第186話 両家の親睦
両親が駅に到着したとの連絡を受け、迎えにやってきた。
「よっ! 蒼真。あけおめ」
「蒼真、あけましておめでとう!」
「父さん、母さん、あけましておめでとう。って母さん、その髪……染めたんだね」
金髪だった髪は黒く染まっていた。ふっくらと血色もよくなり、顔の痣もすっかり消えていた。あとに残らなくて本当によかった。
「父さんがね、蒼羽の髪は黒いほうが良いって。私もそう思ったからね~」
そう言って父さんにべったりくっつく母さん。人目をはばからなさすぎだろう。
「母さん綺麗になっただろ。元が良いんだから当然だよな。大学のミスコン優勝してるんだぞ」
「そんな事実初めて知ったよ……でも、確かに綺麗になったかも。前よりずっと」
「いいのよ蒼真、もっと褒めてちょうだい! 」
明るく奔放な以前の母さんの雰囲気に戻ってきたと思う。嬉しくてちょっと鼻がツンと来た。
アパートに一旦立ち寄り手荷物を置いて行くことにした。
父さんはここに来るのは俺の引っ越しの時以来だ。
「いやあ~ここっていい場所だよな。駅から近いから通勤も楽だし、何より家賃が安い! ――住んでる間、何もなかったよな……?」
両手を前に垂らし、お化けのようなポーズを取る父がちょっと恥ずかしい。事故物件だったのはちゃんと覚えてるんだな。
「なんもないよ。そんなの信じないし」
そう言う俺を、とてもつまらなそうに見る父。
「お前は妙にリアリストだよなあ。そんなんじゃ女の子にモテないぞ?」
おあいにくさまだと言ってやりたいけど、どうせあと少ししたら羽依に会うからな。実物見て驚け。
部屋に入り荷物を置いた父さんは、周りを見渡し妙に満足そうだった。
「八畳一間からの再出発かあ。なんかテンションあがるなあ」
「え……あがる要素ある? 社長から一社員になったってのに」
遠慮のない俺の言葉に父さんはニヤッと笑う。
「多くを手にするとな、近いものが見えなくなるんだ。俺がそうだった。もう――手放さない」
そう言って俺の目の前で母さんをぎゅっと抱きしめた。母さんは頬を赤らめ、幸せそうに委ねた。
「はいはい。そういうのはここだけにしてくれよ……間違っても向こうでやらないでね。――ったく、俺が恥かくっての……」
すっかり二人だけの世界になっていた。これじゃあ俺の居場所なんてないな。
やりたい放題の二人に呆れながらも、なんとなく嬉しかった。
アパートの鍵束を渡すと、父さんは一つ外し、俺に手渡した。
「全部渡すことないだろ。お前は家族だ。一つ持っとけ。なんならいつでも寝泊まりしに来いよ」
「ああ、ありがとう? つうか俺が住んでたのを横取りして、そう言われるのも釈然としないな……」
俺の言葉に父さんは可笑しそうに笑う。
「まあそう思うよな! お前の現状は母さんや、ほら、浅見ちゃんから聞いてたからな! 住む場所があるなら良いじゃんって思ったわけよ!」
バツが悪くなると声が大きくなるクセがある。相変わらずだなって思うと何だか妙に可笑しくなってた。
父さんのこういう楽天的で人懐っこいところが長所であり短所でもあるんだろうな。
そんなわけでキッチン雪代に着いた。
なぜだか店に入るのが怖く感じるが、意を決してドアを開ける。
カランという音が響くと共に、美咲さん、羽依、りっちゃんも一斉にこっちを見る。
「ただいま戻りましたー。――じゃあ、みんなに紹介するね。うちの父と母です」
「父の拓真です。蒼真がお世話になってます」
父さんが深々と頭を下げる。
「蒼羽です。美咲さん、先日は本当にありがとうございました。まともなお礼も言えずに申し訳ございません」
「ああ、やっぱり蒼真のお母さんだよね! なんか見違えちゃったからびっくりしちゃった。改めて、雪代美咲です。今後ともよろしくお願いします」
次は私の番とばかりに羽依が前に出る。
「雪代羽依です。蒼真と、その、付き合ってます! お父さん、お母さん、蒼真を私にください!」
突然の羽依のプロポーズのような言葉。きっと舞い上がっちゃったのかな……。言ってから顔を真っ赤にして首をブンブンふる羽依。
「うんうん、あげるあげる。いやあ写真よりも実物は何倍も可愛いな! 良いなあ蒼真。こんな可愛い子に愛されて。そちらの綺麗な方はお姉さんかな?」
「いえいえ、久保田里紗と申します。蒼真くんとはバイト仲間です。今日はお食事会ということでお呼ばれしちゃいました!」
「りっちゃんもうちの家族だからね。――じゃあ食事会を始めようか。仕込みは済ませてあるんだ。羽依、手伝っておくれ」
はーいという返事とともに羽依が厨房に向かっていった。
羽依を呼んだのは緊張しないようにって配慮なのかもな。
「雰囲気のある店だな~。SNSでの評判がものすごかったんだよな。俺も気になってた店だよ」
「実際料理はめっちゃ美味いよ」
「へえ、母さんの料理には敵わないだろうけどな!」
「もう、拓真ってば」
やばい、惚気が抑えきれない。りっちゃんはそんな二人を見てニコニコしてる。
父さんと母さんが二人の世界に浸ってる間、りっちゃんが俺にこっそり話しかける。
