第25話 乾いた喉に冷たい麦茶
土曜日の昼前、たっぷり俺で遊んだ羽依と美咲さんは、仕入れのため市場へ向かった。毎週恒例行事のようだ。俺はアパートに戻ってきて、自分の用を済ませることにした。
まずは日課をこなそう。一日でもサボッたら、止めてしまいそうなのが怖い。汗を流したいってのもあるからな。頑張るぞ!
ジョギングも最初は3kmでへとへとだったが、今は7kmは走ってる。休みなので10kmぐらい頑張ろうかな。
いつも走らないコースを走ってみよう。
学校よりも遠くのルートを回ることにした。
青々とした街路樹の間を駆けていく。閑静な住宅街は排ガスの匂いが少ないので走りやすい。けれど、早朝ではなく昼間の暑さだ。初夏ならではのジメッとした空気で、結構こたえる。いつもより多めの汗をかいていた。
――途中、大きな武家屋敷みたいな家がある。門に看板が立ってる。「結城神影流」って書いてある。剣道の道場かな?
「あら、蒼真じゃない。どうしたの?うちの前で」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、きょとんとした表情の真桜が立っていた。白い道着に紺色の袴、トレードマークの綺麗な黒髪のロングヘアーは一纏めに束ねられていて、出で立ちは剣豪のようだった。なんか強そう。
「ああ、結城ってそうか、真桜の家だったんだね」
「正確にはお祖父様の家ね。私は居候だから。」
そういって微笑んでくる真桜。
俺の格好を見て、何か思いついたようにフフンと鼻を鳴らす。
「その格好は、あれね。下着泥棒? 残念ながら、うちはセキュリティー万全よ」
くすくすと口元に手を当てて意地悪そうな顔で笑ってる。
「それは残念だ。水色のパンツが盗めないとは。ざんねんざんね……ぐふぅ!」
一瞬で詰め寄られ、ボディーブローを入れてくる真桜。正直、チャラ男の膝よりよっぽど痛い……。
「おおげさね、蒼真。鍛え方足りないんじゃないかしら? ちょっと揉んであげるから、うちに寄っていきなさいよ」
有無を言わさず道場に連行される俺。どうなっちゃうの?
――道場ではなく居間に通された。ちょっと安心。
「すごい汗かいてるじゃない。はい、麦茶。ちゃんと水分取らないと駄目よ」
「走っていたら思ったより暑くなってきたね。油断してたよ」
そう言って麦茶を飲む。キンと冷えた麦茶は風味が豊かだった。お湯出しのこだわり麦茶のような味わいだ。
「うんまっ! 生き返る~!」
俺の飲みっぷりを見てニコッと微笑む真桜。もう一杯入れてくれた。
「毎日ここ通ってるの? 私が住んでるのは知らなかったようね」
「いや、今日は距離を伸ばしたんだ。ここ通ったのは初めてだったよ。すごく大きい家だね。さすがは理事長宅だ」
俺の言葉に、真桜はため息混じりに答える。
「広すぎるのよ……お祖父様と私の二人暮らしだし、掃除だけで一日終わってしまうわ」
「へええ~、お手伝いさんとか居てもいいぐらいの家なのにね」
「まあ、全部お祖父様一人でやってしまうから。元気なのよ。嫌になるぐらいに」
そう言って遠い眼差しをする真桜。なんだか大変なんだろうな。
「真桜はその格好すごく似合ってるね。練習中だったの?」
「ええ、私が剣道やってたのは知って……ないわよね。私に興味なさそうだし」
「うん、興味がないっていうか……。まあ、知らなかったよ」
真桜は呆れた眼差しを送ってくる。
「私、剣道で日本一になってるのよ? 中学二年のときだけど。どれだけ学校生活に興味なかったのよ」
「ああ、いや、興味ないっていうより……家のことが手一杯で、ほかを見る余裕がなかったっていうかね……」
あまり言いたい話でもなかったので言葉を濁すと、真桜は「そう、まあいいわ。」と話題を変えてくれる。そういう気遣いにはホント助けられる。
それから俺たちは、学校のこと、羽依のこと、好きな食べ物のことなど、話は多岐に渡った。優しさと毒を兼ね揃えた彼女との会話はとても楽しい。男女間だけど、とても仲の良い悪友のような関係になってる気がした。
「そういや、ここって剣道の道場なんだよね?」
「ええ、剣道も教えてるけど、古武術も教えてるのよ。逮捕術とか護身術みたいなものね」
「古武術! なんか格好良いね! ――ああ、だから先輩に襲われそうになったときも大丈夫だったのか。でも危ないことは駄目だよ。真桜は可愛い女の子なんだから」
俺の言葉に、真桜は顔を真っ赤に染め、視線をさまよわせる。
「ま、またそんな事言うのね。へたれのくせに。そういう言葉は羽依に言ってあげなさいよ」
「なんか最近、へたれへたれってよく言われてる……そんなにへたれに見える?」
真桜はくすっと笑い、俺をじっと見る。
「そうね、入学したときより、すごく逞しくなったのは分かるわ。頑張ってるのよね。偉いわよ蒼真」
思っていた言葉と真逆の言葉が返ってきたのでちょっと怯んだ。
「真桜にそう言ってもらえると思わなかったからびっくりした」
「でもね、体だけ鍛えても技術が備わってないと。蒼真、ちょっと立ってみて」
俺は立ち上がり、真桜と向き合う。
真桜が手を伸ばしたと思った瞬間、世界がひっくり返った。
「へ?」
全く痛くはないが、気がつけば体は仰向けに倒され、真桜にマウントを取られていた。完全に制圧された状態だ。
「これがうちで教えている逮捕術。どうかしらね」
「いや、びっくりした。こんな技が本当に存在してるなんて……」
テレビで見るような仕掛け有りの技じゃない。本物の技だった。
「逮捕術っていうのは、相手を極力傷つけずに動きを封じる技術なの。特に力じゃなくて、体の使い方が大事なのよ。」
「うん、技を仕掛けたのが全くわからなかった……」
俺に馬乗りになりながら真桜が妖しく微笑んだ。獲物を狙う猛禽類のような目でもあり、慈しむような目でもあり。なんとも複雑な表情を浮かべる。
満足した様子の真桜は、さっと立ち上がり、俺に手を差し伸べて起こしてくれた。
「付け焼き刃は危険だから、技そのものは教えられないけどね。体の使い方ぐらいなら教えられるわよ。たまに遊びに来るといいわ」
「うん、体を鍛えるだけじゃ駄目なのは、よく分かった気がする。真桜、時間ある時にでも教えてね」
「じゃあ早速今日からね。さあ道場行くわよ」
――なんだかんだで夕方前までしごかれた。教えるときの真桜は、終始楽しそうに鬼だった。ぴえん。
面白いとおもっていただけたら、ブックマークをしてもらえると励みになります!




