第176話 年越し
大晦日。俺は雪代家でのんびり過ごしていた。
研修中は気が張っていたが、帰った途端に精根尽き果てた。
色んな思いが綯い交ぜになり、オーバーヒートのようだった。今必要なのは心のクールダウンだろう。
「蒼真の居ない五日間でお店とお家の大掃除済ませたんだからね! 今年は楽できるって思ってたのに~」
ソファーに座る俺の上に乗っかり、じたばたする羽依。
「重いし痛いから降りて。俺は疲れてるから良いの」
「ぶう、――ねえ蒼真、九条さんの事はこれからなんて呼ぶの?」
研修センターでの出来事はほとんど正直に喋った。彼女の鋭さは下手に隠すことなどまず不可能だから。
ただ、最後のキスだけは言えなかった。
痛みの伴う罪悪感とともに、墓場まで持っていこうと思っている、甘くもほろ苦い秘密だ。
「遥さんのままだよ。姉さんっていうのは内緒だからね。羽依も美咲さんも他所では言わないでね」
「言わないし、そもそも最初から私たちにも言わなけりゃ良かったんじゃないの?」
全くもってその通りだし、俺も社長に言ったセリフだ。
なぜかちょっと恥ずかしく思う。
「だよねえ。俺もそう思ったけど、隠し事したくないから。それに実姉ならさ、一緒に住んでも安心感あるんじゃない?」
俺の言葉に呆れた眼差しで見つめる羽依。
「本気でそれ言ってる? 身近にガチ禁忌がいるってのに」
ガタイの良いサッカー部員が脳裏によぎる。
「あ~……そうだった。完全に失念してた。まああそこは特殊でしょ」
「私も隼くんと燕さんの関係は、最初はちょっと禁忌的なものを感じて興奮しちゃったけどね……これからは身近の脅威として認識しないとね。包丁研いでおかないと……」
そう言って包丁を研ぐ素振りをする羽依。
「何につかうんだよ……マジ怖いからやめて?」
「蒼真、お鍋準備するから手伝ってー!」
救いの手みたいな美咲さんの呼び声に、俺は全力で飛びついた。
「はーい! ただいま!」
キッチンでは美咲さんが鍋の具材を切っていた。
指示に従い冷蔵庫から食材を取り出す。
「美咲さん、雪代家のお鍋って何入れるんですか?」
「そんな変な物は入れないよ。普通の寄せ鍋だね」
「へえ~、でもかなり具だくさんですね」
「毎年もっと少ないんだけどね。今年は蒼真がいるからさ。いっぱい作るからしっかり食べるんだよ!」
美咲さんがニッと笑って俺を肘で小突く。
再びリビングに戻ると羽依はテレビのチャンネルを変えながら、どれを見るか品定めをしていた。
「年末のバラエティーってどれも面白いよね~。蒼真は毎年何見てるの?」
「わりと年越しでおすすめなのがEテレ。毎年録画してみちゃうんだよね」
しぶーいとケラケラ笑う羽依。ホントに面白いのに……。
「ねえ、年またぐ時にジャンプする?」
「ああ、地球上に居ない!とかって言うやつだよね。聞いたことはあるけど、やったことは無いなあ」
一人ぼっちでやってたら切なすぎるだろ。
「んふ、じゃあ今年はやるからね! 寝ちゃ駄目だよ!」
「えー……。二十二時過ぎたら寝る時間だよ……」
「蒼真はおじいちゃんみたいだねえ……あ、お鍋きたー!」
美咲さんが鍋を持ってきた。毎年リビングでテレビを見ながら鍋をつつくのが雪代家の年越しスタイルらしい。
「おまたせ! さあ食べようか。羽依、蟹ばかり食べるんじゃないよ。毎年一人でパクパク全部食べちゃうんだから」
「羽依、それはギルティーだ」
「ぶう、じゃあタラを独り占め~」
「それもギルティー!」
雪代家のお鍋は「普通の寄せ鍋」と聞いていたが、中身はずいぶん豪華だ。
エビ、タラ、牡蠣にズワイガニまで入っている。
見た目の華やかさに加え、様々な具材の旨味が混ざり合った香りが立ちのぼり、思わずよだれがこぼれそうになる。
「今小さい鍋も持ってくるから。それはしゃぶしゃぶ用ね」
「すごっ! そんなに食べられるかなあ」
「大丈夫だよ蒼真! 私お腹ぺこちゃん! 今なら全部食べられるよ」
「こら、ぺこちゃん! カニ全部持ってくな!」
黙っていればいい気になって、カニの足ばかり取っていく羽依。
彼女には自由の代償というものを思い知らせないといけないな。
カニ足の中にちょこっと酢を入れてそっと羽依の小鉢の中へ。
カニ酢の美味さを思い知るが良い。
「やっぱ鍋にはカニだよねー! ん~!?!?ゲホッゲホッ! なにこれすっぱーい!」
不意打ちにむせる羽依。
笑いが止まらない俺に羽依は顔を真っ赤にする。
あーまじ笑いすぎて腹痛い……。
巨悪を倒した俺は満足げに牡蠣を口に頬張る。
勝利の味に酔いしれるその瞬間、口の中が爆発する!?