「蒼真くんのお父さんとお母さん、すっごく仲良いんだね!」
「つい半年前に離婚してるんですけどね……再婚してるんですよ」
「え……何か複雑だったんだね。ん~、でも今が仲良いなら、モーマンタイだね!」
「はは、モーマンタイですね」
りっちゃんはそっと握りこぶしを前にだした。俺もそれに合わせてグータッチをした。
「久保田さんはお若いようだけど、その指輪は結婚指輪なのかしら?」
目ざとい母さんは彼女の左手の薬指に輝く大きな宝石のついた指輪に気がついたようだ。
「はい! 結婚して一年ほどになります!」
「すごい素敵な指輪ねー! ご主人はどういった方なのかしら」
やばい……母さんが根掘り葉掘り聞く系おばさんになってるぞ。羞恥がきっつい……。
「IT関係の会社を経営してます。クボタソリューションズって名前なんですけど」
父さんがぴくっと反応する。
「ああ、その会社とは以前仕事でご一緒したことがある。社長もお若いけど、奥様がこんなに若くて綺麗な方だとは、いや驚いた」
「あら、主人を知ってらっしゃるんですか!」
「ええ、小柄で穏やかそうなのに、一度口を開けば場を掌握する。芯が通った、大物という印象ですね」
父さんの言葉にりっちゃんは感動している。
「私、主人の仕事の話とか全く知らなくて、そう言ってもらえるのすごく……嬉しいです!」
意外なところで接点があるもんなんだな。縁って不思議だなと思う。
「なんだ、随分盛り上がってるね! さあ、うちの一番人気のポークソテーだよ!」
美咲さんと羽依が次々に料理を運んでくる。
立ち上る湯気、肉厚なポークソテーに、とろりと艶めくデミグラソース。芳醇な香りが鼻をくすぐり、空腹の胃を容赦なく刺激する。後はスープとサラダ、ピザにつまみのポテトまである。
「お酒で乾杯っ!っていきたいけどお店は夜もあるからねえ。ご主人と奥さんは遠慮なくやっておくれ!」
「いえいえ、それはまた次の機会にでも」
和やかな雰囲気で会食が始まった。
ただ、羽依は妙に口数が少ない。やっぱり色々気にしてるのかな……。
「うわっ、このポークソテーすごいな……洋食屋さんは色々行ったけど、これは過去一かもしれないな。このソースはとにかく素晴らしい。深いコクが老舗の味って感じだな」
父さんがべた褒めしてるけど、母さんの手料理もべた褒めする人だからな。全く信用できない。
「喜んでもらえて良かったです。――ところでこれからうちで御子息を預かるわけですけど、まだご両親から了承を得ていたわけではないですよね。改めて、うちで預かることを許していただけますか」
美咲さんからの申し出に、父さんが突然立ち上がった。
何事かと思ったが、美咲さんに深々と頭を下げる。
「アパートの件は突然の話で驚かれたとは思います。非常識なお願いであることも重々承知しています。正直なところ、藁をも掴む思いでした」
父さんはこう言っては何だけど、軽い人だと思う。楽天家だし、ちょっと軽薄な部分もある。でも、今の彼の態度はとても真摯に見えた。
「恩人である雪代さんにお礼を申し上げるのが先であるにもかかわらず、まずは蒼真を託すことをお申し出くださった――そのご厚情に、ただただ恐縮しております」
父さんの言葉に美咲さんは表情を和らげた。
「良いんですよ。困ったときはお互い様です。うちは蒼真の事、とても頼りにしてますし」
父さんは再度美咲さんに頭を下げて言葉を続ける。
「蒼真に寂しい思いをさせてきたこと。家内が危険な状況にあったのに、何もできなかったこと。職を失い、一からやり直すしかなかったこと――いずれも私の至らなさの結果です」
父さんは顔を真っ赤にして悔恨の思いを吐き出す。――ずっと堪えていたんだろうな。そんな風にも思えた。
美咲さんはそんな父さんをじっと見据える。その様子は彼を見定めているようだった。
「藤崎さん、あまりご自身を責めないでください。今こうしてみんなで仲良くご飯が食べれてる。十分じゃないですか? さあ、冷める前に召し上がってください」
「雪代さんのお心遣いが身に沁みます。――誠に申し訳ないですが、そんな親だからこそ、どうか息子を託すことをお許しください。せめて息子には幸せでいてほしいんです。」
俺の父さんは思ったよりもしっかり父さんしていたようだ。
ただ、言葉の内容だけ聞くと婚前の両家ご挨拶のようで妙に恥ずかしかった。
ちょっとトイレと席を立つ。その後ろから羽依がついてきた。
そして、俺にそっとハンカチを手渡した。
「蒼真、また泣いてる。ホント泣き虫だよね~」
全く……見られたくなかったのに……。
「ありがと羽依。でも泣き虫ってひどくね?」
「んふ、蒼真のご両親の事、ちょっと分かったかも」
俺の肩にこつんと額を当てる。そんな羽依が可愛くて愛おしくて――。愛情一杯に彼女の手のひらをきゅっと掴んだ。
「そっか。まあ正直俺も分かってなかったかも。この先もどうなるか分からないけどね」
でも、もう大丈夫だろうな。きっと藤崎家はうまくやっていける。
こうしてみんなで仲良く食事できる――その光景は、俺にとって何よりも尊くて、奇跡のように感じられた。