第248話 普通の反応
迎えのタクシーがやってきた。行きと同じ運転手さんだ。
わざわざ車から降りて俺たちに向かって会釈してくれる。
「お待たせしました。お疲れのご様子ですね。 車内でごゆっくりお過ごしください」
とても丁寧な運転手さんだ。行きのときは気づかなかったが、キャップからのぞく薄化粧の顔は目鼻立ちが整っていて、スラッとした制服姿もとても格好よかった。
所作の一つひとつが洗練されていて、思わず見とれてしまった。
「日曜日の午後なので、道中は混んでいるようです。疲れたら声をかけてくださいね!」
俺たちは行きのときと同じように、「は~い」と気の抜けた返事をする。はもり具合が面白かったのか、運転手さんはくすくすと笑っていた。
高速道路は渋滞していて、帰宅までだいぶ時間がかかりそうだった。
途中、大きめのサービスエリアに寄って休憩する。
ここもやはり混雑していて、トイレもかなり待ちそうだった。
用を足し、車に戻ろうとしたとき、真桜に呼び止められた。
「蒼真は何食べる?」
そう声をかけてきた真桜の手には、すでにフランクフルトが握られていた。
「いや……さっき食べたばかりだし。つうか真桜、さっきもフランクフルト食べてたよね?」
「そうよ。でも、ここのサービスエリアのフランクフルトは有名なの。知らないの?」
「あ~……それは知らなかった。なんか違うの?」
「ふふ、じゃあ一口あげるわ」
そう言って「はい、あ〜ん」と俺に差し出してくる。
周囲の視線を気にしつつ、ぱくりと噛みちぎった。
ほとばしる肉汁に豊かな燻製の香り……確かに普通のとは段違いだった。
――まあ、真桜がくれたからこそ余計に美味いんだけど。
ちょうどそのとき、通りかかった運転手さんと目が合った。
恥ずかしいところを見られてしまったようだった。
運転手さんはにこやかに話しかけてくる。
「ふふ、お熱いところを見てしまいましたね! 二人は恋人同士なんですか?」
悪戯っぽい視線で俺たちをのぞき込むように言う。
「はい。なんだか恥ずかしいところ見られちゃいましたね……」
そう言った瞬間、真桜がぱちっと目を見開いた。
「え……蒼真……いいの?」
「なにが?」
真桜は落ち着かない様子で、持っているフランクフルトの串を指先でいじっている。
「もう一人の子もすごく可愛いけど、あの子にも彼氏がいたりするのかしら?」
「はい、います。俺です」
「……え?」
運転手さんの表情が固まった。
「あっ、ごめんなさい! 私、何か勘違いしちゃったみたい! その子じゃなくて、もう一人の子が彼女なんだ?」
「いえ、二人とも俺の彼女です」
「は? ……え?」
一瞬、運転手さんの顔つきが“素”に戻った。
まるで異物でも見るような視線に、空気がわずかに冷たくなる。
「あ、ああ……そうなんだ……。ごめんね……あ、飲み物買うんだった……失礼します……」
慌てたように言い残し、その場を離れていく運転手さん。
隣を見ると、真桜はバツの悪そうに目を伏せていた。
その表情に、胸の奥がひやりとする。
「蒼真、ありがとうね……でも、これが“普通の人”の反応よ……」
「……そう、だね」
空気が重苦しくなる。
沈黙のあと、真桜がゆっくり顔を上げた。そこには、普段は見せない影が差している。
「私はね、そんなに焦ってないの。あなたが気を遣ってくれるのはわかるし……それは嬉しいのよ」
言葉とは裏腹に、視線は足元へ落ちていく。
その寂しげな表情を見るだけで、胸がきゅっと締めつけられた。
「……俺は……もう誤魔化したくない。胸を張って、真桜の彼氏だって言いたいんだ」
「その結果がどうなるか……蒼真、本当にわかってる?」
「……」
「ばかね、蒼真。あなたの気持ちは、ちゃんと伝わってるよ。
だから……自分を責めないで。そんなの、私も辛くなるから……」
「ごめん。でも、半端な気持ちじゃないんだ。――いつか、みんなに認めさせたいって思ってる」
「そうね……でも、今じゃないわ。ね、わかって……?」
真桜は、すがるように俺の上着の袖をぎゅっと握った。
きっと“できるわけがない”と思っているのだろう。それでも――俺は。
「おまたせー! トイレめっちゃ混んでた~……二人ともどうしたの? なんか暗くない?」
「ううん、そんなことない。むしろ美味しいもの食べて元気よ! 羽依も食べなさい!」
「んがっ……んぐっんぐっ……」
フランクフルトを口に突っ込まれて、羽依が目を白黒させている。ちょっとだけ気の毒だ。
「……ん、ごくっ。うん、おいしー!」
その無邪気な笑顔は俺たちの重苦しさを一瞬で消し飛ばした。真桜はふっと肩の力が抜けたように笑う。
俺もその笑顔につられて、思いきり笑った。
その後は、何度か渋滞につかまりながら帰路へ。
最初に結城道場の前で真桜が下車する頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「二人ともありがとうね! また明日!」
羽依と真桜は、明日すぐ会うくせに、いつまでも手を振り合って別れを惜しんでいた。
その光景がなんだか微笑ましくて、自然と笑ってしまう。
それからすぐにキッチン雪代に到着した。たった一週間なのに、随分久々に帰ってこれた気がした。
お店の看板を見て、思わず胸が熱くなる。
「目的地に到着です。お忘れ物のないようにお願いします」
荷物を下ろし、羽依が家に入っていった。
「運転手さん、二日間ありがとうございました」
「いいえ~。それより、さっきはごめんね彼氏くん……変な態度しちゃって」
突然さっきの話をぶり返され、驚いてしまった。
「ああ、いえ、気にしてません……」
「人それぞれ色々あるよね~。でも、君は真剣だったし、彼女たちもすごく幸せそう。なんだか羨ましくなっちゃった。これからも頑張ってね!」
愛嬌たっぷりの笑顔を向けてくる運転手さん。その優しい言葉に、つい目頭が熱くなった。
「はい、ありがとうございます!」
「ふふ、またどうぞ、ご贔屓にー!」
そう言ってタクシーは走り去っていった。
その様子を、いつの間にか戻ってきた羽依にしっかりと見られてた。
「なあに蒼真、なんか楽しそうだったけど? また浮気?」
「人聞きわるっ! 浮気なんてしたことねえし!」
「ふうん。じゃあそれでいいよ~。早くおうち入ろ? お母さんが待ってるよ」
隙あらばマウントを取ってくる。――まったく、羽依にはホントかなわない。
運転手さんの何気ない言葉が、いつまでも胸に残っていた。
きっと、あの人と同じように……わかってくれる人もいると信じたい。
誰も傷つかず、みんなが納得できるように。
そんなことは夢物語なのかもしれない。
子供の戯言だと笑われるだろうし、怒る人もいるだろう。
今からのことを考えると、とても怖い。
でも、美咲さんには――。




