第173話 衝撃の事実
十二月三十日、研修五日目。
長いようで短かった研修も今日で最後だ。
俺の研修のために時間を割いてくれる黒川さん。
会社役員が年末の忙しい時期に俺に付きっきりで大丈夫なのか? という疑問があったけど、「お嬢様のためだ」と言われたら納得せざるを得ない。
「よし、これで実技は終了だ。五日間お疲れ様!」
「ありがとうございました! 色々新しいことを覚えられて楽しかったです」
「そっか……いやあ最初は地獄の研修に感じるぐらいに追い込むつもりだったけどな。いや、実際追い込んでた」
なんという衝撃の事実。
でも、真桜や理事長から地獄の稽古を毎週経験しているので、正直ちょっとしんどい程度だった。
「そうだったんすか? いや、確かにハードだとは思ったけど」
「いままでしっかり鍛錬してきたんだな。大したもんだよお前は」
白い歯を見せ、俺の肩にぽんと手を置く黒川さん。
何気ない一言が俺の心にとても響いた。
ちょっと目頭が熱くなる。
「午後の講習は十五時まで。その後に社長が会うそうだ」
「そうなんですか。じゃあテストはその後?」
黒川さんは初日に見せたように口角を上げる。
「ああ、あれは嘘だ」
「ええええ! そんなあ……テストがあるっていうもんだから一生懸命復習もしてたのに……」
「短い講習だったけどな。得られるものが多かったようで何よりだな!」
声高らかに笑う黒川さんを恨めしそうに見つめるしか出来なかった。
大人ってずるい……。
「まあ実際のところ、講習全体がテストだったな。各講師の方々も、お前の受講態度はつぶさにチェックしていた。結果もすべて社長に報告済みだ」
「うえぇ……じゃあやっぱり一生懸命取り組んで正解だったのか……」
「賠償の話はでたらめだけどな!」
またも大笑いする黒川さん。
大人って、大人って!!
「あー腹痛え……そう拗ねるな! 昼食はお嬢様がお前のために頑張ってるらしいぞ」
「え、まじっすか! めっちゃ楽しみだなあ!」
「単純だなお前は……。まあ俺も遥の手料理なんて久しぶりだから楽しみだ。さあシャワー浴びて行こう!」
そう言って俺の頭をぽんと撫でる黒川さん。
全く……良いようにやられてしまったな。
でも、最初に発破かけられなかったら、あそこまで本気で取り組まなかったかもしれない。
指導者としても優秀な人なんだなって思った。
シャワーを浴びた後、黒川さんと食堂に入る。
ふわっとカレーのいい匂いが辺りに漂う。ハードな運動の後なので食欲が刺激されすぎた。
腹減りすぎて胃がぐうぐうなってる。
「蒼真くん、お疲れ様! お昼はカレーだけどいいかな?」
「もちろん! カレーなら毎日でもいいぐらいですよ」
「良かった~。駿兄さんの好みでわりと辛めにしたから。口に合えばいいけど」
「そこは蒼真の好みを聞くべきだったんじゃないか? 遥」
「そうね……でも、駿兄さんにも美味しいって思われたいの!」
黒川さん相手だと遥さんは妹みたいになるのが可愛らしかった。きっと甘えられる存在なんだろうな。
厨房からもう一人、エプロンを付けた見知った女性が。浅見さんだ。
「こんにちは浅見さん。遥さんと一緒に料理してたんですか」
「そうなの! 遥さんはホントに何でも出来るからね。正直足手まといだったかも」
「そんな事ないですよ! サラダとか助かりましたよ」
「理央には料理をもうちょっと上手になってもらわないとな……」
黒川さんの一言にジッと睨む浅見さん。
「今どき女性が家事をするって固定概念は時代錯誤じゃなくて? 駿がそんな風な考えなら婚約も考え直したほうが良いのかしらね」
なんか衝撃の事実が聞こえたような。
「浅見さんと黒川さんって婚約者なんですか?」
二人は顔を見合わせる。
「駿、言ってなかったの?」
「理央も言ってなかったのか」
「私も蒼真くんには言ってなかったわね。理央さんと駿兄さんは来年結婚するの」
「えー! そうなんですか! いや、びっくりしたけど――確かにとてもお似合いな二人ですね」
俺の言葉に微笑みつつ、だんだんと苦笑いに変わる浅見さん。
「九条のお仕事で良いように使われちゃってるのもね……分かってくれたかしら」
「その辺りはホント感謝してるよ……」
美人弁護士に最年少会社役員の組み合わせか。みんなが羨むような、ものすごいカップルだな。
食堂のテーブルにはお肉がたっぷり入ったカレーライスと色鮮やかなサラダが俺たちを待っていた。もう我慢出来ない!
