第31話 深いキス
美咲さんとの晩酌を終え、歯を磨き寝支度を済ませた。
「美咲さん、明日は俺が朝ご飯作りますよ。おやすみなさい」
「ありがとう。じゃあのんびり寝かせてもらおうかな。おやすみ蒼真」
美咲さんが笑顔で手を振り、ゆっくりと部屋に戻っていった。なんかみっともないところ見せてしまったけど、美咲さんの懐の深さに思いっきり甘えてしまった。すごく暖かかったな。
部屋に入ると羽依がベッドで寝ていた。
一緒に寝る度に俺の寝相の悪さで迷惑をかけていた。無自覚なだけに我ながら質が悪い。今夜は何事も起こりませんように。
羽依の方を見ると……壁を向いて――小さく肩を震わせていた。
時折、鼻を啜る音が聞こえた。
「羽依、起きてたんだ」
「ごめんね蒼真、お母さんとの話……聞いちゃった」
涙声でつぶやき、壁を向いている羽依。その頭にそっと手を伸ばし、髪を撫でた。
「私、蒼真のこと何も知らなかった。自分のことばかりだった。なんか情けなくなって……」
羽依は俺の方を向いた。ずっと泣いていたのか、羽依の顔は、泣きはらして目が腫れぼったくなっていた。見ているだけで、心がぎゅっとなった。
そっと羽依を抱き寄せ、俺がしてもらったように胸に沈めた。しばらく羽依は泣き続けていた。
「羽依もずっと辛い思いしてきたんだからさ、それに俺も人に言いたい話じゃなかったし」
「……お母さんには言ったじゃない」
ちょっとふてくされたようにつぶやく羽依。やっぱり寂しかったのかな……。
羽依の頬を伝った雫をそっと拭う。俺の痛みが、そのままこの子に流れ込んでしまった気がして、胸が詰まった。
「帰る家が無いってところまで聞いてたんだけどね。そこからもう辛くなって、この部屋にきちゃった。――辛かったね蒼真」
「話はそれで全部だよ。まだ美咲さんに言ってないこともあったけど。今は父親が親権を持ってるんだ。でも、愛人と、その間に出来た子と暮らしてるからさ。そこに入る気もないし、こられても困るって。――これで俺の話は終わりだよ」
「……勝手だね。だから援助にも頼りたくないんだね」
「うん。親子の縁を切りたい訳じゃないんだけどね。ただ、当てにして馬鹿を見るのはもう嫌だなって」
羽依が俺の寝間着に顔を擦り付ける。体に腕を回しぎゅっと抱きついてくる。暗い部屋に羽依のすすり泣く声だけが響いていた。
俺のためにこんなに泣いてくれる。それが嬉しいよりも申し訳ないと感じているのは――たぶん、俺自身が少し吹っ切れたからかもしれない。
地元を離れて良かった。羽依と出会えて本当に良かった。
……。
「蒼真の匂い、すごく好き。なんかね、体がふわふわしてくるの」
「え、また匂う? なんかやだな……」
「臭いって言ってない! 好きなの。わかってよ……ばか」
羽依の可愛く言う”ばか”が愛おしすぎた。
羽依の頬にそっと手を添える。俺のために流した涙の跡が、まだほんのり熱を帯びていた。
腫れた瞼にそっと唇を触れさせる。
そのまま、頬へ、鼻先へ――愛しさの導くままに、静かに口づけを重ねていった。
羽依がそっと唇を開き、俺の中へと入り込んでくる。
初めての感触だった。体が急激に熱を帯びる感覚。多幸感。正直、親のことなんて、今はもうどうでもよかった。今、眼の前の娘が愛おしすぎる。
すごい。キスだけで人はこんなにも幸せになれるんだ。羽依は離れることなくずっとキスを続ける。濃密な時間が過ぎていく――。
「んふ、大人なキスしちゃったね」
羽依はのぼせたような表情で、照れ隠しにささやく。
「うん、なんかすごく気持ちよかった」
「気持ちよかったって、――なんかエッチだね」
言いながら布団を頭から被る。自分の言葉でさらに恥ずかしくなってるみたいだ。可愛すぎだろう。
「羽依、寝ようか」
「うん、おやすみ蒼真、最後にもう一回キスしよう?」
深いキスを交わしながら、静かに眠りについた
……。
――チュン、チュン。
……朝だ。時計を見ると、そろそろ起きても良い時間だった。
羽依はまだ、すやすや寝ていた。よかった、今日は寝相が悪くなかったようだ。さすがに4回目だからな。俺えらい。
俺が動き出したのに気づいたのか、羽依が起きた。
「おはよう……」
なんか憮然としたような表情だ。寝起き悪い子だったっけ?
