第29話 優秀なバイトの先輩
バイトの時間になったのでキッチン雪代へ向かう。徒歩5分でバイトに行けるのはとてもありがたい。それが愛しの彼女ちゃんの家というのだから俺はとてもツイてると思う。
お店の開店は17時からだけど、バイトの開始は何時からでも良いという美咲さんのありがたいお言葉。でも、それに甘えてはいけないよな。なるべく早く行って仕事を覚えなくては。
「覚えてほしいのは、うちのメニュー、掃除、仕込みの手伝い、ウェイター、皿洗いにその他雑用。あと、 包丁使えるんだってね?」
美咲さんの質問に俺は思わずニヤけてしまう。ふっふっふ。俺の得意分野だ。
「お、自信ありそうだね、じゃあこのキャベツを千切りにしてもらおう」
「わかりました、では早速」
プロ仕様の包丁だ。重量感があって、握り心地がしっかりしている。
手元のキャベツは、よく冷えてシャキッとしていた。俺はまな板の中央に芯を下にして立てると、深呼吸ひとつ。
「いきます……」
スッ、スッ、スッ――
包丁がリズムよくまな板を叩く。薄く、均等に、ひたすら細く。
最初はちょっと緊張したけど、刃が吸いつくように入っていく感覚に、だんだん心地よささえ覚えてくる。
俺の動きを見て、美咲さんが「へえ……」と声を漏らす。
羽依も「蒼真すごいね! 」と顔をほころばせ喜んでいる。
千切りになったキャベツは、ふわっと盛られてまるで花のよう。
俺は包丁を置き、胸を張って振り返る。
「どうですか?」
「やるじゃないか! 私より細く切れてるね。ご実家とんかつ屋さん? これなら十分お店に出せるよ!」
美咲さんは弾けるような笑顔で、とても嬉しそうに俺を褒めてくれた。
「じゃあ次は配膳のやり方だね。蒼真、こっちきて」
羽依はエプロンの裾を軽く整えると、キリッとした表情でテーブルに向かった。
「はい、それじゃあ基本の配置からね。まずフォークとナイフは――」
羽依はテーブルの左にフォーク、右にナイフを丁寧に並べながら説明を始める。
「フォークは左手で使うから左側、ナイフは右手だから右側。刃は内側に向けてね。これはお客さんに対して攻撃的にならないって意味もあるんだよ」
なるほど……。なんか羽依、すごくそれっぽい。
「で、次はお皿の置き方。基本は中央にまっすぐ。メインディッシュがあればそれが中心。パン皿は左上、水やワイングラスは右上に並べるのが基本形」
そう言いながら、羽依は仮のお皿とカトラリーを使って、テーブルセッティングの完成形を見せてくれる。
「ちゃんと整ってると、それだけで“このお店、しっかりしてるな”って印象になるからね。おもてなしの第一歩なんだよ」
真剣に話すその顔は、普段の羽依とはちょっと違っていて――
先輩としての彼女、すごくかっこよかった。
「分からないことあったら何でも聞いてね!」
「ありがとう、羽依、なんか格好良いね」
「そうかな、――蒼真も一生懸命仕事覚えてる姿、格好いいよ」
お互い見つめ合い照れたように笑い合う。
こんな甘い空気の中でバイトできるのは幸せかもしれないなあ。――いかん、気を引き締めないと。
その頃、キッチンから立ち上るチャーハンの香ばしさが鼻をくすぐる。ごま油の香りと、少し焦げた卵の風味。そこに焼けたご飯の香ばしさが重なって――もうこれ、間違いなく美味しいやつだ。
「ほらバカップル、さっさとまかない食べな!」
美咲さんが呆れつつも、笑いながらまかないを作り終えていた。
今日のまかないはチャーハンだ。なんか肉がいっぱい入ってる。レタスに撒いて食べるのが良いみたい。
「すご、うまい! 洋食屋さんでチャーハンとはびっくり」
「洋食屋さんだからこそだよ~。毎日お店のメニューじゃ飽きて死んじゃう」
なるほど。それにしても、美咲さんの料理の腕前はやっぱりすごい。このチャーハンのパラパラ具合といい、味付けといい、中華料理店でも人気メニューになりそうだ。
ここでバイトしてたら俺の料理スキルもかなり上達しそうだ。テンション上がるなあ。
お店の開店時間がやってきた。すでに表で待ってる人がいるのはさすが人気店って感じだ。店内はあっという間に満席になる。
「いらっしゃいませ~!」
声に出して「いらっしゃいませ」を言うのは、慣れないとすごく照れるんだな。
美咲さんも羽依も声のトーンがとても綺麗だ。これだけでも入店時の満足度は跳ね上がると思う。美人親子のブースト付きだ。さらに料理がうまいとなれば、この行列も……って、行列すごくね? 表に伸びる列に、ちょっとひるむ。都内の人気店はすごいな……。
お店はカウンターが7席とテーブル席が6つほど。広い店ではないけど、一人で回すには相当大変なはずだ。
「はい、ご注文繰り返します。ハンバーグ定食が一つ、生姜焼き定食が1つ、エビピラフが1つ、コーヒーは食後ですね。かしこまりました。少々お待ち下さい」
たどたどしさなどなく、明瞭ではきはきしている。学校でのほわほわ感など欠片もない。羽依はすごいなあと改めて尊敬した。
……。
嵐のような時間が過ぎ去った。お店が静けさを取り戻し、閉店後の後片付けを始めた。
「いや~……この店すごいね。 人気店の忙しさを思い知ったよ……」
「すぐ慣れちゃうよ。蒼真は初めてやったこと多かったのに頑張れてたと思うよ」
羽依が労うような優しい微笑みを向けてくれた。
「そうかな……。もっとテキパキ動けるようにならないとな」
美咲さんがおしりをパンと叩いてくる。ちょっと痛い。
「蒼真、随分頑張ったじゃないか、よかったよ! これからもよろしくね」
美咲さんがはち切れそうな笑顔で俺をねぎらってくれる。これだけで疲れも吹き飛ぶようなご褒美だった。
それにしても美咲さんも羽依も全く疲れを見せてない。この二人すごいタフだな。
「昼は美咲さん一人なんですよね? お店大丈夫なんですか?」
「ああ、うちのお客さんはね、みんな待ってくれるんだよ。でも仕事時間もあるからあまり待たせちゃ悪いからね。メニューもランチ限定で回してるんだ。」
「このお店のお客さんはお母さんのファンばかりだからね。あと自称子分とか」
美咲さんは声をあげて笑った。
「まったく、あいつらが勝手に言ってるだけだよ」
そう言いながらも、どこか楽しそうな口ぶりだった。
「ほんと、面白い人たちばかりだよ。ありがたいよね――こういうつながりってさ」
お店の雰囲気がとても明るくて楽しそうなのはきっと美咲さんの人柄が大きいんだろうな。
クタクタなのに、どこか心は満たされていて――
少しずつ、この場所に、俺の居場所ができてきた気がする。




