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第188話 マスターキー

 一月七日。始業式まであと一日。

 早朝、遥さんからLINEがあった。


 遥「おはよう。朝早くごめんね。今日暇だったらうちにこない? 渡したいものがあるの」


蒼真「夕方からバイトなんです。午前中なら空いてますよ」


 遥「よかった。なら、うちでお昼一緒にしない? 何か作るわ」


 蒼真「ありがとうございます。じゃあ支度できたら伺いますね」


 遥さんとは年始にLINEで新年の挨拶をした以来だ。会話らしいことはしていない。

 研修の時の遥さんを思い出すと、どうにも俺からは声をかけづらかった。

 色々真実を知った彼女の胸中は、あれからどう変化しただろうか。



 羽依はすでに買い物に出かけていた。

 出掛ける前の締まらない表情がとても気がかりだったが、後は真桜に任せよう。


 身支度を済ませ、美咲さんに声をかける。


「美咲さん、ちょっと出かけてきますね。バイト前には戻るので、お昼は表で食べてきます」


「はいよー。気をつけてね、行ってらっしゃい!」


 一月だけど、今日は陽が暖かく絶好のサイクリング日和だ。軽快に九条邸へと向かう。


 そういや来月からは九条邸メインで住むんだよな。

 平日は九条家で過ごし、週末は雪代家か。

 一体どういう生活になるんだろう。不安もあるが、同じぐらい楽しみでもある。


 ただ、働くという意味では今までよりも忙しくはなるのかな。

 あの結構大きい家を掃除するのは大変そうだ。でも、やりがいもあるだろう。

 掃除、洗濯、料理、庭の手入れ。どれも好きな仕事だからな。

 俺的に家政夫を生業にするのは大いに有りだと思う。


 そんな事を考えていたら、あっという間に着いた。

 自転車はやっぱり良いな。……羽依に取られちゃうけど。


 ドアホンを鳴らすとすぐに門が開いた。


「蒼真くん、いらっしゃい。あけましておめでとう」


 柔らかい口調で新年の挨拶をする遥さん。淡い桃色のニットにロングスカートと黒いショートブーツの組み合わせ。エレガントなお嬢様な雰囲気だ。


「あけましておめでとうございます。庭で待ってたんですか?」


「うん、そろそろ来るんじゃないかなってね。門もスマホ連動で開閉できるの。便利よね~。あと、蒼真くんが自由に入れるようにセキュリティー認証設定しちゃうね。――ドアホンのカメラを見ててね」


 言われるがままドアホンのカメラを覗く。


「うん、これでオッケー。門は顔認証で開くわ。家のロックは指紋認証ね。これも設定しておきましょう」


 九条邸のセキュリティのすごさが分かったけど、これで俺、自由に出入りできるってわけか。

 もちろん妙なマネなどするつもりはないけど、信頼されすぎてちょっと怖い。


「大丈夫なんですか? 俺がもし変な気を起こしたら、遥さんピンチですよ?」


 遥さんは訝しむように俺を見つめる。


「あんまり想像できないね。私がピンチになるところ。――姉より強い弟など存在しないのよ!」


 遥さんがキメ顔で言い放つけど、すぐに顔を赤らめた。思わずニヤけてしまった。


「恥ずかしいなら言わなきゃ良いのに……」


 そう言ったあと、俺は堪えきれずに吹き出してしまう。遥さんは憮然とするも、すぐに釣られて笑い出した。


 でも、よかったって思った。

 姉弟のネタも自然に出せるぐらいに、自分の中ではすでに解決してるんだな。


「それで渡したいものってなんですか?」


「そうそう、とりあえずリビングに入りましょう。お昼にはまだ早いし、紅茶でもどう?」


「良いですね。じゃあいただきます」


 リビングに入りソファーに腰掛けると、早速現れた黒猫のクロちゃん。


「にゃあ!」


 とんっと俺の膝の上に乗るとゴロッとし始めた。黒くツヤツヤな毛並みにぽちゃっとした肉球。俺がそっと撫でると気持ちよさそうに目を細める。相変わらず可愛いすぎる……。


「ん~可愛いなあ! 来月からよろしくね!――ひょっとしてクロちゃんが俺にすぐ懐いたのって、俺と遥さんの共通点を見つけたからかも?」


「あー、もしかしたらそうかも。私が密かにコンプレックスだったこの目つきもね、なんだか蒼真くんに似てるなって思ったの。――そしたらさ、ちょっと嬉しいなって思っちゃった」


 遥さんの言葉を聞いて、なんだか胸にじんわり響いた。


「ああ、なんか、嬉しいですね……そう言ってくれるのって」


 最初は怖いと思っていた遥さんの目も、今となっては涼やかな綺麗な目に見えるのは、俺の意識が変わったせいだろう。

 人の印象なんて先入観でどうとでも変わるしな。

 

 ほどなくして遥さんがティーセットの乗ったシルバーのトレイを持ってやってきた。


「おまたせ、この茶葉は私のお気に入りなんだ。蒼真くんも気に入ってくれたら嬉しいな」


「へえ、そう言われるとなんだか緊張しちゃいますね。では……」


 特別紅茶に詳しいわけではないけど、遥さんの淹れてくれた紅茶は丁度適温で、程よい苦みと、どことなく花のような芳醇な香りが心地いい。


「うん、なんだろう、バラの香りっぽいような……美味しい……これはなんて茶葉ですか?」


「キームンっていう中国の紅茶なの。あとで淹れ方教えてあげるわね」


 好きなものを共有できた満足感を遥さんから感じる。そして手元のバッグを開けて何かを取り出した。


「そうそう、渡したいものだけどね。はい、これ」


 そう言って渡してきたのは一枚のカード。


「これは……なんですか?」


「この家のマスターキーよ。指紋や顔認証はセキュリティー上、定期的にリセットされるわ。これがないと実際にやりたい放題はできないわね」


「そんな大事なものを……この家って九条家の大事な物とかないんですか?」


 俺の驚きに、遥さんは満足そうに笑みを浮かべる。


「全然ないわよ? 私だけの家だし。たまにパパや駿兄さん、あとは学校の友達が遊びに来るぐらいね」


「そっか……九条邸というより遥さんちって事か……」


「だって実家はほら、貴方と同郷なわけだし。パパもママも都心のマンション住まいよ。一緒に住まないのは私がタワマン嫌いだからってのもあるわね。怖いのよ……高いところが……」


 その切実な表情と可愛らしいつぶやきに思わず吹いてしまった。


「あ~ひっどい! 笑ったわね! じゃあ蒼真くんの苦手なものも教えて! でないと許さない」


 全く怒ってなさそうに怒ったふりをする遥さん。さあ困ったぞ、俺の苦手なものか……。改めて言われるとなんだろう?


「ん~……おばけや虫とか高いところ、その辺りは大丈夫なんですよね。苦手な食べ物も思い浮かばない……あっ、あった。母さんの手料理だ。これがまたきっつい!」


 今までの数々の母さんの創作料理やらかしを遥さんに語った。彼女は涙を流しながら笑っていた。


「あはは、すごいわね、貴方のお母様。――でも、複雑ね。パパのその……浮気相手? になるのかしらね。ああでも興味あるわ!」


 言われて気付いた。そういやそうだ。うちの母さんは遥さんにしてみれば異母姉弟の継母か。決して愉快な存在ではないよな……。

 でも、遥さんが笑ってくれて、なんかそれでいいかなって思った。





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