「おはよう。まだ寝てても大丈夫だよ」
「蒼真、私にしたこと覚えてないんだね……」
「え?今朝は何もしてなかったと思ったけど……してた?」
羽依は、とたんに熟れたトマトのように真っ赤な顔をして口を尖らせる。
「したよ。……ちょっと乱暴だった」
「ええええ! ごめん、ごめんなさい! 俺なにしたの?」
羽依は目をそらし、言葉を探すように口ごもった。
「……蒼真は私をお嫁さんにしなきゃ駄目だと思う」
「……。」
俺、何したんだああああ!
どうにか羽依を宥め終え、朝食にとりかかる。
羽依も張り切っているので、一緒に作ることにした。
だし巻きたまご、しらすと大根おろし、鮭の湯引き、白菜としめじと豆腐の生姜入り味噌汁。
美咲さんの二日酔いを考慮に入れたメニューだ。羽依が白菜としめじを切り分ける。
以前うちで包丁の練習をした羽依。あれから練習してたんだろうなと思うと、感動してしまった。
「上手に包丁使えてるね」
俺の言葉に羽依が一面に満悦らしい笑顔で頷く。
「蒼真のおかげだね! なんか楽しくて、色んなの切ってるよ!」
「あはは、……指は切らないでね」
油断しちゃいそうなのがちょっと怖かった。
「おはよう二人とも、いい匂いじゃないか」
美咲さんが起きてきた。髪の毛ぼさぼさで目元はどんより。如何にも二日酔いな風貌だ。
「おはよう美咲さん、丁度朝ご飯できますよ」
「おはようお母さん、寝起き乱れすぎだからね。蒼真いるのに油断しすぎ」
「うるさい子だねえ……、お、なんだか胃に優しそうなメニューだねえ」
「二日酔いに効くメニューを意識しました」
羽依と美咲さんが「おおー」と感心する。
「このメニューにそんな意味があるなんてびっくり。ほんっと女子力高いね。むしろお母さん?」
「蒼真、やっぱりこの家に住みな。私を世話しておくれ」
なんか引っかかる褒め言葉だなあ。
味噌汁の出汁の香りに、生姜のほんのりとした刺激が混ざり、なんとも言えない食欲をそそる香りとなる。さあできあがりだ。
みんなで「いただきます」と、朝ごはんを食べ始める。
「朝からしっかりと和食って何か嬉しいね~」
羽依がニコニコ顔で美味しそうに食べる。
「酒のんだ次の日なんてあまり食べないけどね。これなら入るよ」
二日酔い気味の美咲さんも、しっかり箸を進めてくれていた。
「蒼真、今日はこれから真桜の家?」
「一応そのつもりだよ。せっかくの機会だし、ああいう武道ってやったことないけど、なんかちょっと面白そうだなって思ってさ。……それに真桜、マジですごいんだよ、びっくりするくらい強くてさ」
「へえ~。真桜ってオーラあるものね。やっぱり実際強いんだ」
羽依も感心した様子だ。美咲さんが興味深そうにしながらお茶をすすり、俺に向く。
「なんだい蒼真、武道なんて始めるのかい?」
「はい、同級生の家が道場やってて。結城神影流って古武術らしいですけど」
「ブフォッ!」
美咲さんがお茶吹いた。
「ああびっくりした! 蒼真、私の弟弟子になるんだね。結城先生によろしく言っておいて。たまには店に遊びに来てってね」
「え、お母さん理事長知ってるの? 初耳なんだけど!」
「ああ、言ってなかったね。私の恩人だよ。この店を再建するときもとてもお世話になったんだ」
羽依は何かとても感動してる様子だ。
「お母さん、いつも話してる真桜って理事長の孫なんだよ」
「そうなのかい!? じゃああんたたち、小さい頃に会ってるよ。一緒に絵本読んでたね」
「えーー! すごいすごい! 真桜と私、幼馴染だったんだ!」
羽依は感極まり、もう泣き出しそうなほど感動していた。
偶然なのか必然なのか。
世間って狭いなあ。