「ん~~~!! からっ! なにこれ! からっ!」
「タバスコとオイスターは最高の組み合わせなんだよ。新しい発見が出来たね蒼真」
悪戯っぽく口角を上げ、握ってるのはタバスコよりも強烈なドクロマークの危険なやつ。
俺は敵に回しちゃいけない子に手を出してしまった……がくっ。
「あんまりおバカやってないでさっさと食べな!」
俺たちのじゃれ合いに呆れ顔の美咲さん。
だがハイボールのグラスだけはくいくいと減っていき、誰より楽しんでいるようにも見えた。
お鍋としゃぶしゃぶを頂いた後はしっかり雑炊も食べた。
もう何も入らない……。
美咲さんは後片付けにキッチンへ向かう。
手伝おうとしたものの、「研修で疲れてんだ。のんびりしてな!」と追い出された。
ホントに優しいお母さんだ。ここは甘えておこう。
テレビでは除夜の鐘の音色が響いていた。厳かな雰囲気に心が洗われていくようだ。
「なんだかんだで紅白の後は行く年来る年か。羽依だってシブいじゃん」
「この『ゴーン!』って音聞くとね、もう初詣行った気分になれるの。ご利益ありそうだよね~」
「安上がりだねえ。本当に初詣行かないの?」
「寒いし人混み嫌いだし。蒼真、行ったらお守りと御札買ってきてね。年明けに一度は真桜に会わないとね〜」
「まあ懐も潤ったからね。羽依と真桜には何かお返しも買いたかったし」
あんなメチャクチャ高い腕時計貰ったのだから、さすがに何か買ってあげないと気が引けるってもんだ。
「ん~それならさ、私、新しい下着欲しいんだよね。また最近ブラ合わなくなってきたからさ」
「まだ成長中だとっ……ちなみに今ってサイズは何カップ?」
羽依はちらっと辺りを見渡し、さっと俺の手を取り自分の服の中に入れる。ふわっと柔らかい素肌の感触に心臓が跳ねる。
「んふ、当ててみて?」
「うぐっ……これは……E?」
「残念! FからGに進化したようでーす!」
「なん……だとっ!」
思えばクリスマス以来ずっと禁欲生活だった。
久しぶりの刺激に頭が沸騰しそうになる。
そんな俺を見て、羽依はニヤニヤが止まらない。
「蒼真の目がこわーい。羽依ちゃんぴーんち!」
「……焚き付けたのは羽依だからね。覚悟しておいてね」
そんな事言ってる間に時刻は0時に近づいていた。
美咲さんもキッチンから戻ってきてカウントダウンを見守る。
「蒼真! ほら、ジャンプするよ!」
「よしっ!」
3
2
1
「「ジャーンプ!」」
年が変わる瞬間、二人は地球上にいなかった。
……これで良いんだよな?
なにが面白いかは分からないが、楽しそうにはしゃぐ羽依が見れただけでもやった価値は十分あった。
「二人ともまだまだ子どもだねえ。あけましておめでとう!」
落ち着いてソファーに座り、笑いながらハイボールを煽る美咲さん。
だが俺は知っている。
タイミングよくちょこんと足を上げていた彼女の事を。
「あけましておめでとうございます。二人とも、今年もよろしくお願いします」
「あけおめー! 今年も楽しい年にしようね!」
俺たちのスマホから一斉に着信音が鳴り響く。みんなマメだなあ。
一つ一つスタンプを返していく。
その中に遥さん――姉さんからのあけおめスタンプが。クロちゃんとの2ショットのおまけ付きだ。
蒼真「あけましておめでとうございます。今年は大変お世話になりそうですね。よろしくお願いします」
ちゃんと文で返信し、最後にあけおめスタンプを送っておいた。
羽依と真桜はビデオチャットで年始の挨拶だ。
俺も羽依の隣に座り参加する。
「真桜、あけましておめでとう。今年もよろしくね」
「あけましておめでとう二人とも。良いな~二人で年越し」
「じゃあ来年はこっちにおいでよ。きっと楽しいよ」
「そうね、来年はそうしようかな~。こっち帰ってきたけど、年始から両親とも忙しくて……海外出張で私一人になるの。二人ともこっちに遊びに来ない?」
「蒼真が行くから大丈夫! 私はお家でごろごろするの!」
「……だって。じゃあやっぱりそっちで初詣行こうかな~」
「冬休みが終わるまでこっちにいるから。気が向いたら遊びに来てね。じゃあまたね」
羽依は冬がホント苦手なんだな。ずっとゴロゴロしてるし。
ああ、下着のサイズが合わなくなったのって、ひょっとして……。
「太ってませんし~!」
「!! まだ何も言ってないのに……」
「蒼真の考えなんてね、全部お見通しなの。ていうか、顔に出てるよ」
ああ、なんて俺は分かりやすいんだ。
いや、恐ろしいのは鋭すぎる羽依の方だ。エスパーかよ。
今年も尻に敷かれるのは決定事項だな……。