第250話 美咲さん
「……美咲さん、ちょっと話が……」
「うん? なにか相談かい?」
「相談っていうか……言わなきゃいけないっていうか……」
「ふうん? 」
美咲さんは俺の顔を見て目をぱちくりする。そしてなぜかニヤッと口角を上げて悪戯な表情を浮かべた。
「じゃあさ、たまには一緒に風呂でも入ろうか! 」
「へ? あ……じゃあ、入り……ます」
またもや目をぱちくりさせた美咲さん。
「なんだか重症だねえ……よし、美咲母さんが背中を流してやるよ!」
ふと我に返る。
これから言うことに頭がいっぱいで、一緒に風呂に入るということが大事件と気づかなかった。
先に入ってろと言われたので、風呂場に入りかけ湯をする。
その後すぐに美咲さんが入ってきた。
俺の知る女性の中でもっとも美しい人と聞かれたら、迷わず美咲さんと言う。女優だってこんなに綺麗な人はいないと思う。
そんな人が俺の目の前で、ありのままの姿だ。
だが、母親枠だと思えばなんてことはない。そのはずだ。
「あは、そんなじっくり見るんじゃないよ。 ほら、背中を洗うから前を向いて!」
「ああ、ごめんなさい……つい見惚れちゃって……」
「可愛いこと言うねえ。――別にほら、初めてってわけじゃないんだし。一緒に温泉入った仲だろ?」
「だからって……慣れるもんじゃないですよ」
「あは、そっかそっか」
タオルにボディーソープをつけ、俺の背中を洗い始めた。程よい感触がなんとも言えず心地良い。立ちのぼる香りに高級感が漂っている。
「それにしても――いい体になったねえ。しなやかに動けそうな、強い男の筋肉だ」
「そう見えます? 美咲さんに言われると実感湧きますね」
「ああ、いや、別に色んな男の裸を見てきたわけじゃないよ? 」
なぜか慌てた美咲さん。
「――ただ、わかるんだよ。“こいつは強いな”とかね」
やはり結城神影流歴代最強は伊達じゃないようだ。実際、彼女の強さは何度も目の当たりにしている。きっと俺なんて秒殺だろう。
「さすがは我が姉弟子です!」
「ふふん、じゃあ弟弟子、こっち向きな! 前も洗ってあげるよっ!」
「え……いいんすか……じゃあお願い……します」
そう言って前を向く。
俺の体を見た途端、目が点になる美咲さん。
「やっぱ前向いておくれ……その……ごめん……」
「はい……」
ほんの少し気まずさが漂う。
――だって……仕方ないじゃないか……。
次に美咲さんの背中を洗う。
ふと思い出すのは背中の古傷だ。子供の頃に虐待されていたという美咲さんの話は今でも忘れられない。
ただ、今はその傷跡は見えず、綺麗な背中だった。
「古傷……わからないですね。すごく綺麗な肌です」
「あ~、不思議なもんでね、温泉だと浮かんでくるんだよ。血行よくなるせいかねえ」
妙に照れくさそうに美咲さんが言う。
体と髪を洗い終え、二人で湯船に正面で向き合うように浸かった。
広めな浴槽とはいえ、さすがに体はあちこちぶつかる。
こんな状況で深刻な話をするのもいささか抵抗を感じるが、包み隠さずという意味ではうってつけなのかもしれない。
「さて、じゃあ話を聞こうじゃないの」
真剣味のある美咲さんの言葉に息が詰まりそうになる。
正直美咲さんが怒り狂ったらと思うと……。
泣きそうな気持ちをぐっと堪えて、勇気を振り絞った。
「実は……」
緊張で喉が乾いたのか、呼吸が詰まる。
「実は俺……羽依と同じぐらい、真桜が好きなんです」
――ついに言ってしまった。もう後戻りはできない。
「……ん」
軽く頷いた美咲さん。肌が赤みがかっているのはお湯のせいなのかそれとも……。
「それで、今は……二人と付き合ってます」
「ほう……それって言うのは……二股ってこと?」
声のトーンが少し低くなった気がした。でも、表情は穏やかなままだった。
「……なんて言えば正解なのか、俺にはわかりません。けど、“新しい関係”なんて言ったりしてます。俺たち三人が等しく好きなんです」
しばらくの間、静寂に包まれる。
怖くて目を逸らしたいが、勇気を振り絞って美咲さんを見据える。
この浴室には、逃げ場なんてどこにもない。今さらそんな当たり前のことに気づく。
そして彼女が口を開いた――。
「……ポリアモリー」
「はい? ポリ? ……なんですか?」
「その関係っていうのはね。ポリアモリーって世間では言うんだよ」
俺の知らない言葉だった。美咲さんは色んなことを知っているんだなって思った。
「――まったく……そんなのも知らないで、そういう関係に行き着いたんだ……」
