第195話 蒼真の危機
飯野さんからゴリ押しで取材を申し込まれたけど、俺の空いている時間なんてほとんどない。
平日は五時に起きてから10kmのジョギングと筋トレを行う。
雪代家にお世話になっている身としては、みんなの朝食ぐらいは準備したい。
登下校は羽依と一緒。バイトも一緒。風呂に入り勉強をして、夜十時には就寝だ。
土曜日は真桜と稽古をして過ごし、日曜日は羽依と遊ぶ。これが俺の一週間のルーティーンとなっている。
飯野さんとの時間をどうやって捻出すれば良いんだろうか。
秘密にしろって言っていたけど、それを守るには嘘をつくのが手っ取り早い。
でも、嘘って苦手なんだよな……羽依には絶対にバレてしまうし、後ろめたい思いはしたくなかった。
唯一時間があるとすれば土曜の午前中だろう。
羽依と美咲さんが仕入れに向かい、俺は真桜の家で稽古を行う。
お昼は真桜と一緒に食べているけど、少し遅れて行けば、二〜三時間は時間を作れる。
それ以外の時間は厳しいだろうな。
下校中、訝しむような視線を送る羽依。
「蒼真、何か悩み事でもあるの? 昼休み終わってから様子がおかしいけど……」
ほらやっぱり勘付いてる。
正直に言うべきか、飯野さんに義理立てするべきか。
まあ……あんな写真を見ちゃったものな……。
無下にするのも悪いか……。
「ん~、とある人からね、俺の過去の話を聞きたいって言われたんだ」
羽依に嘘は付きたくないので、ある程度の真実を伝えてみることにした。
「とある人ってだれ? 私に言えないの?」
目つきが鋭くなる羽依。ほら、やっぱり怖い。
でもそうくるよな。そこまでは想定内だ。
「口止めされているんだ。バレたら羽依に迷惑かけちゃうかも……」
「迷惑って……蒼真、また変なことに巻き込まれてるの?」
「うん……なんだろうねホント。妙な面倒ごとばかりだ。きっと俺はそういう体質なんだろうね。だから羽依には事が終わるまで秘密にしておきたいんだ。良いかな――」
情報を後で公開するということで誠実さを醸し出す。
頼む、折れてくれ!
「うん~面倒ごとは蒼真にまかせる! 困ったことがあったらいつでも言ってね」
「その時には羽依にも協力を頼むよ。ありがとうね」
心配そうにしつつも面倒くさいのを嫌う羽依。なんとも複雑な思いだけど、結果オーライかな。
納得したかどうかは分からない。でも、とりあえずこの場は収まった。
まったく、なんで俺がこんな思いをしなくちゃならないんだ……。理不尽すぎる。
そんなわけで土曜日がやってきた。
最近は羽依の見立てで洒落た格好が多かったけど、今日は上下黒い服で黒いキャップと伊達メガネをかけてみた。
軽い変装のつもりだけど、夜に歩いてたら多分車に跳ねられる。
待ち合わせの場所は駅前のカラオケボックスだ。
先に入り飯野さんに部屋番号を告げて待つ。
その間に何曲か歌ってみる。ちょっと楽しくなってきたところで飯野さんが部屋に入ってきた。
真冬の空気をものともしない、小悪魔ギャル全開のコーデ。
髪は派手めの金髪ショートボブ、毛先をふわっと外ハネさせて軽快さを演出。大きめのフープピアスが揺れて、目立たずにはいられない存在感を放っている。
上はクロップド丈のダウンジャケット。ジップを大胆に開けて、インナーの黒のリブニットキャミがチラリと覗く。素肌がのぞくデコルテとお腹のラインは、狭い室内ではあまりに挑発的だ。
下はチェック柄のプリーツミニスカート。動くたびに裾がひらりと舞い、黒のオーバーニーソックスとの境目から覗く太ももが艶めかしい。
「おまたせ蒼真くん! 少し表で聴いてたけど歌すっごい上手なんだね! 聴き惚れちゃった」
学校とはまた違う彼女のばっちりメイク。その姿に、夏に初めて会った時を思い出した。
ショップの店員さんだった飯野さん。とても美人で、もっと年上のお姉さんだと思っていたんだ。その距離感の近さにドキドキしたんだよな……。
「ああ、飯野さんこんにちは。――なんかそう言われると嬉しいですね」
「せっかくのカラオケボックスだからね、ちょっと歌おうか! 蒼真くん、あれ歌えるかな?――」
そう言って小一時間ほどカラオケを楽しんだ俺たち。
――これってただのカラオケデートなのでは……。
「ふう、なんだか盛り上がったねえ。何しに来たか忘れちゃうところだったよ」
軽く汗ばんだ飯野さん。しっとりとした肌がほのかに艶めき、上気した頬は熱を帯びてバラ色に染まっている。近くにいるだけでシャンプーと甘いリップの匂い、さらに汗の匂いが混じり合って押し寄せてきて、息を吸うたびに頭がぼうっとする。
それは綺麗とか可愛いとかじゃなく、抗いがたい生々しい色気だった。
――いかんいかん、呑まれるな俺……。
「ま、まあ、楽しかったからよかったですけど……じゃあ、何から話せば良いんでしょうか」
飯野さんはスマホを取りだし確認する。
「じゃあ蒼真くんに百の質問! いっくよ~」
数の多さに面食らったが、質問の内容自体はとても簡単な質問だったのでわりと早く終わった。
ただ、彼女のフリック入力の速さには本当に驚かされる。
「飯野さんって小説の作成はスマホなんですか?」
「使えるものは全部使うよ。家にいるときは紙で、外ではスマホ。原稿はPCに入れておくの」
「へええ~! 表でも小説書くんですね!」
「ふふん、やっぱインスピレーションが閃いたら即残さないとね。 こういうのはね、鮮度が大事なの!」
すごい! なんかプロっぽい!
かなり迷惑な人だけど、同時に優秀な小説家なんだと改めて思った。
「質問は終わりならそろそろ撤収しますか」
そう言って立ち上がろうとしたところ、シャツをぐっと引っ張られる。
バランスを崩し、椅子に座りながら体が飯野さんに倒れてしまう。
「あ、ごめんなさい……」
「ううん、大丈夫。計算通りだから」
「え?」
不意に彼女の手が伸びてくる。
「なっ、ちょっと、だめですって!」
悪戯な手が容赦なく蠢き始める。
「蒼真くんの表の顔は十分理解できたとおもうの。百の質問は理想的な紳士すぎて正直つまらなかった。――君の裏の顔をみたいな」
妖しい目をした飯野さんが舌でペロッと上唇を舐める。この人ホントにオボコなのか……?
俺はもしかしたらとんでもない見立て違いをしてしまったんだろうか……。