「うわっめっちゃ辛い! でもすげー美味い!」
「あー! 自分で作っておいて何だけど、辛すぎるー!」
「ん、遥、こりゃ美味いな」
「私はもっと辛くても良いかな~」
黒川さんと浅見さんは辛党のようで、好みが一緒らしい。
遥さんは悶えながらも一生懸命食べている。その姿は何故か妙に艶めかしかった。
最初は辛すぎると思ったカレーだったが、気がつけばおかわりを2回してしまった。その度に遥さんが嬉しそうに皿に盛ってくれたのが印象的だった。お嬢様なのに家庭的だなんてすごいな人だなと思う。
と、その時。
「やあみんな。お邪魔するよ」
身なりの良い中年の男性が食堂にやってきた。
途端に緊張が走る。
「社長。 お早いおつきで。出迎えもせずに申し訳ございません」
椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる黒川さん。
「いいっていいって。食事中だったんだね。遥、私にもお願いできるかな」
「はい。ちょっとまってくださいね」
この方が社長さん。遥さんのお父さんか。
背は黒川さんと同じぐらいで180センチ以上はありそうな長身だ。やや細身のスタイルで、髪は白髪を後ろに纏めている。
年齢はうちの両親の先輩って話だが、白髪のせいでもう少し上にも見えた。
ただ、遥さんのお父さんというだけあって、容姿はとても良い。イケオジって感じだ。
黒いタートルネックのニットの上にグレーのジャケット。下はタイトなチノパンを格好良く履きこなしている。
「君が藤崎蒼真くんだね。お父さんにはいつもお世話になっているよ」
そう言ってにっこり微笑んで俺に右手を差し出す。
「はい、こちらこそ父が大変お世話になってます。この度は研修の機会を与えていただきありがとうございます」
差し出された右手を握る。
社長という肩書だけど、しっかり鍛えていそうな腕だった。
俺を見つめる目はとても優しそうだ。
母さんが言ってた通り、良い人に見える。
――と言うか、妙な既視感がある。
ひょっとして、以前会ったことがあるんだろうか……。
遥さんがカレーをよそって持ってきた。
「お口に合うかしら。どうぞ召し上がってください」
「遥の手料理だもの。絶対美味しいに決まってるよ」
そう言ってカレーを口に運ぶ。
「んぅ! ぐあっ! 辛っ! 遥っ、これ、辛すぎっ!」
「ああ、ごめんなさい。お口に合わなかったかしら……」
悲しそうな表情を浮かべる遥さん。
「え……いや、大丈夫……美味しいよとっても……みんなよく食べれたね」
社長は涙を流し、大汗をかきながら完食した。
「ふう、いやごちそうさま。では私は部屋で仕事をしているよ。蒼真くん、研修が終わったら部屋まで来てもらえるかな」
「分かりました。では後ほど伺います」
俺の言葉に社長は満足したように頷いて退席した。
「遥、お前さては……」
黒川さんの言葉に遥さんは舌をぺろっと出した。
なんという衝撃の事実。お父さんに一服盛ったのか……。
悪い人だなあと思いつつも、留学の事とかで鬱憤が溜まっていたのかな。
そう思うと妙に可笑しくなってしまった。