「ごめんなさい……正直誰にも相談できないことだから、俺は異常なんじゃないかってずっと考えてました……」
「そりゃ私には言いづらいだろうね。羽依の母親なんだから。つうか、よく言えたもんだね。よっぽど勇気が必要だっただろ」
「はい……きっとお湯の中じゃなかったら今頃がたがた震えてました……お風呂で助かったかもです」
「あは、今だって声が震えているじゃないか。このおバカ」
そう言って俺をぎゅっと抱きしめる美咲さん。その意外な行動に心底びっくりした。柔らかい素肌が触れ合い、なんともくすぐったいし恥ずかしい。でも、とても心地いい――。
「その……怒らないんですか? 浮気者とか、恩知らずとか……」
「そうだねえ……私に告白するってのは悩みもしたろうし、苦しかっただろ。それがすでに罰じゃないか?」
「罰……だったんですかね……」
「ああ、それに私には罪なんて思えない。だからもういいんだ。蒼真」
「美咲さん……」
こんなに理解されていいのかという疑問が湧いてくるほど、美咲さんはあっさりと受け入れてくれた。
「まあ正直言えば知っていたよ。羽依から聞いてたからね」
「え……? 羽依が?」
「もっとも羽依はまったく悪びれてなかったよ? その点から言えばあの子はやっぱり特殊なのかもねえ」
「羽依は……なんて言ってたんですか?」
「蒼真と同じぐらい真桜のことが好きになっちゃったってさ!」
「……マジっすか?」
「マジマジ。おまけに真桜と蒼真も好き同士ってね。まるで良いニュースを聞かせるみたいに言うんだよ、あの子」
「それで……美咲さんはなんて返したんですか?」
「あらよかったね! でオシマイだ」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ」
「~~~!」
羽依にはかなわない。改めてそう思った。そして美咲さんにも――。
「ただね、大人の私から見ればそれはただの火遊びだ。まともな恋愛になんて思えない」
「です……よね」
「でもね」
美咲さんの表情がより一層真剣になる。
「蒼真が私に告白したこと。これで私も認識を変える必要がでたわけだ。どうやらみんな本気なんだね」
「はい。俺はこの関係をずっと続けていきたい。ただの火遊びなんかじゃなくて、みんなに認めてもらいたい。そう思いました」
俺の言葉に美咲さんが困ったように眉をさげる。
「三人の中だけで楽しむだけでもいいんじゃないか? 別に認められる必要なんてないだろうに……」
とても真っ当な意見だと思う。むしろ譲歩すらしてくれている。暗に三人の関係を認めてくれたのだから。でも――。
言葉を探す俺に美咲さんは深い溜め息を漏らす。
「これから先、苦しむのは蒼真自身だ。果たして世間は理解するだろうか? 籍は? 家計は? 子供が出来たら? 考えることなんていくらでもある」
いきなり現実味のある話に面食らう。認められることぐらいしか考えていなかったのだから。我ながら考えの浅さが嫌になる。
「それに、先々までその関係が続くかどうかすらわからない。今、蒼真が何を言おうが……やっぱり大人には子供の火遊びぐらいにしか思われないさ」
「……ですよね。俺もそう思います」
「だからさ、その関係が卒業まで続いたら、そうしたら次のことを考えようよ。今、無理にすべてを解決する必要なんてないだろう?」
「はい……俺が嫌だったのは……真桜が俺と付き合ってるのに恋人と言えずに寂しくないかって……」
「そりゃ寂しいだろうし苦しいだろうさ。でも真桜ちゃんが望んだんだろ? あの子はしっかりしてるから、そのぐらいのことは承知の上だったんじゃないか?」
「はい、本人もそう言ってました……これは俺のエゴです」
「ったく、蒼真らしいね。融通が効かなくて真面目でお人好しだ」
「すみません……」
再び俺を抱きしめる美咲さん。そっと俺の頬に口づけを落とす。その感触がとても優しくて嬉しくて、気づけば涙がぽろぽろと溢れ出した。
「美咲さん、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「泣くんじゃないよ。我を通すってのは大変なもんだ。でもわかってくれる人だって必ずいるんだ。――蒼真がどんな未来を描くか、今から楽しみで仕方ないよ」
「うぅ……うわぁ……ああああ……」
美咲さんを裏切った罪悪感、理解された安堵感、これから先の不安や焦燥感。そのすべての感情が一気に俺に押し寄せる。
ただひたすら、泣き続けた。




