第260話 ボーダーラインを超えて
「ううっ……やっぱ家の中はあったけえな……すまねえな、蒼真……」
「つうかお前、その格好じゃ死ぬぞ?」
隼は学校の制服のまま、上掛けすら着ていなかった。
デザイン重視のブレザーは、見た目はいいが寒さには無力だ。
今の気温、3℃……バカなのか。
「さっきまでは大丈夫だったんだけどな。夜はやっぱさみいや……」
玄関ホールで立ち話をしていた俺たち。そこに姉さんがやってきた。
「サッカー部の高峰くんよね。こうして話すのは……初めてかしら?」
やや訝しむような目で隼を見つめる。歓迎しているとは言えない硬い表情だ。
「そっすね! 会長、今日はホントすんませんっす」
まったく悪びれもせず、人懐っこい笑顔を浮かべる隼。
姉さんは表情を幾分和らげた。
「蒼真くんの頼みだからね。よかったわね、頼れる親友がいて」
少しトゲのあるように聞こえる遥さんの声。もっとも学校ではいつもこのテンションだと思う。
しーちゃんもひょっこりとリビングから玄関ホールに顔を覗かせる。
「隼くんこんばんは。女性のうちに泊まらせてくれなんて、普通なら重罪だからね!」
「うお……なんで志保さんがここに……」
「遥さんの家庭教師をしてくれてるんだ。今日は志保さんも泊まるからな」
隼は大きく目を見開いた。
「まじかー……蒼真、お前すげえな……」
「別に俺はすごくねえよ。全部遥さんの人徳だ」
「いや、そういうことじゃあ……まあいっか」
そう言って隼は姉さん達に向き合った。
「とりあえず今晩だけでもありがたいっす! よろしくお願いします!」
その言葉に姉さんはふっと笑みを浮かべた。
「高峰くん。体が冷えてるなら先にお風呂でもいかが?」
「さーせん! じゃあいただきます!」
仕方がないので風呂場に隼を連れて行く。
脱衣所で遠慮なしに脱ぐ隼。その体は同じ高校一年生とは思えないほど仕上がっていた。
「すまねえな、蒼真」
「……それってこの家に泊めたことか?」
「ああ、それ以外の何物でもない」
そう言って、そっぽを向く隼。
「……チッ。今晩だけだぞ」
隼は「はいよー」と軽い調子で風呂に入った。
まるで何事もなかったように接してくる隼に、なぜか無性に劣等感を覚える。
(やっぱあいつみたいなのが物語の主人公だよな……そして俺はただのモブと)
明るく誰にでも優しい。それでいて破天荒なキャラだ。
真桜だって、本当は俺なんかよりも隼のほうが好きだったのかも知れない。
(こんなんじゃだめだっ!ちくしょう……どうしても考えが捻くれる……真桜、ごめん……)
一瞬でも真桜の想いを疑ってしまった。やはり俺は彼女を愛する資格などないのだろうか。
そんなことを考えていたその時――。
「やっぱり俺なんかよりあいつのほうが真桜にふさわしいんだ」
「ひゃああ!」
突然耳元で囁かれて死ぬほどビビった。
「しーちゃん!? 何言ってんの!?」
「うん? そーちゃんの心の声。顔見れば分かるよ~」
風呂場の前でぼーっと考えごとをしていたところに不意打ちを食らった。
「ほら、ご飯の支度だよ。働け、召使い!」
「……そうだね。姉さんに任せっぱなしだった」
「え? 姉さんって?」
――ばかばか! 何言ってんだ俺っ!
