが晩酌していた。タブレットで動画を見ながら楽しそうにけらけら笑っている。近づいてくる俺に気が付き、タブレットを伏せた。
「蒼真、眠れないのかい? 隣で羽依たちが騒いで眠れないなら文句言ってやろうか」
「いや大丈夫、喉が渇いたんで水飲みに来ました。二人とも楽しそうに騒いでるけど、俺の部屋に音は漏れてませんよ」
「そっか。この家、防音が結構しっかりしてるのよ。ほんと、いい家だよね」
美咲さんは優しく微笑んだ。今は亡き旦那さんへの思いが込められているような慈しむ笑顔だ。その儚げな表情に、相変わらず綺麗だなって思う。
「蒼真、寝付けないなら、はちみつ入りのホットミルクがいいよ。作ろっか」
「ああ、はい。じゃあお願いします」
自分でも作れるが、何となく甘えたくなった。そんな俺の気持ちを汲んでか、美咲さんが優しく微笑んでキッチンに向かった。
「はい、おまたせ。私もこれを飲んだら寝ようかね」
ホットミルクを持ってきてくれた美咲さん。テーブルに置いて俺の隣に腰掛けた。ほんのり甘い香りが立ち込める。温かい湯気に、ふーっと息を吹きかける。
「いただきます。――あ~、あったまるな~」
「夏は冷房で体が冷えるからね。意外と温かいものが欲しくなるんだよ」
優しいな、美咲さんは。――俺の母親とどうしても比べてしまう。
優しいころもあった母さんが、いつしか家庭を顧みなくなってしまった。
俺が何か悪いことをしてしまったんだろうか。父さんが辛く当たるからだ、とか。
色々考えてみたが、結局のところ、母さんの奔放な部分が元凶だったと思う。
大人になるにつれて、知らなくていい部分が知れてしまうのは、何とも苦い思いだ……。
「蒼真、また難しいこと考えてるね。ほらこっちきな」
ソファーで隣同士に座っている美咲さんに体を預ける。最近美咲さんに甘えっぱなしだな。そんな俺をとても可愛がってくれる。パジャマ姿の美咲さんの温もりが、ホットミルクと同じように温めてくれる。実の親のこと、新学期のことなど、漠然とした不安も全部溶かしてくれるようだった。
「――ゆっくり眠れそうです。ありがとう美咲さん」
「蒼真を可愛がるのは楽しいね。甘いもの飲んだ後だ、歯を磨いてから寝なよ」
ホントもう俺の母親そのものな気がしてくる。
言われた通り歯を磨いてから美咲さんにおやすみを告げ、部屋に戻ると……そこには布団にくるまった二人の美少女がいた。
羽依はいたずらっぽい表情で、真桜の顔は、――泣いた後のように見えた。
「蒼真~お母さんといちゃいちゃしてたね! 今度は私たちの番だよ、ほら、こっち来て!」
「蒼真、ごめんね。私が一緒に寝ようって言ったの。……夏休みが終わると思うと寂しくなっちゃって」
羽依は真桜に気遣って俺の部屋に来たのかな。真桜がセンチメンタルになるのは意外とは思わなかった。
クールな部分は俺と羽依の前では、あまり見せなくなっていた。
素顔はとても優しく情に脆い、普通の女の子だ。
俺が布団に入ると真桜が真ん中に来た。
「真ん中はローテーションだから。今日は真桜の番ね。熱中症に気をつけてね」
そう言って真桜にしがみつく羽依。恋人と離れて眠るのを許容する辺り、俺たちの関係性の特別さを感じる。
この関係はいつまで続くのかな。出来ればこの先もずっと続くと良いなって思う。
俺の手を取ろうとする羽依。そうすると必然的に真桜を抱きしめるような格好になる。真桜は俺と羽依の手をとり、鳩尾の上に持ってくる。かすめる柔らかい感触に心臓が跳ねるが、真桜は気にすることもなく、静かに目を閉じる。
「――私、生徒会選に立候補するわ」
静かに真桜が宣言する。
「真桜がそうしたいなら応援する。けど、九条先輩の事とか気にしちゃってるのなら、あまり賛成出来ないかな……」
「真桜、そうなの? 私はまだ真桜と遊びたかったから寂しくなっちゃうな……」
俺たちの言葉に真桜は頬を赤らめる。その表情は真剣さと柔和さが混じっていて、彼女の決意の固さを感じた。
「入学してから今まで、本当に楽しかったの! 仲のいい友達と笑い合って、遊んで、旅行して――中学では叶えられなかったことが、全部できた!」
楽しげに語るその横顔は、まるで光に包まれているみたいだった。どうしてだろう、胸の奥がじんわり熱くなる。
「中学時代は、周りに押し上げられて生徒会をやってた。でも、今は違うの。やりたいことが見えてきたの。大好きな学校を、そしてここにいるみんなを――自分の意思で、守りたいって思ったの。私と同じように、みんなも心から楽しめる場所にしたい。だからもう一度、生徒会長になって、本気でこの場所のために動きたいの」
「そんな事言われたら反論出来ないよう~……」
真桜の言葉は本心だとも思う。動機の本流はそれなんだろうけど、きっかけとなっているのが九条先輩の件だとすると、何とも苦みの残る結論に感じてしまう。
「真桜、しつこいかもしれないけど、九条先輩のこと気にしてる?」
俺の方をじっと見る。その目は何かを語っているようだった。
少し溜息を漏らす真桜。
「全く気にしてないって言ったら嘘になるわね。売られた喧嘩を買う気分なのも事実。さっき言ったことも本当。動機なんて複数あって決まるものでしょ。自分の好きな場所を守りたいの。わかってくれるかしら」
俺と羽依の繋ぐ手に力が籠もる。真桜の本来の力が伝わってくるようだ。優しく情に脆い、けれど誰よりも強い。それが真桜だった。
「――もし立候補するなら、全力で応援するね」
「私も、何がやれるかまだわからないけど、頑張るね!」
「ありがとう、二人とも大好き!」
真桜の決意は揺るがなそうだ。
だったら俺に出来ることは何でもやりたい。
羽依と一緒に全力で応援しようと決意した。
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