気が緩んでいた。人前では絶対漏らしてはいけない秘密を、自ら口にしてしまった。
訝しむ目で俺を見つめるしーちゃん。
「そーちゃん、私の目を見て」
じっと目を合わせられた瞬間、背筋にひやっとした感覚が走った。
捕食者に睨まれた小動物みたいに、体が勝手に固まる。
「えっ……やだよ、しーちゃん怖いってば」
「じゃあ目をつぶれば?」
深く考えず、言われるがまま目を瞑る。
「チュッ」
唇にふれる柔らかい感触に心臓が跳ねた。
「ちょっ! しーちゃんっ! いきなりなにすんの!?」
「元気がでるおまじないだよ?」
そう言って、またも俺をじっと見るしーちゃん。眉根を寄せて心配そうな表情をしている。
「え……あ……その……ごめん」
「自分で思ってる以上に酷い顔してるんだからね?」
「そっか……これじゃあ遥さんも心配しちゃうね」
「そうそう。さあ、手伝いにいこ?」
そうして俺たちは夕飯の支度を手伝う。といっても遥さんがほぼ準備を終えていた。
ほどなくして隼も風呂から上がった。不本意ながらも俺のオーバーサイズのスウェット上下を貸してやることに。
四人でテーブルを囲み、夕食を始める。
なんだか奇妙な面子に思えてしまう。共通点は同じ学校ってぐらいか。
「いただきまーす!」
テーブルには肉じゃがと味噌汁、それに小鉢がいくつも並んでいる。ちょっとした旅館みたいだ。
「うんまっ! これ全部会長が作ったんっすか!」
「ええ、そうよ。ご飯もいっぱい炊いたから、たくさん食べてね」
「隼くんは相変わらずの食べっぷりね~。なんだか見てるだけでお腹いっぱいになりそう」
「そりゃなにより。志保さんのダイエットのお供に是非どうぞ!」
「あはは、じゃあそのときはお願いね!」
隼の明るいキャラで食事も和やかな雰囲気だ。その中でただ一人、俺だけが仏頂面で食べていた。
もっと味わって食え、声がでかい、姉さんたちもすんなり受け入れるな。
隼の一挙一動が癇に障り、姉さん達にもその気持ちが飛び火していた。
――俺は弱い……弱すぎる……。
「いやあうまかったっす! ごちそうさま!」
どんだけ食うんだこのバカ。おかわり五杯は遠慮なさすぎだろ。
「ふふ、運動部の子はすごいわね。蒼真くんも体は鍛えてるけど、運動部とかは興味なかったの?」
「……苦手なんですよ、団体競技とか」
「ちっちゃい頃のそーちゃん、いつも一人で遊んでたよね~」
「蒼真は気を使いすぎなんだって! もうちっとテキトーでいいんだよ!」
「逆にお前は使わない……ってこともないしな。器用さが足りないんだろうな……俺は」
「そーちゃんは不器用なのかなあ。料理はすごく上手なのにね」
しーちゃんのフォローが妙に切なく感じた。
俺に話題が移るのは嫌なので、一旦仕切り直そう。
「……飲み物を淹れてきますね。みんなは何飲みます?」
全員コーヒーで一致した。長い夜になりそうだ。
キッチンでコーヒーをドリップする。立ちのぼる芳しい香りに癒やしを感じた。
リビングはなんだか妙に盛り上がっているようだった。
「でさ、そーちゃんが体を拭いてくれたの。全身」
「まあ、全身!? まあ! まあ!」
「すげえなあいつ。それで?」
「色んなところを丁寧に拭いてくれたんだけどさ、さすがに綿棒は……やりすぎだと思うんだ……すごく恥ずかしかった……」
「綿棒!? まあ! まあ!」
「まじか……何したんだあいつ……」
どうも先日の清拭の話をしーちゃんが語っているようだ。
――なんでみんなに詳細をバラすかなあ……。
「お待たせ、はい、コーヒー」
「蒼真くん。あとでゆっくりお話しましょうね」
「あ、はい……」
こめかみに血管を浮かべて笑顔を作る姉さん。マジ怖い。
「蒼真、やっぱお前すげえよ」
「ああ? お前のほうがすげえよ。なんだよその強メンタル」
「あは、コーヒーも来たことだし、そろそろ本題に入りたいよね~」
そう言ってしーちゃんがにこやかにコーヒーをそっと一口飲む。
「私もすごく気になってたの。どうして高峰くんは蒼真くんを頼ってきたのか。聞いてもいいかしら?」
姉さんは興味深そうに、隼へ視線を向ける。
しーちゃんも静かにカップをテーブルへ置き、そのまま隼を見据える。その視線には妙な圧があった。
「隼くんなら、泊めてくれる子くらい他にもいたよね? 部活仲間でも、クラスの子でも。なのによりによって……恋敵。今日揉めた相手の家。──ねえ、なんで?」
突然始まった尋問タイム。隼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
この二人を相手に、ただで済むはずがなかった。




